かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

そこで着目すべきはプライバシーの問題じゃなかったと思うんだ


今日のは本当に戯言。


まだPCが全然発展してなかった頃の図書館の貸出方式でニューアーク式、というのがあった。
学校図書館とかで実際に使ったことがある人もいると思うが、図書館の本にポケットが付けられていて、貸出してもらう人はその中に入れてあるカードに名前を書いていく形式である。
岩井俊二の「Love Letter」や宮崎駿の「耳をすませば」で小道具としてかなり重要な役割を果たしたこのニューアーク式貸出カードだが、コンピュータによる貸出の普及でさしあたり公共図書館大学図書館からはほとんど姿を消している。
学校図書館、特に小中学校図書館は機械化されていないところも結構あるから中にはまだ使っている図書館もあるんじゃないかと思うが、このニューアーク式貸出、図書館界の中では現在かなり評判が悪い。
「(誰が読んだかがカードに記録として残ってしまうので)利用者のプライバシーが守れない」というのがその理由。
PCを使わない貸出にもブラウン式といって、カードに利用履歴を残さないやり方があって、図書館界全体ではそっちの方向を推し進めてニューアーク式はなるべくやめよう、という傾向にある(大学の学校図書館の授業でもそんな話を習う)。
ついでに、それこそ「Love Letter」や「耳をすませば」を例にあげて、「まだ世間では図書館はこういう、利用者のプライバシーを守っていないイメージが残っているんだ」みたいな論が展開されることもある。
「確かに、『耳をすませば』みたいな出会いができなくなったことは寂しいことかもしれないけど、利用者のプライバシーを守るためには仕方のないことなんです」と説明されてもいたり。


なんだかなあ、とちょっと思う。
いやもちろん、確かにニューアーク式は大問題というか、それこそ「復讐之手引」はじめ怪しげな本ばかり読んでいたmin2-flyあたりにとっては利用履歴が世間様に大公開されるのは非常に嫌なところではあるのだが。
ただ、前述したようなニューアーク式貸出を小道具にした小説からプライバシーの問題しか読み取れないとしたら、なんとも寂しいことじゃないだろうか。


むしろそこから読み取るべきものって、人と人との関係性の中で本が重要な媒介を果たすことがある、っていうかそれくらい本に重きを置いている人がいる、ってことなんじゃないか。
好きな人が読んでいる本が気になる。
好きな人の読んでいる本を読んでみたい。
自分と同じ本を読んでいる人が気になる。
自分と同じ本を読んでいる人に好感を持つ。
そういうことが一部の人の間では自然にされている、ってのが「耳をすませば」で着目すべきところであって、「プライバシーの保護の問題が・・・」とかとはまた別だろう。


もちろんだからってニューアーク式に戻せとか、なんでもかんでも利用履歴を公開しろなんて話ではなく、利用者のプライバシーを保護しながら、それぞれの本がどれだけ読まれてるとか、希望する利用者についてはweb上とかで最近読んだ本とかを公開できるようするとか、そういうサービスを展開することはあってもいいんじゃないかな、と。
図書館のOPACと直接からまない形ではいくらでもあると思うが、それを図書館とつなげるところが大切なんじゃないか。
「同じ図書館を利用している人の中に」ってのは、割と重要なポイントなわけだし。
本当、プライバシーとの兼ね合いが難しいんだろうってところはわかるが、でも「人と本を結ぶ」のが図書館なら、「本を介して人と人を結ぶ」ことだって大切なんじゃないの、と。




っていうか本当、本が小道具になる恋愛話って多いよなー。
ケツメイシの「さくら」のPVだって道でぶつかった主人公とヒロインが同じ本を持ってたことが出会いのきっかけなわけだし(こちらの話にはさらに素敵な裏があるが)。