かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

デジタルコンテンツの進展と"電子図書館の消失"


卒業論文、書けるとこまで書いてきてみて」の1回目の〆切が終わったので*1、遅ればせながら「情報の科学と技術」vol. 57, no. 9 特集「デジタルコンテンツの進展と図書館」を読んできましたよ。


参照:


もちろん、一番のお目当ては上のリンク先でも取り上げられている竹内比呂也先生の「総論:デジタルコンテンツの彼方に図書館の姿を求めて」。
「場としての図書館」ということや新しい図書館員のありように関する部分はすでに上のお二人が取り上げられていて、それはそれで興味深い話題なのでそっちに自分も突っ込んでいこうかなー、と思ったんだけど、ここはあえて空気を読まずに「デジタルコンテンツ」の方の話題を取り上げてみたい。
だってほら、「電子図書館」と銘打ったブログの癖に、あんまり電子図書館の話題してないし、ここ(爆)


あ、ちなみに以下はすべて大学図書館専門図書館の話題、ってことで一つ。
公共図書館については毛色が違い過ぎるので、またの機会に。


さて、デジタルコンテンツの関わりと図書館、という点でよく言われてきたものとして「図書館ポータル」という考えがある。
図書館が「情報にアクセスする玄関(=portal)」を提供する、という考えで、具体的にはデータベースや有益な情報を提供しているサイトへのリンク集、それに所蔵検索や電子ジャーナル検索なんかがまとめてある、「ポータルサイト」みたいなものを図書館が作って提供しよう、っていうような試みがなされてきたりした*2
情報資源がまとまっていると便利、ってのは直観的にわかるところでもあり、実際にポータル組んだところが先進的な例として紹介されることもあったりするが、しかし著者はポータルについて

しかし、このようなポータルがインターネット上で他の情報資源と伍してその存在感を示すことができたかというと、そのように評価するのは難しいのではないだろうか

と、ばっさりと切っている。
理由としてはポータルはその「存在を知らない利用者にとっては存在しないにも等しい」ものであることがあげられてて、例えばポータルの中に含まれる機能でもっともよく使われるものであろうOPAC(所蔵検索機能)ですら、情報を探すのに便利なものだからではなく、単にその図書館の所蔵を探すにはOPACをひくしかないと思われているから使われているだけであることなんかが言及されている。
図書館で本を借りたい、と思っているわけではなく、単に資料を探してるだけなら、図書館のOPACじゃなくてAmazon使う人の方が多いでしょ、とか。
そこでOPACとはそういうものだ(所蔵を検索するためにあるものなんだからそれ以外に弱いのは当然だ)って言うんじゃなくて、ハイパーリンク機能やなんかを使って図書館の外の情報源へも誘導できるようにすることが必要だ(「開かれた世界へのナビゲーションこそが、付加価値として重要な意味を持つ」)というのが著者の主張。
これだけ書き抜くと「OPACに他の情報源へのリンク貼れって話で、図書館ポータルの話とは別なんじゃ?」と言う気もするかも知れないが、おそらくここでの著者の考えはOPACにとどまるものではなくて、もっと広い範囲で、「開かれたネットワークの世界で図書館と他の情報資源とをわざわざ区別するようなことに意味があるのか」ということなんじゃないかと思う。
そしてそれは最近、自分がよく考えていることでもある。
確かにデジタルコンテンツの進展は「場」としての図書館にとっても大きな変革を迫るものではあるが、おそらくそれ以上に直接的な影響を被るのは、実は同じデジタルな存在である「電子図書館」なんじゃないだろうか。


ちょっと前にid:sakstyleに誘われて書いた原稿*3で思いっきりその点について言及したのだが、例えば電子ジャーナルにせよデータベースにせよ、ライセンスモデルで契約しているコンテンツについては、もともと図書館の側になんらかの蓄積があるわけじゃなし、許諾されたネットワークの中からならいちいち図書館サイトを経由しなくても利用することは可能である。
実際、電子ジャーナルなんかはブックマークに入れちゃえば次から直接ブラウザからリンクをたどることができるし、min2-flyも(厳密な意味でデータベースかは微妙だが)RefWorksについてはブックマークツールバーに入れていて、いちいち図書館を経由することはない。
こういうことを考えると、「どこまでが筑波大学電子図書館で、どこからがそうじゃないのか?」っていう区切りは非常にあいまいになる。
逆の例を言えばGoogle ScholarなんかにはTulips-Linkerが表示されるからそこから直で筑波の所蔵なんかを調べられるが、じゃあどっから筑波の電子図書館なのか、とか。
表示されたアイコンから?
中継地点のリンクリゾルバページ?
それとも実際のOPAC画面から?


こういう「区切りの不明瞭さ」は最近だとあらゆる所に存在して、たとえば機関リポジトリについてもいちいちリポジトリのトップページにいかなくても、Googleかなんかで検索すれば目当てのコンテンツのページに飛ぶことができるし、AIRwayみたいにリポジトリに飛ばすリンクリゾルバだって存在する。
あるいはCiNiiみたいな無料データベースの中身だって、CiNiiのトップページから入らなくても今年からGoogleで直接目当てのレコードページを見れるようになっている例もある*4
使う側としては「○○という電子図書館(あるいはデータベース)を使っている」なんて意識はなく、web上の情報資源を自由に利用することができるわけで、それぞれの「電子図書館」(的なもの)同士の区切りはどんどん不明瞭になっていく。


考えてみれば当然の話で、もともとハイパーリンクの考え方自体、「情報資源の表玄関から入らなくても良い」*5、自由にリンクを貼れるところが一つの魅力であって、その中にあって区切られた存在としての「電子図書館」を保つこと自体に無理がある。
それよりはもっと開かれた存在として縦横に情報資源を行き来できれば良いと思うわけだが、そうなると図書館の「ポータルサイト」と言うのは「情報源への入口」を「一つのページ」に固めようとしているところで無理が出てくる。


だいたいさ、「電子図書館」の最大の魅力って、「いちいちその図書館に行かなくても情報が利用できること!」なわけだろ?
なんでせっかく物理的な館から解放されたのに、電子的な意味での「館」(あるwebページ、サイト、特定の検索インタフェース)に縛られないといけないわけ?
どっからでも検索できるようにすればいいじゃん、っていうかたぶんこれからそうなっていくでしょ。
そうなったら、たぶん物理的な『図書館』より先に個別の『電子図書館』の方が消えるんじゃない?
・・・っていうところまでが、寄稿した内容。


こっから先はそのあとの思いつきなんだが、じゃあ情報資源への入口=ポータルが不必要か、というとそんなことはない。
「特定の情報資源への入口」が一つに限られるのは好ましくないが、「情報行動を行うときの窓口」的なものは必要だろう。つーかないと情報行動出来ないし。
ただ、それはあるwebページに置くものではなくて、そもそもwebページを見ている際に使っているブラウザそのものが「情報資源への入口」としての役割を現状でも果たしているし、この先はもっと高度な機能まで提供していく必要があるのではないか、とか。
例えば図書館が自分のところの図書館で使えるツールを適当に組み込んだ状態でブラウザソフトを配布するとか、そこまでいかなくても「うちの図書館で使える追加機能パック」みたいなのを作っておいて配信するとか。
そのあとの更なるカスタマイズは利用者任せで。
もちろんブラウザに依存しないリンクリゾルバやその他のリンク機能も提供していく前提だが、そうやって内向きのユーザ(大学構成員=学生、教員など)の情報行動を支援する一方で、外部に向けては機関リポジトリ等での情報発信を行っていく・・・と、今みたいな形での「ポータルページ」は、確かに大学図書館にはいらなくなる日もくるかもな、と思うのでした。


・・・もっとも、いきなりはそんな状態にはならないだろうし、そうなる前のつなぎとしてはポータルページも知ってる人にとっては便利だとも思うけどね・・・

*1:最終的には2万4千字くらいになってた。それでも言葉の足りない部分が多い気がしてならない・・・

*2:ちなみに、かなりマニアックな作りにはなっているけど、一応、図書館webページのトップがポータルになっている例としてはhttps://www.tulips.tsukuba.ac.jp/portal/index.phpとかがある

*3:今年の筑波大学の学園祭で配布予定の文芸部の批評誌への寄稿。正直、めちゃめちゃ浮いてるんじゃないかとちょっと不安

*4:もっときちんとした詳しい話は、学園祭の時に出るだろう文章参照。詳細はまた追って。・・・出る、んだよね?

*5:ここら辺は昨今また出てきた無断リンク禁止に関する議論ともからむのかと思うが、まあそれは置いておこう