かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

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新書の並べ方が変な件-「新書」だから?-


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中公新書岩波新書講談社現代新書みたいな、いわゆる「新書」の並べ方について。
多くの新書は各レーベルが出版順に番号を振っていて、それにそって書店では配列してるところがけっこうあるんだけど、それだと著者やジャンルがばらばらになってしまうので既刊本を探しにくい、という話。


自分も無批判にこの配列方法は採用していて、自宅の(そんなに数があるわけでもない)新書は番号順に並べていたのだが、言われてみれば確かにわかりにくいよな・・・
その場に目録が置いてあって番号を請求記号的に使えるのならば良いのかも知れないが、そんな書店ばっかでもないだろうし、仮に目録がある場合でもやっぱ同ジャンル・同著者の著作は並んでた方が探しやすいし売れ安いような気もする。
戦うハプスブルク家』(菊池良生. 講談社現代新書. 1282番)と『ハプスブルクをつくった男』(菊池良生. 講談社現代新書. 1732番)は近くにあった方がどっちか買った人がもう一方も買う率はあがるだろうし、どうせならそこに『ハプスブルク家』(江村洋. 講談社現代新書. 1017番)や『ハプスブルク家の女たち』(江村洋. 講談社現代新書. 1151番)もまとめてあった方が良さそうだ。
番号順に配列してあるとこれらは皆ばらばらである。


ただ、じゃあ番号順の配列にメリットがなにもないかと言うと、個人的には出版された順に並んでいる=最近出たのがどの本かが平台に置かれてなくてもわかる、と言うのはメリットとして考えてもいいんじゃないか、とは思う。
講談社現代新書中公新書岩波新書の3レーベルくらいなら、とりあえず過去に出てたタイトルは(読んではいなくても)棚に置いてある状態を再三眺めているので、どこまでが見覚えのあるタイトルでどこからが自分の知らないタイトルか、ということが、番号順に配列してあれば一目でわかる。
しばらく新書コーナーに足を向けていなくて久々に行った時に、すでに平台からは撤去されてるけど自分はまだ見てないタイトルが、棚に納められた状態でも見ればすぐわかる、と言うのはちょっと便利かも知れない。
実際、自分の書店での行動を思い起こしてみても、新書コーナーに行ったらまず平台見て、次に各レーベルの番号の大きいところをさっと見て、興味があったら買う、って感じだし。
著者別の配列やジャンル別の配列だとこういうことは出来ない。


・・・って、書いてて思ったが、自分は新書棚をまるでRSSリーダーはてブの「注目の記事」見るときみたいな使い方をしているんだな。
でも新書が「新書」って呼ばれ方なのは、もともとそう言う使い方(著者名とかジャンルを気にする、と言うよりは目新しい情報をざっと概観する使い方)を想定してつくられているものだったからなのかも、とか思ったり。


ただまあ、既に「新書」が生まれて数十年たって、こんだけ知識の蓄積としての価値も持ちだすと、いつまでもRSSリーダーチックな使い方を想定した配列ってのはやっぱり問題な気もするが・・・
老舗レーベルの1〜100番台あたりを今さら「新しい」と思う奴なんて絶対いないだろうし。
線引きの問題なのかね。
平台に置かれるほどではないが新しさを失ってはいないものをどうするか、みたいな。



・・・そういや、地元の公共図書館は新書別置してたけど、配列*1はどうなってたかなあ・・・??

*1:図書館なら「排架」「排列」でしょ、的な見解はスルーします。どっちで書いても訂正してくる人は訂正してくるんで。