かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

それは、図書館があった方が安くつくからだよ


以前、図書館の有償/無償の話のときに取り上げさせていただいたCeekz Logs (Move to y.ceek.jp)さんのところで、このような記事がアップされていました。


LibWorldの方に注力していたため*1昨年中に言及することが出来なかったのですが、遅ればせながらレスということで。


ただ、今回はとりあえずCheekzさんのところでメインで取り上げられている公立図書館ではなくて、あわせて言及されている*2大学図書館の方について取り上げさせていただこうかと。
大学図書館も公立図書館も本質は同じだと思いますが、まだ大学の方が現実との乖離が少ない分取り上げやすいので。


さて、Cheekzさんのところで

結局、図書館の役目は何なのでしょう。図書館が無償で運営されている理由よりも、図書館が運営されている理由を考えるのが先ですね。「知る権利」や「本を読めること」が重要なのであれば、司書の皆さんは、書籍をスキャナに当てる日々を送っていそうですしね(書籍の電子化)。

という指摘がなされているのですが。
大学図書館について言うなら、そりゃあもちろん図書館つくった方が大学運営(研究・教育)の上で安上がりだ(と考えられる)からだよ。
研究者に必要な資料(学術雑誌論文とか専門書とか)を全部自前でそろえなきゃいけないとしたらとんでもない手間と金がかかるわけで、それなら大学としてまとめて資料買って整理して提供する部門つくって、構成員が利用できるように整備しておいた方が安く済むという話。
ちょっと前だけど、研究者が図書館を通じて利用している学術論文について、現在のコスト(資料費+入手にかかる時間あたりの人件費)ともし図書館にその資料がなかった場合にかかるコストについて言及したものがあって*3、その中ではある大学図書館が現在かけているコストが$3,430,000、図書館がない場合にかかるコストが$13,480,000で、差し引き$10,050,000くらい図書館によって浮いている、と試算されている*4
この場合、コストには現金と要する時間が含まれるわけで、言いかえれば図書館的な機能がないと本来「研究」をするべき研究者が研究にあてるための時間を情報の入手作業に割かねばならなくなる、と言うことでもある。
もし今どきの自然科学者が自分の研究に必要な資料を全部自前で揃えないといけないとしたら、かかる時間的コストはどんなもんだろうか?
今だって自分の大学で契約してない雑誌/電子ジャーナルに掲載された論文を入手するのは面倒な作業なわけだが、機関リポジトリやILLも封じられた状態でそれをやれって言われたらもう著者に直接頼むか必要な雑誌はその都度個人購読する、あるいはペイパービューで毎回購読料を払ってみるかしかなくなるわけで*5
前者はもともと研究者同士で直接やりとりするのが高コストだったから学術出版が生まれたことを考えると難しいし(セルフアーカイビングが発達すればいけないこともない気はするが…)、後者はやや現実的ではあるが金がかかる。
大学の中の多くの研究者が同じ雑誌を読んでいるなら、ペイパービューなんかじゃなく機関購読モデルで契約した方が大学全体として安く済む(研究者の資金ったって雑誌論文読むのにあてるような部分の金は大学から出てる分だ)。
まあ結局「情報資源の共有」っていう根本に立ち返るわけだが…限られた資源の効率的運用は組織運営の基本だしね。

 
図書館員が色々と情報を整理して使いやすくしたりレファレンスに応えたりするのも本来の目的は同じ(であるべき)で、図書館員を雇うコストをかけてでも研究者の時間的コストを削減した方が結果的に安上がりになる。
この場合の「安上がり」とは、現実に安く済むと言う話ではなく、「同じ到達点を目指した場合にかかるコスト」が安く済むということ。
これは資源共有の方もそうだけど、目標設定が低くてもいい(研究・教育のレベルが低レベルでも構わない)なら、そりゃ図書館的なものは全く運営しない方が安いに決まっているんだけれど。
それはある意味では「別に売れる商品なんて作らなくていいから製品開発部はいらない」とか「とりあえず本の体裁だけなしていればいいから編集者はいらない」って言ってるようなもので、投入コストは安いかも知れないけど潰れるだろ、と(いや潰れないところもあるのかも知れないけど)。


もっとも、図書館員の役割って点だと…日本の場合、研究者は「本来ライブラリアンの仕事」である「特定サブジェクトにおける文献状況の専門家」であることを研究者自らがやってきた、っていう指摘もあるので*6難しいところもあるけれど…
海外だとサーチャーどころかリサーチアシスタント(専門的な主題を持って研究を補助できるレベル)の役割を図書館員が持ってる場合も多いので、日本だと研究者が自前でやらなきゃいけない部分も図書館員がやってる(その分研究者は違うことしてる)みたいな事情もあるわけだが(そしてそれこそ「ライブラリアン」なのだが)…まあ、それはおいおい期待しよう…*7
 

閑話休題

 
学生支援についても基本は研究者支援と同じ。
大学で扱うような専門書や学術雑誌なんて普通はとてもじゃないが学生に全部揃えられるような値段ではない(1冊で1万とかする海外の本をいちいち自前でそろえてたら年いくらかかるんだ)し、そもそも個人ベースじゃ入手のしようがないような資料(研究報告書とか)もあるわけで、そこら辺を利用するには大学図書館(あるいは的な役割を一括してやってくれるところ)がないと無理。
これももちろん、そんな資料なんか使わないでいい程度の教育レベルにとどめればいいってんなら別に問題ないのだけれど、筑波みたいなガチガチの研究系大学*8でそうもいかないだろう、と。
あるいは、それらの資料を利用できる環境に置くことで、教員が一から十まで手取り足とり教えなきゃいけない場合に対して教育コストを安く済ませることができる、という風にも考えられる。
その点でいくと「図書館の利用が少ない」ことを指摘するのはもっともではあるのだが、建物の利用だけ多くたって筑波の場合仕方がないわけで、図書館に置いてある資料の利用が少ない=資料を利用しないといけないような教育・学習がきちんと行われていないことが問題っちゃあ問題か。
まあある程度電子化が進んだ段階で、館自体の利用が少なくなるのは当然の流れではあると思うけどね。
自然科学系ならほとんど電子ジャーナルで事足りるだろう、とか。
それなら学内どっからでもアクセスできるし(まだ学外からはできない…くそう…)。


ここら辺の話を前提にすると大学図書館を有償にすることの不毛さも見えてくる気がするが。
そもそも学生も教員も図書館にとって「お客様」じゃないんだよね。
こなす役割が違うだけで同じチームの一員なわけだし。
あと、特に研究者についてはどうせ有償にしたって校費から金出すんだろうから、結局は同じ大学の中で金がまわっているだけ。
有償化されたことで図書館使えば済むはずのものを他あたられたりしようものなら大学としてみた場合の外への支出は増える一方。
学生については対価の出所が大学の財政ではなく学生の懐であるって点では学内でぐるぐる金が回ってるだけ、って事態は避けられるけど・・・
電子化が進んだ状況下での利用料金モデルとかが厄介なのと、「どうせ綺麗にしたって学生は試験前にしか勉強しないんだろ、なら無駄じゃねーの?」という問題が・・・むしろ解決すべきことがあるとすればそっちだよなー。




ただ、今までの話とは別に今回のCheekz logさんの指摘で重要な点としては、

図書館の現場の方々は「図書館」を語り、研究者や図書館情報学を学ぶ方々は「ライブラリー」を語っている雰囲気があります。

根本に「図書館運営の怠慢」を感じていることが、現在の思考の原点です。素晴らしい理念を持っており、共感を得られるのであれば、例えば、各都道府県立図 書館くらいは、国会図書館と同様に、出版社から無償で献本を受けられる制度に出来たのではないか。そういう方向に運動したのだろうか。*9


この2点の方かも知れない。
前者については全くもってその感はあるというか、研究者サイドは海外事情と思考を切り離しがたい(うまくいってる「ライブラリー」を知ってるもんだからそれを十全に果たしたものを図書館の理想像として前提に置きたくなる)面があるのだけれど、これだと国内の図書館について議論する際に現場の人・・・いや、現場はそうでもないな、むしろ特に図書館情報学に興味がない人と対話するときには議論に齟齬をきたす場合がある。
というか多い。
このギャップを埋めたい、それも出来れば自分たちの認識のランクを落とすんじゃなくて世の中の図書館に対する期待値を上げたい(図書館=ライブラリーに引き上げたい)、というのは関係者の悲願の一つだと思われるが・・・現実は・・・厳しいよね・・・。
実際に「理想のライブラリー」の実例がそう多くはない*10ところで理想を説いても説得力がないんだよなー、とは以前自分が某先生に向って似たようなこと言ったけど。


後者の「図書館運営の怠慢」という指摘も痛い
ただ、これについては図書館運営の怠慢だけ責めても仕方がない部分もあるというか・・・結局、図書館単独で考えても無意味で、大学図書館であれば大学全体、公立図書館であれば自治体全体のことを考えないと本当の図書館の必要性とかって認識でないものであるはずなんだが・・・大学運営も、自治体運営も、怠慢の塊みたいなところあるしなあ。
図書館にかかる経費削減については昨今よく聞くところだが、いや確かに大学全体で緊縮財政なら仕方ない部分があるのはわかるが・・・削減した結果として、研究者にかかる負担がコストパフォーマンスの低下を招いている可能性(図書館で入手できなくなったものを別ルート使うためにかかる時間によって、研究のための時間が圧迫されて論文等の生産数が落ち込んでいる可能性)については無視かい、とかなんとか。
たぶんそこら辺のことは考えてすらいないところが大半なんじゃないかな。
その中で図書館から全体を変えていこう、と言う動きを起こすのは非常に有意義なところであるが・・・なんか、全体を変えると言うより、図書館がより良くなればそれでいい、って方向に行きがちな気がするんだよね、図書館って・・・いやあくまで気がするだけで実態はわからないが。


図書館について考えるのであれば図書館の外を見なければ駄目だ、というのは別に今さら言うような話でもないのだけれど。
現実はなかなか、難しい。



ところで、


筑波図書館系忘年会・新年会が開催されるのでしたら、ぜひ同席したいと思います。

 
忘年会シーズンは終わってしまいましたが、新年会は自分も開催されるならぜひ参加したいと思います(卒研? でもそんなの関係ね・・・と言うわけにはいかないですが・・・)。
 

どうでしょう? > 「筑波図書館系」に当てはまりそうだと思われる方々。
  

*1:ちなみにLibWorldの方は現在、先生の添削を待ちつつリンク集の英訳をやっています。Project Shizukuを英語で説明するのが難しいので中の人に投げようか真剣に検討中です、とここに書くことによってアピールしてみる。

*2:筑波大学特有の事例ですが、大学図書館には、多くの机や個室があります。しかし、利用率が高いのは「試験前」だけであり、それ以外の利用率は、極めて低いです。」

*3:King, D W, Aerni, S, Brody, F, Herbison, M and Knapp, A. "Comparitative Costs of the University of Pittsburgh Electronic and Print Library Collections", The Sara Fine Institute for Interpersonal Behavior and Technology, 2004. ただし本文はTenopir, C, and King, D. "Perceptions of value and value beyond perceptions: measuring the quality and value of journal article readings". Serials. vol. 20, no. 3, 2007. の孫引き

*4:海外の例なので日本でどこまで通用するかは未知数だが

*5:他大学の図書館を直接来館利用する、というのはこの場合ありにすべきかなしにすべきか・・・

*6:土屋俊. "現代日本の大学改革と大学図書館". 変わりゆく大学図書館. 東京, 勁草書房, 2005, p.19-28.

*7:というかその方面に行かないとこの先ガチで図書館員はじり貧じゃないか、とか。セルフアーカイブ進めるのはいいけど、研究者が皆自分のサイトでセルフアーカイブして、Google Scholarで探せるようになったら、本格的に日本の大学図書館はなにするんだよ、とかなんとか。

*8:試しに「カーネギー分類」っていう大学の機能分類を筑波に適用すると、「博士号授与多角型」(一番研究よりな大学)に該当する

*9:国会図書館納本制度は無償じゃないです。定価の半額が支払われます。あと、実際に行われた例はありませんが、制度上は納本しないと定価の5倍以下の過料に処せられることがある、という罰則付きです。まあ実際は納本もれもけっこうありますが。

*10:「海外におけるサブジェクト・ライブラリアン(特定主題に関する専門知識を有して、研究のサポートが出来るようなライブラリアン)は日本にはいません」、とか言われたりするしなあ・・・探せばそんなことはないと思うんだが、国内の多くの大学の人事制度じゃいたとしても日の目みにくいよなあ・・・