かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

「レファレンスゼロ宣言」


ネタ元はこちら:「真夜中の図書館」 レファレンスゼロ宣言

今日、僕は図書館に行った。

図書館の壁には、大きな垂れ幕がかかっていた。
「レファレンスゼロ宣言」と書いてある。
今までの図書館では、レファレンスの数がどんなに多いかが評価だった。
でも、MAYOTOでは司書に頼らないで、
本や情報を探すことが出来る市民を育てることを目標に掲げた。
そのためには、今までのようなやり方では駄目だ。
・・・
(真夜中の図書館「レファレンスゼロ宣言」)


フルで見たい人はネタ元を参照のこと。
この「真夜中の図書館」っていうのは、実在しない図書館を想定して、あれやこれや空想して楽しむところ・・・みたいな理解でいいんだろうか。
いまいち、過去ログ見ても完璧に理解できたとは思えないのだが。
間違ってたら中の人、訂正してくださいm(_ _)m


多分に読み物的な感じなので書き手の真意を読み取るのが難しい。
・・・「本当に利用者教育 > レファレンス」っていう意見なのか、それともなにかに対する寓話なのか。
後者だったらちょっと感動。
でも他のエントリーもそういう感じのが多いから本当に後者なのかもな。


実際のところ、今すぐこんな「レファレンスゼロ宣言」を出すところはありえない(んじゃないかな)と思うし、将来的にもここまで過激なキャッチフレーズ入れるところはないと思うが、ただ「レファレンス・サービスが大事⇒レファレンス・サービスがなくても利用者が図書館を十全に利用できるような教育が大事」へのシフト、ってのは普通に起こりうるよなー、とか思う。
図書館がなにに重点を置くか、なんてころころ変わるもんだし。


保存重視(閉架・閲覧のみ閉架・若干の貸出もあり)
 ⇒貸出冊数重視(開架・貸出ばんばん) 
  ⇒調べもの重視(レファレンス・サービスもやるよ! 雑誌記事とか新聞記事も!) 


みたいな超大雑把な流れがあったとして*1、貸出冊数の多さが図書館の良さの指標とされていた(今もそうなのか?)ように、レファレンス質問の件数を図書館の評価の指標にして、そこばかり追求してたらカウンターアタックが来るのは容易に想像がつくところ(まあ実際にはそんな馬鹿なことにはならんと思うが)。


まあ、それ以前に、本格的にレファレンス・サービスが浸透して、誰もが「調べものは図書館で」みたいな態度を身につけた一方で十分な利用スキルがなくてレファレンス・ライブラリアンに頼りっぱ、なんてことになったら、レファレンス・ライブラリアンが何人いても足りなくなるが。
その段階で軽度の質問をふるい落とす(っつーか質問する難易度の底上げをする)ために利用者教育の方に重点シフトするのは当然っちゃあ当然なのかも知れない。
だからって「レファレンスゼロ」を標榜することもないと思うが(苦笑)
調べてわかんないときは聞く相手がいた方がいいに決まってる。
そこら辺はレファレンス・サービス重視の人でも貸出を軽視したりなんかしないのと同じことだろう。


・・・まだレファレンス・サービスの時代にも入りきってないのに(そもそもその時代に入るのか? なんか違う時代が来そうな気もしてドキドキ)その先を見据える必要があるのかどうかはわからんが・・・
でも必要なくても楽しいからいっか。
「次にくるものはなんだ!?」みたいな。
もちろん、目先のことにも注力しなきゃいけないのは当然として、組織として活動する場合には10年先くらいに何を実現するかを考えて商品開発することが大事・・・みたいなことをゲイリー・ハメルとC・K・プラハードが言ってたような言ってないような。



5:37 a.m.追記

ああ、でもネタ元でのmymecoleon氏のブクマコメントで「利用者教育もレファレンスのうち」とあるが、レファレンス⇒利用者教育だと「調査目的での図書館利用」っていう点では変化がないんだよな。
その点だと「共有」という大前提を背景にした上での


 保存
  ⇒貸出(教養・娯楽/目的が完全には明確ではない情報行動)
   ⇒調査/具体化された目的を持った情報行動


っていうような、大きなシフト(つっても国内の話だが)とは次元が違う気がする。
より大きな次元での次の流れはなんだ。
発信支援か?
公共図書館に来るのかなその流れ。
奥が深い・・・まあ全部戯言だが・・・

*1:大雑把に過ぎるというか一部事実に反する気もするが。あと、これを「パラダイム・シフト」とか呼ぶとクーンに怒られる?