かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

「なぜ歴史を学ぶのか」を考えてみる

ネタ元:


告白するけど、min2-flyは高校1年生のときは某北海道の旧帝大で史学をやりたいとか考えていたんだぜ!
まあ就職率を見てやめてしまったわけだが。
それでも歴史は大好きです。高校で一番力入れた授業は間違いなく世界史です。
でも今は図書館情報学徒なので、図書館情報学的に(あるいは知識情報学的に)歴史を学ぶ意義、あるいは歴史を研究する意義的なものを考えてみたいと思います。
・・・と、言ってもまあ、そっち系専門ではないので借り物の組み合わせでしか語れないのだが。
巨人の肩の上に立つー。


「未来を知りたい」

さて、歴史と情報、と言うことでは名前もそのまま、「歴史研究と情報」と言う講義が図書館情報専門学群で開講されていて、その最初の方で「なぜ歴史を研究するのか」という点についても触れられている。
残念ながら授業は途中からほとんど出席してないのだが*1、この最初の授業はかなり好きで覚えている。
曰く、過去の歴史を研究するのは「未来のことを知りたいから」。
ネタ元でも高校生の授業で第二次世界大戦を扱う際に限って、「過去の出来事から教訓を得る」、「一つの出来事に対してもさまざまな見方・解釈があることを知る」という2つの観点を打ち出していて、このうち「教訓を得る」というのは「歴史研究と情報」の内容にも近いが、「歴史研究と情報」の方はもうちょっとえげつない。
「A国とB国が戦争をしたらどうなるのか、どっちが勝つのか、どんな物資が足りなくなってどうやったらそこから最大限の利益が得られるか、どんな不利益が生まれてそれが自国・自勢力にどのような影響を与えるか。結局、その戦争が起こらないようにするべきか、起こすように仕向けるべきか」というようなことを考える一環として先例を把握し、その中に共通する要素を取りだすのが実学としての「歴史研究」が成立してきた背景である、という*2
もちろん戦争は極端な例で、農作物の作付の参考(天候とその都度の収穫高)とか、他にももっと穏健な理由はいろいろあるわけだが・・・過去のことを知りたいのは未来のことを予見して対応策を練るためであり、だからこそ為政者が歴史研究に金を出したり、帝王学の中に歴史が含まれてたり、中国みたいに国家として歴史記録を残し続ける慣行が生まれたりした。
文化的な理由とか、そういうものが生まれてくるのは後の話。
先を読み、適切な行動がとりたい。
もっと言ってしまえば、儲けたい。勝ちたい。損したくない、負けたくない、死にたくない。
そこら辺が「歴史」という学問が成立し、今なお続く背景にはあるというのが「歴史研究と情報」の第1回の授業を聞いて自分が理解したことである(先生の言いたいこととは違っている可能性大)。*3


「未来情報」の価値

情報、っていう側面から話をすると、情報の「価値」(この場合は情報量などの測定可能な価値ではなく「知ってることでどんだけ利益をうめるか」)を決める要因として、情報の確実性のほかに、

  • 皆が知りたい情報は価値がある
  • 誰も知らない情報は価値がある
  • 未来に関する情報は価値がある

という考え方がある*4
当り前のようだが、実際にはこの3つの価値がからみあうので情報の価値判断は難しい。
例えば未来に関する情報の中でも、「明日の天気予報」は多くの人が知りたい情報でもあるが、テレビや新聞やその他メディアで予報が公開されていてほとんどただで見られる上に的中率も高いので「誰も知らない」に該当せず、ゆえに価値は低い(もちろん、テレビやメディアで公表される天気を予報する側に回れば話は別)。
また、芸能人のプライバシーなんかは基本的には未来に関わる話ではないし、知らなくても困らない、と思う人も多いと思われるが、多少は知りたいと思う人がいて、そして知っている人がごく限られるために情報としては価値が出てくる(知名度と価値が比例するのは知りたいと思う人数と連動するため)。


そうは言ってもやはり、「未来に関わる情報」の価値は群を抜いて高い。
確実な未来の情報を握っていればとんでもない利益の機会が得られたり、不利益の機会を避けられたりするからだ。
天気予報だって、「明日」だから最近だと価値が薄いだけで、「この先1カ月」を完璧に把握できたり、あるいは「これから1年」の天気を完璧に予想できた場合の利益はエラいことになるだろう。
株価に至っては「明日の○○社の終値」を知ってるだけでも場合によってはけっこうなことになるんじゃないかと思う。


しかし未来に関する情報と言う奴は厄介で、基本的に直接的に未来情報を得る手段は存在しない*5
ゆえに入手可能な現在の情報と、過去の情報から推測する以外に未来に関する情報を得る手段はなく、「歴史研究」が「未来のことを知りたいからやる」ものだとする主張もそこから生まれるのではないだろうかと思われる。


「世界」や「人間」の先行研究なんじゃないかと

よく「過去の歴史から学べ」と言うが、上のような考え方に立ってみれば歴史研究の成果をもとに未来に対する指針を決めるのは至極真っ当なことである。
っていうか、ある物事について扱う上で、その物事の過去を知ることは絶対必要というわけではなくてもかなり重要な行動であり。
あるテーマを研究するにあたり関連テーマの先行研究のレビューが必須なのと同じように、「人間とは?」とか「世界とは?」とかを考える上では世界全体の辿ってきた過去についての知識は必要不可欠なのではないかとー。
研究で「え、そのやり方って先行研究あるし、しかも失敗してたよね?」って言われても絶望的な気分になって場合によっては卒業が遅れるくらいで済むかも知れないが、一国の政府が戦争起こして「え、そのパターンで戦争起こした国って敗北した挙句にえらいことになったよね?」なんてことになったら洒落にならんのです。
「温故知新」って言葉の深さに今さらながら脱帽。
先行研究大事だよ、先行研究。
結局、我々は「巨人の肩の上に立つ」ことしかできないのであるー。


・・・もっとも、これは「歴史学」っていう研究分野が成立し、必要であることの説明にはなるが、個人が歴史研究をやることの説明にはなんもなってなさそうな気がしてきた・・・
図書館情報学の意義」と「僕が図書館情報学をやる理由」が一致しないのと同じことか・・・
まあ一般論は一般論にしかとどまらないんだろう、ということでー。

*1:長崎貿易に特化した話になったため。金儲けの話は好きなのだが、江戸時代の長崎貿易はなんか苦手なのですよ。北方貿易(松前藩とか)は大好きなのだが

*2:歴史研究の中でも戦争が熱いのはそのせいか? そういう意味では「情報」という概念との親和性高そうだな。英語のinformationは別として、日本語の情報は軍発祥の言葉だと言うし、情報学自体も戦争が絡んでいるわけで。・・・ってまあ、軍がまるで関与してこない学問なんてなさそうな気もするが・・・

*3:そこら辺を突き詰めていくと「この先の世界がどうなるか知りたい」ということにもつながる

*4:たぶん1年生のときの概論で聞いたんじゃないかと思うが、なにぶん3年以上前のことなので記憶あやふや

*5:その情報を起こす人に直接聞く、っていう手段はあるが、そいつは禁じ手でないかい?