雑誌製本大事。超大事。
先日、ちょっと前の「週刊東洋経済」の記事が見たくなって、中央図書館*1まで行ってきたときの話。
目当ての記事は2004.7.24発行の号に掲載されていて、週刊ということで数は多いけど発行日順に並べてあるからすぐ見つかるだろう、とか思っていたのだが。
実際に雑誌架に行って、2004年7月ごろの棚を見ると・・・
・・・あれ? 7/17号の横に、7/31号があるよ・・・(滝汗)
すぐに思いついた可能性は
- 欠号
- 紛失
- 使用中
- 他のところに紛れ込んでいる
の4つ。
1〜3ならどうしようもないけど、4なら探せば見つかるはずと思い、慌てて探し始めるも・・・
・・・「週刊東洋経済」、製本されてない分だけで6年分くらいあるんだけど・・・(涙目)
幸いにしてあるべきスペースからそんなに離れてないところから発見できて、無事資料は入手できたんだけどさ。
探索中、05年の棚に00年発行の号が入ってた時はもう諦めて複写依頼出しちゃおうかと思った。割とマジで。
で、探している最中に思ったのが、こんなとき製本済みの雑誌だったらすぐに目当ての号にたどり着けるのになあ、ということ。
季刊誌とか隔月刊、せめて月刊みたいに号数の少ないのなら他のところに紛れた資料もまあ、探せないことはないけど(いや、期間が長くなると勘弁してほしいけど)、週刊レベルになるとどっか行っちゃった資料を探すのは苦行というか荒行です。
しかも号数が多いほどに排列がぐちゃぐちゃになる可能性も高まると言う・・・
その点、年代ごとにまとめて製本されていれば中身がぐちゃぐちゃになることはないし、背表紙も見やすくなるおかげで探すのも比較的簡単*2。
今まで保存の観点からしか雑誌製本のことは考えたことなかったけど、製本には探索をしやすくする効果もあったんだなー、と。
きちんと製本してある90年代の「週刊東洋経済」を見て強く感じたのだった。
今まで「製本中は使えなくて不便ー」とか愚痴言っててごめんなさい。
金も手間もかかって大変だと思うけど、がんがん製本しちゃって下さい。特に週刊誌。
・・・まあ、電子ジャーナル化がもっと進めばなくなる問題ではあるんだろうけど・・・
・・・もしくはICタグ?
でも1号ずつ付与してまた製本したら付与して、じゃ面倒そうではあるな・・・
・・・いや、一番大事なのは、「使った資料は元の場所に戻せよ!」ってことなんだけどさ。
言って解決するもんならとっくに・・・