かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

「オープンアクセスの隠れたコスト・・・それは査読がないことだ!」「ねーよwww」


先日、情報管理webをいつものようにてってけ見ていたところ以下の記事を見つけました。


「まさか合衆国のオープンアクセス運動で内紛か?!」と思い記事を読んでみたところ、そういうわけではない様子。


元になった米国ボストン・カレッジ国際高等教育センター長で"Comparative Education Review"誌、"The Review of Higher Education"誌の編集者でもあるPhilip Altbachの記事


それに対するオープンアクセスの大御所でSelf-Archivingの先駆けでもあるStevan Harnadの反論*1


この論争(?)に関するOpen Access Newsでのまとめ


どうも、最初にAltbachさんがハーバード大学でのオープンアクセス義務化*2に触れながら、

  • 「オープンアクセスは確かにいい面もあるが、査読のプロセスを経ないためインターネット上の他の多くの情報と質が見分けられなくなる」
  • 「ハーバードのように広く認知された機関ならいいが、そうでない機関の研究者にとっては査読を経て広く認められた雑誌に掲載されなければ注目されなくなる」


と言った議論を展開し、オープンアクセスに対する疑問符を提示したところ。
速攻でHarnadから、

「Altbatch教授のエッセイはオープンアクセス運動もハーバードのオープンアクセス義務化についても根本的に勘違いしている。オープンアクセス運動は研究インパクトを高めるために*3"査読付き雑誌に掲載された"論文を著者(等)のwebページに掲載することで、ハーバード大等で行われているオープンアクセス義務化は"査読付き雑誌に掲載された論文の、著者最終稿を"機関リポジトリに投稿することを求めるものだ。査読制度をなくそうという運動ではない」

という反論が入り。
以降、同種の誤りを指摘するコメントが続き、中には過激な表現をする人も出てきて、John Kirriemuirさんからは

「皮肉だね、もしこの(Altbachさんの)記事が査読や他の質のチェックを受けてたら、陽の目を見ることもなかっただろうに・・・」*4

という痛切なコメントまであったり。


・・・なんというか、日本で識者が間違った認識に基づく記事をブログにアップしたときの反応まんまなような・・・
ここら辺のやりとりは日本も海外もそう変わらないということかね。
妙なところで親近感がわいてしまったじゃないか。


ただまあ、一方的な誤りの指摘と批判ばかりというわけではなく、中にはオープンアクセスジャーナルのコスト負担に触れるコメント*5もあるし、Open Access Newsのまとめの中ではAltbachさんの意図が「オープンアクセスが広まると査読誌の存在が危うくなる」ということにあって、言葉が足りないだけである可能性についても触れている*6
もしAltbachさんの意図が本当にOpen Access Newsの深読みの通りなら、確かに「オープンアクセスの隠れたコスト」という題もうなずけるところであるのだけれど・・・
その点については、これも最初のエントリに対するHarnadのコメント(及びコメントを基にしたエントリ)の中で、

オープンアクセス義務化で購読誌数が減って、ピアレビューのコストが賄えなくなるって言うなら、雑誌社は各機関の研究成果(雑誌記事)の数にあわせて直接査読料を請求すればいい。今みたいに雑誌単位で、研究成果へのアクセスについて間接的に料金を取るんじゃなくて。

"And if and when mandated OA should ever make subscriptions unsustainable as the means of covering the costs of peer review, journals will simply charge institutions directly for the peer-reviewing of their research output, by the articles, instead of charging them indirectly for access to the research output of other institutions, by the journal, as most do now."

(Hidden Cost of Failing to Access Information - Open Access Archivangelism)(参照:2008-06-11)

という提案をしている。
これはこれで「金のない機関はどうするんだ、研究成果の発表すら出来なくなるのか!」・・・といった話もあり*7、即問題解決というわけではないのだけれど、割と面白い提案であるのは確かなような。
「査読こそが大事だ」、と言うのであれば、いっそ「出版者」ではなく「査読コーディネータ」という名前で、「〜学会の査読プロセス(査読者の選定や間の取次等)を請負います」とか、「今度〜という分野について新たに査読を請け負います」とかって言うのもありかも知れない。
・・・もっとも、最終的な出版物としての雑誌がないと、却下率(裏を返せば掲載率)の設定や、採録された場合の分野内でのランクなどがわかりにくい気もするが・・・うーん、まあ一筋縄ではいかないか。*8

*1:Altbachのエントリのコメント欄での内容とほぼ同じ

*2:参照:ハーバード大学文理学部、全会一致で研究成果のOA化を義務化 | カレントアウェアネス・ポータル

*3:ここは人によって議論が割れるかも。Harnadは首尾一貫して「OAは著者の研究インパクトを高めるための取り組みだ」としているけれど、中には雑誌価格高騰への対抗や途上国への配慮を目的に挙げる人もいるし、税金で行われている研究成果を市民に還元することが目的とされることもあるし、機関リポジトリについて言えばアカウンタビリティや広告としての側面等も出てくるので、オープンアクセスやそれに関する運動の中でも割と何に重きを置くかは人によってばらばら。そこが難しいところもであり、エキサイティングなところでもあり。

*4:原文はAltbachさんの記事のコメント欄参照

*5:いや、それだってSelf-Archivingとは別の問題な気もするんだけれど

*6:その上で、「オープンアクセスが広まる中で新しくその言葉に触れる人もいるだろうし・・・」というフォローも入っている

*7:査読コストのみについて金をとっているわけではないにせよ、オープンアクセスジャーナルへの批判の中では実際に「それじゃ途上国に不利だ!」という批判意見もあるし。参照:途上国にとってOAは有害無益(nature) - Open Access Japan | オープンアクセスジャパン

*8:・・・ところでこれ、Harnadの記事にトラックバック飛ばしてもあちらさんは絶対読めないよな・・・(汗) 日本でもヲチしてる人がいるよー、ってことだけ伝わればいいか知らん。