かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

"Inside Nature" ―Nature誌編集の舞台裏(?)

去る6/19、筑波大学若手イニシアティブセミナーとして行われたNature ジャパンのエグゼクティブディレクター、中村康一氏の講演会に行ってきました。

演者:中村康一氏(Nature ジャパン、エグゼクティブディレクター)

演題:The Special Nature of Nature in Japan

「日本において特別な『ネイチャー』」

場所:筑波大学総合研究棟D 116 室

世話人:Damien Hall、永宗喜三郎、奥脇暢

なお、以下では講演の内容の他にその後の談話(?)会でお聞きした内容も含めて記述してあります。念のため。


サイトでは演題が"The Special Nature of Natuire in Japan"となっていますが、実際の講演ではブログタイトルと同じく"Inside Nature"となっていました。
超有名学術雑誌、泣く子も黙るNature編集の舞台裏(?)について。
科学関係で大きな発見があると「英科学誌ネイチャーに発表する」と報道されることも多い*1ので特別、大学とかに関係ない方でも名前を聞くことは多いんじゃないかと思いますが・・・
いや、この編集に関する話がなかなか面白い*2・・・一般的な*3学術雑誌の編集・出版作業とは全然違う感じで。


何が違うかと言えば、一言で言って"Editor"(編集者)の存在のでかさ。
「そりゃ雑誌なんだから編集者の存在がでかいのは当然だろ」と言われるかも知れませんが、ところがどっこい、一般的な学術雑誌においては編集者っていうのは他の雑誌とはかなりあり方を異にしています。
まず記事のほとんどが研究者が投稿してくる論文から成り立っている、ってのもありますが、加えて他の雑誌類にないプロセスとして、投稿された論文のテーマに応じて選ばれた他の研究者が投稿論文の内容をチェックする「査読」というプロセスが入ります。
これが学術雑誌の肝と言うか、同じ研究分野に属する同僚(peer)によるレビューが行われ、それをパスしたものだけが雑誌に掲載される・・・と言うプロセスにより科学研究の質は維持されていて、編集者には自身が出版物の中身を直接どうこうすると言うよりは、研究者同士(投稿者と査読者)の橋渡しをいかにうまく回すか、という役割が期待されることになります。
また、多くの場合学会や研究グループによる編集委員会が別に組織されていて、商業出版であっても掲載可否は編集者が決めるわけではなかったりもしたり。
このような学術雑誌は"journal"と呼ばれ、一般誌"magazine"とは区別されます。


区別される・・・のですが、ここでどっこい、今回の講演者の中村さんはNatureのことを"magazine"と明言(爆)
それはNatureの論文投稿から出版までのプロセスの特異性に起因しているようで、そこで「編集者の存在のでかさ」と言うことが出てきます。
まずNatureには年間10,000件を超える投稿があるそうなのですが、そのうち60-70%はそもそも査読に回されずに、編集が見て興味を持たなかったらその段階で不採用(リジェクト)。
ここでは端から質の評価なんてことは考えていない*4そうで、「Natureとして」編集が興味を持つか否かで決められるそうな。
じゃあどんなのに興味が持たれるか、という詳細は(そもそも中村さん自身、Natureジャパンの役員であって編集者ではないので*5)あまり述べられていなかったけど、とりあえず

  • 英語じゃないとだめ(基本だけどけっこう問い合わせあるらしい)
  • 専門的すぎるとだめ(多くの人が興味を持つような内容がいい)
  • 長い論文は嫌い(もし通ってもガンガン削られる、とのこと)

とかなんとか。
「どんなに質がいい論文でもNatureとして興味持てなかったら落とす」とのことで、過去にはこの段階で後にノーベル賞を受賞する論文を落としてしまったこともあるそうだけど、未だにそのスタイルは崩していない、と。


で、編集部から見て面白そうだった30%くらいが、ここで一応は外部の査読者*6に回されて、質のチェックに入る、と。
ただ、ここでも他の学術出版と違うのは、査読者はあくまでコメントを求められるだけで、最終的な掲載の可否は全部編集者が決める、とのこと。
少なくて2人、多い時は5人くらいの査読者に回すそうなのですが、例え5人中3人がネガティブなコメントを返してきたとしても、Natureとして面白そうだと判断したら掲載することもある、と*7
「ちょっと弱いけど面白そうだから載せよう!」という判断もあるそうで、その結果過去には誤って採用してしまった論文もあるそうなのだけれど、やはりこのスタイルも維持し続けているそうで。
曰く、「議論が紛糾した方がいい、異論がたくさん出てくることを狙ってやっているんだから」とのこと。
そうして最終的には投稿論文のうち5%くらいが*8Nature本誌に掲載されるわけですが、ここでさらに面白いのは、必ずしも掲載が決定された順に発表されるのではない、ということ。
例えば関連する分野の論文が2本出てきたとき、一方の編集プロセスが終わってももう一方が終わってなかったら同時に載せられるようにタイミングを調整するとかいうことがあるそうで・・・掲載の決まった研究者からは「はやく載せてくれ!」とせっつかれても、出した時のインパクトを重視して調整したりするんだそうな。
逆に「これは・・・」というような話題については全プロセス吹っ飛ばして掲載されることもあるそうで・・・なんて言うか、聞けば聞くほど普通の出版・編集業界の話を聞いているみたいだなぁ・・・


そこら辺は「Natureは著者のためにあるのではない、読者のためにある」という中村氏の発言にもあらわれていて、これも雑誌編集者なら当然と思う人もいるかも知れないけれど、今までいくつかの学術出版社の方のお話を聞いたことはあったけど、「著者のためじゃない」なんて公言するところなんて初めて見たぞ自分。
むしろ著者/学協会のパートナーとして売り出す方が学術出版社としては一般的なわけで・・・そりゃ当然というか、ある程度以上専門的な学術誌であれば著者と読者ってニアリーイコールなのであって、ある意味では研究者間でぐるぐるまわっているサイクルの橋渡し役のひとつが出版者、と言えるのだけれども。
Natureの場合は、完全に著者層以外の読者を意識して雑誌が作られているわけで・・・いやはや、さすがちょっと大きな本屋さんの洋雑誌コーナーに行けば買える雑誌だけあるな、とかなんとか。
編集者魂と言うか、「雑誌を作ってるんだ!」っていう強い気概を大いに感じて来た次第です。


・・・もっとも、一般的な学術出版社のスタイルとどっちがいいか、って言われると、研究に従事する立場としてはけっこう微妙だけど・・・
ElsevierだのWileyだのみたいに、プロセスが一通り終了したら雑誌の1号としてまとめる前にもう電子版で論文単位で出しちゃえ、みたいなスタイルも使う側としては大変ありがたいし、学協会出版のパートナーとしてはこちらの方がありがたいようなところもあり・・・まあ、どっちかなんて決める必要もなく、NatureはNatureとして、他の大手は他の大手としてそれぞれやっていっていただければいいのかな、とかなんとか。
あとどっちももうちょっと値段下げてください。
おかげさまで筑波大学もNatureシリーズ全誌分は電子版買えてなかったりするし(さすがに本誌は買ってますよ?)。


まあ、要は

  • Natureは編集者が強い、熱い雑誌
  • Natureは編集が興味なかったら高品質の論文でも落とすので、不採用でも気落ちするな
  • Natureは編集が面白いと思ったら多少詰めの弱い論文でも載せることがあるので、過信するな

ってことで。


・・・自分の分野だと生涯Natureに論文投稿することはないんだろうけど・・・
普段見てるのも論文パートよりもCommentary欄とかニュース欄とかだしなー・・・オープンアクセス絡みの記事とか載ってたりするし。
そういう意味ではむしろ論文投稿するよりもコメント欄でHarnadとかElsevier本社の人とかに混じってぎゃあぎゃあわめく方が夢に近いかも知らん。

*1:最近だとホヤとナメクジウオの研究についてもNatureで発表とのことでしたね。参照:http://www.asahi.com/science/update/0619/TKY200806180356.html

*2:会場に多かった異分野の院生にはそうでもなかったみたいですが(苦笑) 学術情報流通研究している身としてはwktkしっぱなしでした(笑)

*3:って言っても自分もそこまで学術雑誌に詳しいわけじゃないんですが

*4:中村氏曰く、「Natureに投稿してくるようなのはだいたい質は高い」

*5:さらにいうとNature本誌に過去、日本人の編集者はいないとか。特派員はいたそうだけど

*6:Nature内部で限られた人しかアクセスできない研究者DBがあるそうな。ブラックリストも作ってるっぽいので超見てみたいが無理だろうなぁ

*7:もちろんポジティブな方がプラス要因になるでしょうが

*8:途中、コメントの応酬や修正・データ再収集などのプロセスを挟みながら