"プログラミングとしての言語からネットワーク上のデータフローへ" "空間を変換する 時間を変換する 人間を変換する"(知の構造化センター「pingpongプロジェクトシンポジウム」参加記録(2))
午前中分の更新から一晩がたってしまいましたが・・・*1
東京大学知の構造化センター「pingpongプロジェクトシンポジウム」、午後分のメモですっ。
「動く地図をつくる」をテーマに、コンピュータ・サイエンスとデザインにおける境界領域を切り開いている知の構造化センター・pingpong プロジェクトが、2010年10月30日(土)にシンポジウム(一般公開)、10月31日(日)にワークショップ(参加者招待制・インターネット中継による公開)を開催することとなりました。
第1回目の開催となる今回は「 デザインと実験の間ー現実世界から/現実への〈変換〉」をテーマに、コンピュータサイエンス、ウェブ、ロボット、ARなどの世界を牽引する研究者・開発者を招聘し、実践の現場からのプレゼンテーションや、pingpongメンバーとのトークセッションを通して、デザインと実験の間から生まれる 創造と研究の今、そして未来を探ります。
午後はプログラミング言語Ruby開発者のまつもとゆきひろさん、Google日本語入力開発者の工藤さんによるポッド2「プログラミングとしての言語からネットワーク上のデータフローへ」と、東京大学の暦本先生、廣瀬先生によるポッド3「空間を変換する 時間を変換する」です。
では以下、メモです。
なお例によってmin2-flyの聞きとれた/理解できた/書きとれた範囲でのメモですので、ご利用の際はその点ご了解願います。
誤字脱字、事実誤認などお気づきの点がおありの方は、ご指摘いただければ幸いです。
では、まずはまつもとさんのお話から!
ポッド2:「プログラミングとしての言語からネットワーク上のデータフローへ」
「プログラミング言語からネット上のデータフローへ」(まつもとゆきひろさん、Ruby [twitter:@ykihiro_matz])
- プログラミング言語
- 高校生くらいの頃から魅せられた
- 普通、言語を学ぶ人は「〜したい」があって、手段として学ぶ
- 自分はどうもねじ曲がっていて、言語そのもの、それを使って人がどんな表現をするか、それをどう助けるかにばかり関心があった
- そういう観点からすると・・・
- プログラミング言語はプログラミングの媒体であると同時に、人間とコンピュータの意志疎通の手段であり、人間にもコンピュータにもわかるように思考を表現する方法でもある
- 高校生くらいの頃から魅せられた
- あらゆるものがコンピュータにより、それもたくさんのコンピュータにより駆動されるようになる
- それもたくさんのソフトウェアを必要とする。誰かがソフトウェアを開発し続けないといけない
- コンピュータはそれほど進歩していない。誰かがアルゴリズムを記述しプログラムを書かないとコンピュータは動かない
- 人間がソフトウェアを開発する部分は、近い未来にはなくなることはない
- システム全体に人間が組み込まれている
- 歯車のような意図はなく、社会全体としてコンピュータがたくさんある社会では、ソフトウェア開発者が大きな構成要素となる
「ウェブデータを使った統計的自然言語処理」(工藤拓さん、Google. 日本語入力開発等をされている)
- 企業で働いている関係上、今日話すのは事実。考えと言うより、普段やっていること
- Google 日本語入力の開発
- 自然言語処理
- 分散並列処理
- 自然言語処理で重要なタスク・・・「ことばの変換」
- 言語モデルの例
- n-gram言語モデル(7-gramの例)
- 頻度を数えるだけで割とできる
- ゼロ頻度問題・・・対象のコーパスに出現しないn-gramの頻度は0にしていいか?
- そうではない
- いくら集めてもゼロ頻度問題は出現する。日本語の並びとしてはありうるが出現しない
- そこで出現頻度の補正・・・スムージングを行う
- 今のところ一番いいのはKNという手法。計算量は多い
- Googleが使っているのはStupid Backoffという、精度は高くないが計算量が小さい方法を使っている
- 学習データが少ないと、KNの方が精度がいい。しかし学習データを増やすとSBがどんどんKNに近づく
- すぐれた方法でも単純な方法でもデータが多ければそう変わらない
- かかる時間・・・同じ量で、SBなら1日で済むところをKNでは計算できない
- モデルの圧縮
- n-gramモデルやかな漢字変換辞書は巨大
- 高速に処理するには・・・手っ取り早いのは全部メモリにのせる
- 圧縮してでもメモリにのせた方が早い。圧縮しているものを都度展開する方法とそのままディスクにのせる方法だと、今だとIOの方が時間がかかる
- そこでGoogle日本語入力は極限まで圧縮してオンメモリで処理
- エラーを許容する圧縮
- 常に正しい結果を返すことはない、という圧縮。JPEGと一緒で、常に正しい結果を返すとは限らないがそこそこ、というもの
- n-gramモデルやかな漢字変換辞書は巨大
- IME辞書の圧縮
- 最終的にGoogle日本語入力は35MBまで圧縮してオンメモリ
ディスカッション(まつもとさん×工藤さん×岡さん×橋本康弘さん、東京大学、pingpongチームプログラミング開発担当)
- 岡さん:ポッド2のサブテーマはプログラムをweb化できるか、自律分散を大量のデータやマシンを使ったときにどう捉えられるか。まずまつもとさんの発表の中で言語は必ず開発者がいて、その人が文法や機能をデザインする、というのが・・・pingpong的な視点は、デザイナー不要論を言ったりなど、一人が決めたことを利用する立場ではなく、集合知的に、自己組織化する中から捉えよう、としている。そういう観点から、プログラムをweb的に作るとか、新しい言語をwebでインタラクションする中で作ることは可能?
- まつもとさん:建築で昔は建築家が個性を発揮していたのが、場合によってはパターンみたいな感じで、ゆるやかにデザインすることで使いやすいという流れがあったが。プログラミング言語は非常に若いので、まだ個性によってリードされたデザインによってできている時代。正直言うと、まだ「こういう風なデザインがよいプログラミング言語に至る」ことを測定する方法が開発されていない。デザイナーがまわりの意見をくみ取って反映するレベルにとどまっている。どういう言語なら良くなる、ということの測定方法が開発されれば集合知的なプログラミングができるかもしれないし、その前にコンピュータが発達してプログラミングそのものがなくなるかもしれない。
- 橋本さん:サピア・ウォーフ仮説をはじめて聞いたのですが、言語があって、見えない思考仮説があったときに、<聞きとれず>、アウトプットの測定を規定すればいい?
- まつもとさん:実証的に示すのが難しい。アンケートで気分を聞くのは今でもできるだろうが、新しい言語を作るのは既存の言語にないことを付けると思うのだが、言語の中の特定の事象を測る方法が今はない。
- 橋本さん:デザイナーや設計者の恣意性が出てこざるを得ない。その理由の一つは、プログラミング言語はコミュニティが大事だったり、言語だけでは自律しない点もあるのかと思う。そういう実感と言うか、言語は言語としてデザインに値すると言うお話だが・・・ある言語を作ると言うのは、好きで作ってらっしゃると思う。生産性をこう上げるだとかいう意図は強くない印象があるが?
- まつもとさん:私にとってプログラミング言語をデザインすること自体が楽しいが、デザインすることで自分や他の人のエクスペリエンスが向上するのを見て面白かったりする。楽しいことと、誰かの生産性や楽しさが向上することは不可分。
- 橋本さん:不可分ではあるが、関係が明示的に語れない?
- まつもとさん:明示的って? 私が明示的に語れないのは、ある機能をRubyに加えることでRubyがこんなに素晴らしくなる、が個別には言えない。全体の経験がいいとか、もっとよくなるはずですよ、とは言えるが、「この機能でこんなにエクスペリエンスが向上する」とは言えない。
- 岡さん:今までRubyの開発は1つのコンピュータで1人が使うことが前提だと思う。Googleは数百〜数万のマシンでプログラムを作ると言う話だが、その過程で新しいスクリプト言語等も開発されたと聞く。その経緯や、その言語とRubyのような言語とのそもそもの違い、Googleならではのデータがあったことが言語の設計に影響したのかを聞きたい。
- 工藤さん:今話題にあったスクリプト言語は、経緯はよくわからないところもあるが、毎日やるような仕事を簡単にしたいということがあると思う。目的が先にあって、それに応じて言語が作られた。最近はそれも使ってなくて、新しいシステムが使われることが多い。論文にもなっているが、Dremelという、言語のようなものだがSQL。普通、queryをanalysisするときは過去10日分でどういうqueryが、というアドホックなのが多い。それをノンプログラマでやりたいと言う人、SQLくらいなら分かる人がちゃちゃっとできるようにということで作った。スクリプト言語すら書きたくない、やりたいことをちゃっちゃと済ませたい、というので言語が決まっているところはある。
- 岡さん:新しい言語を作ることで新しい世界が捉えられる、というような話がポッド1であったが、新言語を作ることで見えた世界があったら。Dremelを使うことで新しく捉えられた、とか。特にない? 大変な仕事を易しくするようにしただけ? 新しいことに到達できた? どんな言語?
- 工藤さん:SQLのような言語。「こういう文字列を含む」「この言語」というようなものをSELECT文で書くと・・・という。
- 工藤さん:先に需要があった。Googleの中も全員、プログラムが書けるわけではない。プロジェクトの管理者は数字とかも気にしないといけないので、そういう人が統計を取りやすいように設計された。
- 岡さん:では言語体系の拡張も組み込まれていない?
- 工藤さん:細かいところ、正規表現が〜とかはあるかもしれないが、ハイレベルはわからない。
- 岡さん:まつもとさんはこういう並列分散言語を見てどう思う?
- まつもとさん:Rubyは汎用なので特化した言語とはすみ分けが違うが、Rubyの上に特定分野向けの言語が追加されるのも最近多い。Google以外にもクラウドをやっている人がこういうことを使いたい、という動きは聞く。Javaが多いがRubyでやっている人も何人かはいる。
- 岡さん:会場にふりたい。江渡さんとか、何かご質問があれば。
- まつもとさん:何と言ったらいいのか・・・Prologはパターンマッチに特化した特定分野向けと思うので、汎用言語として成立するのか、Progは成立しているけれどそれが世界を捉えるのに本当に有効なモデルかはかなり疑問視している。特定の領域だけで使われるのではないか。言語の背景にあるモデルは色々ある、関数型とか、どういう風に世界を捉えて記述するか。記述したい世界とそれがあまり離れ過ぎていると、人間がモデル変換のために脳内で消費するコストが折り合わない。論理型はかなりフリーで、関数型もかなりフリー。使いたいところだけ使えるのがいいんじゃないか。
- 江渡さん:サピア・ウォーフ仮説と、頭の中の思考体系の話を考えると、今までは頭の中に、1台のマシンと言う概念があって、手続き型が自然だけれどオブジェクト指向に拡張してきた。今後、プログラムはDremelみたいな言語、手続き型の方が珍しい、論理型プログラミング言語のようなものが主流になる未来像が描けるのではないか?
- まつもとさん:サピア・ウォーフ仮説についてはある種の信仰。関数型にはまった人はあらゆるものを関数型で書きたがる、みんなついていけない。LISPもそう。同じことがDremelやPrologで書いている人で怒るのではないか。そういう人は世界をそれで書けるが周りがついてこれない。周りがついて来れるには時間がかかるし、もしかするとこない。
- 江渡さん:今まではコンピュータの実行が1台のマシンである前提があったが、今後は1台のマシンで実行するのが珍しくて複数のマシンでやる方が普通になると、論理型の方が主流になるのでは?
- 工藤さん:確かに手続き型はどう並列化されるかをプログラマが意識しないといけないが、論理型はしなくていい。それは面白い話だな、と思う。これからプログラムを始める人、まったくこれから始める人が言語を見たときに、それから何か書ける、何かresultを出すまでに手続き型よりはSQLみたいに簡単に書けて結果が出せる方向性もあっていい。と思うが、ちょっとわからない。
- まつもとさん:マルチコンピュータが当たり前の世界で最適な計算モデルが何かは出ていないので、もしかしたら論理型が最適かも。もともと人間がプログラミングという概念を生得的に持っていたわけではない。古い人たちが手続き型から慣れてきたように、関数型や論理型に矯正される時代は来る可能性はある。ただ、50年のプログラミング言語の完成は大きいので、最適ではなくてもそれを維持する方向にも進むのかも。わからない。今、周辺は既存の言語に手を入れただけでマルチ環境に対応しようと言うのもあるので、新しいのが出てくるのは10〜30年後になるかも。
- フロア:サピア・ウォーフ仮説が自然言語で否定されているのをはじめて聞いて興味深いが、これがプログラミング言語で成立するというのは、まだ淘汰を受けていないからではないか。今もいくつかの立場があってお互いに譲らない。言語の開発は凄い大変で、ちょっとした修正をすると古いデータはレガシーと呼ばれそれに対応するコストは大きい。なのでプログラミング言語は変わって欲しくない、となる。それはプログラミング言語は内在的に発展する力を持っていないから。自律的に発展しつつ、レガシーを作らないためには、古いプログラムと新しいプログラムが同じ環境で動かないとだめで、それを実現するには先のセッションで言う時間の概念のような、今の枠を破る考えが必要なのではと思う。そういう時間や環境を組み込んだ、それほど作りこんでいないプログラミング言語、というのはあるのでは。
- まつもと:自分自身がどんどん変化していける言語なら進化は容易くて、LISPは実際そうやってきたが、個人的な印象としてはプログラミング言語は、ほとんど普及しないが、どんどん生まれている。そういう観点でいうと、レガシーであるから変化しにくい、というのはそんなに気にしなくていいのではないか。レガシーを気にせず新しいものが生まれて、新たなコミュニティを築いたり築かなかったりする。全く新しいものはレガシーも気にしなくていい。新しい言語が生まれないことによる進化の停滞の心配はあまりいらない、と単純に思う。
- 池上さん:言語を開発する人は使われ方にあまり興味がないと冒頭であったが、僕はバックグラウンドが物理で、物理とこういう分野は思い切り直交していて、Cでプログラム書いてTeXで論文を書いている。僕の同僚はFortlanでまだ書いている。物理や化学のものの見方、考え方は100年変わっていないから。僕が最初にCをやったころ、人工知能だと変数が増えるのに対応できるのがCだった。作る生物のモデルを言語が引っ張ってくれている時期があった。ある日きづいたのが、ニューラルネットも70年くらい同じものを使っていて、変わっていない。言語が科学的思考に影響を与えるとはこれっぽっちも思っていない。そうじゃないことが出せたら革命的に面白い。そういうものがあるのではないかと思う。ノーベル賞を取ったものでも基本的な数理構造の変化がないので躍動感がない。だからこそ、抜本的な脳のモデルを変えるにはまつもとさんや工藤さんのような・・・
- 工藤さん:私自身、以前は研究者で、1人でプログラムを書いていた。Googleに入って面白いのは、プログラミング言語そのものがコミュニケーションの手段になっている。Googleの中のコードはすべてレビューを受けないといけない。また、最近だとペアプログラミング、2人でプログラミングをするのも流行っている。意志疎通をできる言語は最近あってもいいと思う。
- まつもとさん:新たな環境でプログラミング言語等が進化することはある。同じようなことは他の分野でも起きると思う。昔は実験していたものがシミュレーションで済むようになって物理の世界が変わったように、コンピュータサイエンスによって・・・違う言語を使うことで発想が変わる可能性を支援していく、双発してお互いに進歩するようなことはこれからどんどん起きるべきだと思うし、もっとやろうかな、と画策もしている。うまくいくことも、いかないこともある。
- 宇野さん:サピア・ウォーフの仮説は自然言語で完全に否定されたわけじゃなくて、新しい本が出てたり。以前のサピア・ウォーフの仮説は非常に強かったが、今は弱くなったが存在はしている。例えばロシア語には動きの様態を表現する言葉が多いので、色んな言語の人に同じ映像を見せると覚えている場所が違うとか、バイリンガルの人に異なる言葉で説明させると内容が変わったり。自然言語もそうなので、プログラミングでもそのときのアテンションが変わることはあるのではないだろうか。
- まつもとさん:次からスライドを差し替える。
- フロア:ソフトウェア会社をやっている。自然言語が世界を全部捉える一つの体系なのに対して、プログラミング言語は領域を絞っている。層を分けることでfocusするところを定めてコラボレーションしやすくするようにしている。自然言語とプログラミング言語の本質的な認識の違いだと思うが、そういうものは他にあるだろうか?
- 岡さん:語れるほど言語を専門とはしていないが・・・ポッド1でも話題になっていた、身体性をどれくらい捉えるかが違う気はする。webは身体性を捉えたサービスがあまりないが、我々としてはそこも捉えてサービスやシステムを考えたいとは思っている。
- 橋本さん:難しい。人工言語はデザイン、ある問題があったときに、それを理解して解きやすいものとして言語を選択していく。細部は趣味によるところもある。基本的な違いは、問題を認識してその表現を捉えるところが人工言語の違い。
- まつもとさん:抽象的な概念を扱うために人工言語が有利なのは、数学の世界の記号等の延長戦上にプログラミングがある。抽象化は色々なところで有用な概念だが、自然言語はそこで有効ではないので、お互いに合意の上にアノテーションを作る、プログラミング言語はその現代版ではないか。
- 工藤さん:自然言語処理の研究者はプログラミング言語はあまり興味がない。僕は本質的にあまり違わないんじゃないかと思うが、プログラミング言語は何かをやりたい、ということが非常に強い。そういう制約drivenで動くところは大きい。ただ、何かを達成すると言う意味では自然言語もプログラミング言語も基本的には違わないんじゃないか。100〜1000年後にはその差は本質的ではないかも知れない。人工言語が流行っていてもおかしくはない。
- 橋本さん:工藤さんに。データをオンメモリにのせる、エラーを許容した圧縮など話が面白かったが、もともと自然言語のデータはエラーが含まれていて、圧縮でもエラーがありうる。自然言語のエラーというか、そういうのが起こり得ないところでとめておく?
- 工藤さん:1つは、エラーになってもいい状況がある。Google日本語入力だとサジェスト機能でサジェストしたくないものをそこで表現している。「実際はないのにある」と言っちゃうのは、そういう風にいってもいい、という問題に特化すれば使える。エラーを許容した圧縮については、機械学習の分野でもニューラルネットワークでも、ランダムにノイズを入れた方が精度が上がると言われる。理論的にどうなっているかは不勉強だが、ちょっとしたノイズがシステムとしてrobustになることはあるかと思う。
- 橋本さん:この間のコンピュータ将棋と人間の将棋の対戦で、データにエラーが含まれていても他のデータでエラーが訂正できる、というような話もあった。そういう点をお聞きしたかった。
- 工藤さん:ランダムアルゴリズムでは乱数を多用していて、サイコロを振って収束の具合で最適ではなくてもいいものを見つけようと言うのがある。大量のデータを実時間で解析するために。私が研究していた時代とは変わってきたな、と思う。
- 李さん:自然言語とプログラミングの対象とする世界を、ポッド1の身体性というものを通して考えると差がないんじゃないかとも思う。これから試していきたい。
ポッド3:「空間を変換する、時間を変換する」
「空間を変換する 時間を変換する 人間を変換する」(暦本純一さん、東京大学情報学環 [twitter:@rkmt])
- Augmented Human
- 人間そのものをいかにネットワークによって拡張するか
- 空間集合知
- PlaceEngine・・・Wifiを使ったロケーションプラットフォーム
- 東京都の地図上に無線LANのアクセスポイントの位置を推定して示す
- 3年前で120万、今250万。それ自体が巨大なデータベース
- ユーザに見えているnetworkから、アクセスポイント間の距離が推し量れたり
- 東京都の地図上に無線LANのアクセスポイントの位置を推定して示す
- Social Geoscape
- PlaceEngine・・・Wifiを使ったロケーションプラットフォーム
- 時間と記憶
- バンネバー・ブッシュの"As you may think"(1945)の中の図
- 頭にカメラをつけてずっと記録し続ける実験
- 2000年・・・ずっと画像を撮り続ける実験
- 一生涯に経験できる情報量・・・寝ないで毎秒5秒、文字を読み続けた場合に読めるテキストはせいぜい12G
- マイクロSDに入る。読むテキストは吟味した方がいい?
- 音なら40T, 画像なら685T。あんまり大したことない、と思うのでは?
- Augmenting Eyes
- バンネバー・ブッシュの"As you may think"(1945)の中の図
「空間と時間とデジタル」(廣瀬通孝さん、東京大学大学院情報理工学系研究科)
- バックグラウンド・・・バーチャルリアリティ
- コンピュータの中に空間がある、ということから始まる
- 1989年に最初に出てきた言葉
- コンピュータの中の世界に人間が没入する、というもの
- 当時言われたこと:「バーチャルリアリティは機械屋さんが土足で情報の世界に入ってくるみたい」
- 前のセッションで言語の話があったが、機械から見ると言語だけでは解決できない。そこからコンピュータを見ると、コンピュータだけではできないことがある。そこからバーチャルリアリティが始まったのかと思う
- 1989年当時と2010年現在の決定的な違い
- 計算機の中に活躍できる空間ができてきた
- "Virtual Realty"・・・計算機の中にある種の不動産がある
- 今は静かになったがSecond lifeはある意味、そういうものを示していた
- サイバー空間はネットワークで接続される・・・
- tele existenceは現実の世界に
- 究極のカウチポテト?
- 通信・・・臨場感を共有すること
- 現在から過去へ・・・
- 過去の大量の写真を活用した研究例の紹介(詳細はUstream参照)
- もう1つの大きな力・・・シミュレーション、未来がわかる
- 大したことじゃない、駅なび等。30年ほど前から見れば宇宙人、コンピュータにお伺いを立てて行動する人
- 散財予想。レシートを全部コンピュータに入れておくと、「あなたはもうすぐこの近くで300円使うでしょう」等のメッセージが出るアプリ
ディスカッション(暦本さん×廣瀬さん×李さん)
- 李さん:廣瀬さんはVR、暦本さんはARをずっとやっている。とは言いながら、意外なのは2人ともトークセッションするのは今日がはじめて。空間デザインをしていて、僕はこの2人に凄い影響を受けている。空間をデザインしてきて、お2人の研究・実践を意識してやってきた。VRとARの歴史をちらっと見ると、それぞれ素は1968年。その後の展開はけっこうもう別々。ただ、ここ数年のテクノロジーの進展か、時間の扱い方の接近か、またVRとARが同じところにも来ている。やり方や方法論は違うが近いことをやっているように見える。その辺のARとVRの違いと接近を感じたが、お2人はその辺をどう思われる?
- 暦本さん:ARとVRはそんなに乖離はしていなくて相互的だが、VRがもっともVR的だった時代は完全に没入するところ。それは未だにあるが、特殊な体験。ある瞬間のLIVEみたいなもの。逆にデジカメで取った写真をいじって・・・とかの簡単なARは日常生活。VRはハレとケの特殊なもので、ARが日常的なものというところで方向性が変わったが、その2つがケータイでリアルな世界の中で出来るようになったりしたことでマージしてきたのかな、と感じる。
- 廣瀬さん:ハレとケ、両方ある。別の観点でいうと、どっちかというと暦本さんはデジタルから来ている。VRはデジタルのように見えながらロボットとかと一緒に出てきている。デジタルとアナログ、どっちから攻めるかで違うのかも。ARとVRはHMDに注目すると、ARの本質的なところは何かを重ねて表示する、テキスト的。一方でVRは映像から来ている、映像は計算機の中だけでは駄目なので・・・と言って外に出ていく。どういう経路をたどってきたかが違う。
- 李さん:webやネットワークが影響したわけではない? 大量のデータが扱えるというような状況があって、というのとARとVRの近接は関係しない?
- 廣瀬さん:VRは、空間の人たちは重ね合わせることが重要だと思っている。暦本さんたちは一緒に存在すればいい、くらいだと思うが、最初にARをやっていた人は完全に空間の中に一緒に存在しないといけない、というような考えがあった。
- 李さん:だからVRが最初アートの場に出たのがデザインに来た、というのはそこが関係している?
- 廣瀬さん:情報系の人も外に行って修正していって見えてくる、というのもある。
- 李さん:先週のソウルでお2人は一緒だったそうだが・・・学会? アジアでも日本より韓国とかの方が盛り上がっている?
- 廣瀬さん:日本だとデザインとエンジニアリングの融合がうまくいかないのだが、韓国はうまくいっている。なんでだろう?
- 李さん:少し時間を貰いたい。pingpongのデザインと実験と言う話やお2人がpingpongにつながっている、という話を少ししたい。
- 空間のデザインをやっていて、産業とデザインがうまくいかないことはデザインの現場でも感じていた。そのデザインの現場で2人の影響を受けてやってきたことがある
- 無響室をショップにするデザイン。廣瀬さんのお仕事の影響等を受ける
- "nature calls me". 真黒な空間の中に人工生命がプロジェクションされているトイレ。音によって人工生命は成長したり死んだりする。異常に忌避されるトイレの音について、音でインタラクションする人工生命を出すAR
- ヴァンネバー・ブッシュの話があったが、同じように考えて、音声認識でリアルタイムにしゃべっている人の声をプロジェクションしながらトーク+携帯から突っ込みを入れられる
- pingpongのきっかけ・・・BIT THINGS. 子供たちが体験を通してメディアに触れられる場所。32cmのモジュール角ですべて出来たキューブ等のある空間。床のセンサーがキューブの位置などをセンシングして、BIT THINGS用のwebが自動で変わり、それが空間にも投影されて相互に変わる
- デザインはデザインの中で、僕だけでなく地道にやっていた人間はいたと思う。だけど産業と結び付かない問題と、研究者、廣瀬さんや暦本さんが結びつくことが難しかった。一度はキューブのバージョン違いみたいなものを暦本さんにお見せしたことはあったが、今はようやくそういうことができる。お二方は大学に所属しながら外に出すプロジェクトをやっている。「実験とデザインの間」というところでは外に出すことが重要だと考えている。研究室の外やデザインの外に出ていくことで本当の意味でmassiveなデータに触れることができる。物事やガジェットが一般化したことで、勝手に外に出ていく環境がでてきていて、それがフィードバックする環境ができているのではないかと思う。その辺でなにか、ご感想とかあれば。
- 空間のデザインをやっていて、産業とデザインがうまくいかないことはデザインの現場でも感じていた。そのデザインの現場で2人の影響を受けてやってきたことがある
- 暦本さん:逆に僕はデザインの人から影響を受けている。「視聴覚交換マシン」とか。ああいうのは技術からすると思いつきそうで思いつけなかった、悔しい、みたいなところがある。メンタリティとしては、我々が行きつけないところに(デザイナーが)するっと行けてしまうところはある。
- 廣瀬さん:なんともいえない何かは確かにあって。僕も八谷さん大好きで。八谷さんは第1回バーチャルリアリティ学会に論文も出している。カオティックな頃にはアートの人も入ってきている。技術は別の意味で洗練化されていくとそういうものが消えていってしまうのかと思う。
- 李さん:僕もハチヤさんが好きだが、視覚交換マシンの頃の状況と今は変わっている。大量のデータや空間の集合知。
- 廣瀬さん:それで今につながるが、20年たってもう1回、カオティックな状況に戻ってきている。89年当時、90年代はじめ、視覚交換マシンが出てきたときは我々の目の前に現実と全く違う世界が出てきて、それと戯れるのが面白かった。今とは違う話。そういう中において、視聴覚交換マシンのような技術者になかったものを見せてくれるには、今はいい時期なのかも。
- 李さん:量の問題を言い換えて、今日のもう1つのテーマで時間の問題がある。廣瀬さんも著書の中で時間は空間に比べて捉えようがないとおっしゃっている。さっきの最後のお話で速度があがっても心理的時間は早まっていないというのがあったが、時間の問題はどう?
- 廣瀬さん:僕は映像の人間。暦本さんは僕よりも時間が引き延ばされていて平気だと思う。音楽と絵のどっちが好きかで、絵が好きな人は時間を引き延ばされるのが嫌いな人。時間軸に引き伸ばされてとろとろしたのに耐えきれない人。絵で、瞬間的に、縮めたい。
- 李さん:暦本さんは? ARって時間のことをあまり語らないですよね。
- 暦本さん:リアルにはめこむので、リアルな時間に埋め込むと言う前提はあるかも。あと、スライドには入れられなかったが、猫のライフログをやっている。人間的なセンサーをつけて。人間でできることは猫でも出来るが、もし自分が猫になったら・・・という視点のライフログを取れる。猫同士のインタラクションも見える。時間と言うのは過去の体験というのもあるが、同じ時間軸の他人や他の生物の視点に入るとか。台風の中のカラスや、自分の家の猫に入り込むと言うのもある。時間と言う意味では、他者の時間軸。
- 李さん:ちなみに絵と音楽なら暦本さんはどっち?
- 暦本さん:両方・・・
- 廣瀬さん:そこでビデオが謎なんですよ。絵とか模型は瞬間でわかる。音楽は最初から聞かないといけない、ある時間軸の一点で全てが理解できない。全体を、ベートーヴェンの第九は瞬間で聞けない。ビデオも見ないと駄目。そこは音楽的だが、ぱっと見た瞬間に感動する、というのは集約されたパターン体系で絵や模型にも近い。中間というか、謎。
- 李さん:今の話を聞いてやっぱり思うのは、時間は人間にはどうしても捉えられないもので、何かアーティフィシャルに作らないといけない、あるいは作ることができて、早くなるとかじゃなくてパラレルな時間を意識的・無意識的に主観的に感じ取ることができるようにも感じるが・・・
- 映像の謎について・造形大の先生・フロア・池上さんの無茶ぶり(笑):確かに映画・動画は時間を伴う。最初から終わりまで見ないといけない。時間と言う形式を伴っている。この間池上さんとお話ししたのは、映画が第二次世界大戦以降変化してきた、という分析があって。映画はもともとは時間は疑似的なもの、アクションが時間を従えていた。人間の行動が目的を失ってしまうような体験を、ドゥルーズは第二次世界大戦の傷が人間の行動から目的を奪っている、さすらう・さまようというのが出てきて時間が前景化し行動が背景になった、と言っている。映画の中では純粋に時間が前景化したときに映画の現代性が立ちあがるのではないか、という指摘がある。それは非常に退屈な時間でもあり、映画の抱える現代の問題でもある。それが今の議論にどう引っかかるかわからないが。
- 池上さん:「不完全な二人」という映画があって。ドアしか映っていないのにドアの向こうで女性が話すシーンがある。時間と言うのは声が時間を作っているだけで、映像が変わらないのに時間の経過を強く感じる。音が空間性を持っている。
- 廣瀬さん:音が空間性を持っていることには激しく同意する。映画でドア閉まったままだとフラストレーション。
- 池上さん:動かない絵が時間を作る。フラストレーションがたまること自体が心理的な時間を作っている。アート的なこともやっているのだが、アートの役目を今日の話で確信した。アートは言語的なことは求めていない、関係ない世界を構成して突き付けるような。暦本さんと廣瀬さんの話は面白いんだけど、アートとは直交している。アートの役割の大きさを感じている。
- 廣瀬さん:僕らが羽田でパブリックアートのイベントをやっていて、彼らのやっているのもアートの役割を気付かせること。逆のことを言われたのは芸大の藤原さんが、技術の役割は事故が起こったときにわかる、という。アートの人からは事故のときに技術の本質を見えるという。直交しているが、お互いにお互いの不親切な親切を感じているところがある。
- 李さん:暦本さんはアーティストとは仕事したことは?
- 暦本さん:ICCのオープニングで少しやったが、あるようでない。
- 李さん:アートをどう捉えている? 暦本さんは池上さんのいうliving technologyのようなことだと思うが。そういうところからアートは。実はアートでもやってみたいとかある?
- 暦本さん:聞いてていいと思ったのは「気付かせる」ということ。アートでもあり、エンジニアリング、ヒューマンインタフェースの究極でもある。何かに気付かないと新しいものはない。表現形態が変わっているだけで同じところを目指しているのかもしれないとはあらためて思う。
- 李さん:アートであれ、テクノロジーであれ、研究であれ、それぞれのスタンスでやっていくだろうし、言うまでもないかもしれないが、境界はなくなってきているというのはmassive data flowを一般レベルで見る・触ることができるというのが大きいと思う。従来のアートの世界にも役割はあるし、そうではない今の環境から生まれてくるアートも、暦本さんや廣瀬さんのやっていることから影響を受けたアートと言うのもあるかも知れない。
- 暦本さん:あと、八谷さんがVR第1回学会で発表されたというように、学会の第1回はだいたい楽しい。それが20年とかたつと、つまらなくなる。レビュー・様式が確立されて、最初のカオス、カンブリアからガラパゴス的になる。学会はどんな学会でも10年経ったらリセットして、10年続いたらばっと潰しちゃうような、その方がinter disciplineなアクティビティは活性化すると思う。
- 李さん:僕はpingpongはどこにも属さない、どこでもやることでどこにも属さないというのでいいのかな、と思う。学会は指向していなくて、今回はこんな感じだけど明日は実験的なWS。発表する場、コミュニケーションの場自体もデザインと実験の場として捉えている。
- 廣瀬さん:学会には2つの意味があって、カンファレンスとしての場と、組織としての学会がある。最近、「〜という学会に通すにはこういう研究をしないといけない」というセッションがあったりする。それは良くない。自分のことを考えて見ても、今ならヒューマンインタフェースの学会もあるし重要だと言われているが、僕が大学院を出る頃はヒューマンインタフェースは誰も来ないセッション。発表の場所をどうやって作るかから考えていた。ロボットも機械学会の中にポツンとあったりして、学会を作ってきた。ある種のstructureを作って、最初は機能を果たす。pingpongで何が生まれてくるか面白いが、今の学会の中で説明がつくようなものだと面白くない。
- 李さん:フロアから何か。
- フロア:池上先生の話との接合点を見ようと思ったのだが、VRの方が追っているrealityがよくわからない。Minimal realityのようなものがあるのか。過去と未来をつなげたことで新たに見えることがあるのか。VRの方のrealityの関係から見えるものがある?
- 廣瀬さん:人さまざま、だと答えにならないが、写真と音楽も人さまざまだし、realityもどういう部分が好きかの重みづけが人さまざまなんだと思う。映像重視ならハイビジョン、空間重視ならインタラクションがあって・・・とか。minimalなら、「俳句が〜」という人もいる。"Virtual"というのは仮想ではない。realというのをどう考えるか。そこでqualityを求める人もいる。
- フロア:学問領域を考えたときにどういうの、というのは?
- 廣瀬さん:「こうでなければいけない」というのはない。写実画をずっと書いている人は写真的なリアリティが全てなのだろうが、そうではなく抽象に行く人もいる。それはその心の中でスイッチがあったのかもしれない。一人の人でも揺れ動く。
- 暦本さん:VRの"V"というのは「本質的」ということなので、本質的なエッセンスというのは何か、というのを追い求めている、ARはまだそこまで簡単なステートメントが固まっていないところはある。今、聞いていてそう思った。
- 李さん:真剣に空間に向かってデザインを考えると、現象とそうでないものがなんとなく見えることはある。現象はアーティフィシャルであれ自然であれ、リアルなものとしてデザインの対象になる。pingpongは現象を捉えることを実験と呼び、それにアーティフィシャルに手を加えることをデザインと呼んでいる。意匠的なことも考えるが、デザインと言う言葉の使い方はpingpongとしては広く捉えている。
閉会のあいさつ(岡瑞起さん)
- 会場に来た方が累計で100人、ハッシュタグ付きのtweetも多数あり、Ustreamは合計で1,600人の方が見てくれた
- 3つのポッドはそれぞれ違った分野で活躍されている方々なので、どういうつながりがあるか見つけるのが大変と言うのはある
- 今日の盛り上がった内容を、10個くらいあげて、隣のラーニング・スタジオでアンカンファレンス形式のワークショップをやる
- フリースタイルのディスカッションを繰り返すもの
- 違った分野をつなげることも、今後続けていきたい
- 今後の活動もwebページを通じて発信する
シンポジウムは以上!
で、翌日である本日、10/31は、最後の岡さんのお話にもあるとおり、前日の結果を受けたワークショップが開催されます。
さすがにワークショップの様子をその場で記録することはできませんが・・・(汗)
感想等については、できればこちらも後日アップできれば、とか思ったり。
シンポジウムの感想等についても後ほど追記するかも知れません(予定は未定!)
では、あと5分でWS始まるので(汗)、自分もそちらに戻ります。