「構造化すべきものを選ぶことが図書館の役割」、「Googleのケツをなめるべき」、「電子図書館しかない」etc...印象的な言葉の飛び交うトークセッション『もう、「本」や「図書館」はいらない!?』(長尾真×山形浩生)
先日、告知エントリもアップしていましたが、国立国会図書館(NDL)・長尾館長の対談シリーズ第2段、『もう、「本」や「図書館」はいらない!?』(長尾真×山形浩生)に参加してきました。
シリーズ第2回: 長尾真 × 山形浩生(評論家/翻訳家)
「もう、『本』や『図書館』はいらない!?」
情報テクノロジー/情報環境の変化は人々の情報との関わり方を劇的に変え続けているようにみえます。
例えば「読む」とか「書く」という行為も情報環境の変化によってさまざまな意味を持つようになっています。
そのような環境の中、「本」は「図書館」はどうなっていくのでしょうか?
もしかすると「本」や「図書館」はその重量を失い視えなくなっていくのでしょうか?
早くから電子図書館の実現に取り組んできた国立国会図書館長で情報工学者の長尾真氏とプロジェクト杉田玄白の主宰者でオープンソース活動にも精力的に参加してきた評論家、翻訳家の山形浩生氏との「本」や「図書館」の可能性と不可能性を考えるトークセッション!
日時: 2009/5/11(月) 19:00-
会場・主催: d-labo/dream laboratory by SURUGA bank
東京都港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー7F
対談ゲストプロフィール:山形浩生(やまがた・ひろお)
一九六四年東京生まれ。東京大学都市工学科修士課程およびMIT不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務、途上国援助業務のかたわら、小説、経済、建築、ネット文化など広範な分野での翻訳および各種の雑文書きに手を染める。著書に『たかがバロウズ本』(大村書店)、『新教養としてのコンピュータ』(アスキー)、『新教養主義宣言』(河出文庫)など。主な訳書にバロウズ『ソフトマシーン』(河出文庫)クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』(ちくま学芸文庫)、レッシグ『CODE』(翔泳社)ほか多数。ネット上のフリー翻訳プロジェクトであるプロジェクト杉田玄白主宰。
ちなみに前回のトークセッションについてはこちらのエントリを参照。
また、上記ウェブページ等にお名前は出ていませんが、ファシリテータを務められるデザインチームmattのキャプテン、李明喜さんのプロフィールについてはこちらを参照。
さて、前回も相当白熱したトークセッションを見せたこの長尾先生対談シリーズですが、今回もヤバいです。
っていうか看板に大いに偽りありです。
話は電子図書館、インターネット全盛のこの時代に図書館でやるべきことの話からGoogle Book Search和解の話まで飛びまくりますが、その間「本」や「図書館」がいらないか、なんて話ほとんど一切なし!
「むしろ今回はまさに『現代における電子図書館』の話なんじゃないのか?!」・・・と熱く思いつつ、今回はとある事情であとでレポート書かないといけない関係上、めちゃめちゃ詳細にメモ取ってました。
打鍵音がうるさかった皆さんごめんなさいm(_ _)m
例によって聞き取り切れなかったりまとめられなかったりってところはあると思いますが・・・最初の方を除いて、今回はほとんどmin2-flyによるまとめなしのまるでインタビュー記事かのような体裁でお送りします。
長いのは仕様です!(爆)
では以下、セッションの記録です。
最初は長尾先生(電子図書館Ariadne*1等について)、山形さん(プロジェクト杉田玄白*2について)それぞれご自分が関わっていらした/いらっしゃる電子図書館(的な)プロジェクトの紹介から。
この部分だけ箇条書きスタイルでメモをとりましたが、それ以降はほとんど完全に議事録ですのであしからず。
Ariadneと現在の電子図書館(国会図書館・長尾館長)
- 人間の頭脳の中に詰まっていることを図書館的なシステムでどこまで実現できるか?
- 今の図書館(システム)で出来るのは書誌的事項検索
- それに目次の中身だけ足したような目次検索
- 全文検索は良し悪し。ヒットしすぎる。
- 索引検索も本当は出来ればいい。
- World Digital Library
- 世界各国の有力図書館が参加/文化遺産的な内容のものを集めて各国の若人に他国の文化・伝統を伝える
- 電子図書館はまだまだ初期の段階
- 究極的には人間の頭脳にできるだけ近い機能を持たせる必要がある
プロジェクト杉田玄白について(評論家/翻訳家・山形さん)
- PCが広がり始めたころから電子書籍の可能性はいろいろ言われていた。
- 注釈の多い本とかは電子化に向いている
- Project Gutenbergなど
- プロジェクト杉田玄白・・・図書館としてはじまったわけではない
- 作品も集まった/長いのも多い
- まとめ役としては山形さんはあまりいい方ではない?
- 更新が止まったり、サーバのパスワードを忘れたり
- 「明日、明日更新します」
- 月一単位くらいで「やってみたのでどうでしょう?」というのが来る
- インターネットが普及してくると・・・
- プロジェクトにまとめておかなくてもググればいっぱい出てくる
- まとまっている必然性が昔に比べて薄れてきた?
- 過去10年くらいの歴史的意義はあると思うし、当分続けたい
ここでそれぞれのプロジェクト紹介の時間修了、以下は李さんのしきりでセッションに入ります・・・!
"(SGMLが出てきたときに)自動分析してタグを自動付与するのかと思い、「負けた・・・」と思った。人手でタグを付けていると知って「こんなバカなことをアメリカ人は」と呆れた"(長尾館長)
- 山形さん
- 目次の構造化はHTML等の考えと思想的には近いもの。一方でタグをつける方にとっては思ったように構造化できないもどかしさがある。それもあってあんまり進まないと言うか、見出しがあればと言う感じでセマンティックwebもSGML*3も妥協していると思う。長尾先生からセマンティックwebやSGML等の取り組みはどう考えている? 自分が昔にやったこと?
"あらゆるものがデータとして集まるならまず何を集めるべきか、構造化すべきものを選ぶことが図書館の役割になるのでは?"(山形さん)
- 山形さん
- インターネットで電子図書館みたいな話も変わってきているのかな、という印象。Googleやwebを収集している団体とかは著作権無視で集めていいことになっているし、言い方は悪いけどくだらないブログや何食ったとかいう話も図書館的に集めている。本当にそんなものを集める価値があるのかという疑問は色々な人が口にしているが、一方でそれを考えると今までの図書館は誰かが「これは世の中の雑音から世に出すに足るもの」という取捨を本なり論文なりで経ている。それを集めると知識が・・・という無言の前提があると思うが、今後は誰かのとった写真やGPSの座標データなんかも集まる。そうなってくると図書館って・・・「意味あるものを集めるべき」っていうときは構造化の意味もあるが、あらゆるものがデータとして集まるならまず何を集めるべきか、構造化すべきものを選ぶことが図書館の役割になるのでは?
- 長尾館長
- それは今の図書館のジレンマ。一方で多くの人の力を借りてSNSみたいな形で知識を整備したり翻訳をしたり、紙の本をデジタル化したり・・・と。もう一方ではネットワーク化されて、ある種の知識人が書いたものを読ませて貰っていたという一方向性だったのが、あらゆる人があらゆることを発信できる時代になっている。読者=クリエイターの時代。だからある意味では全部、集められれば集めたいが、おっしゃるように無限の内容になり集めきれない。ところが図書館が「これは集めてこれは集めない」とやろうとするとこれは図書館が価値観を持ち込むことになり、それはやりたくないしやるべきではない。たとえば漫画は30年前は図書館として残すべきかとかいう話もあったが、今は漫画が文化の源泉になっている。ブログだって将来どうなるかわからないし、平成20〜21年前後にはこんなことが世の中でやられていたという歴史を残す必要があるかも知れない。どうしたらいいかわからない、むしろ教えてほしい
- 山形さん
- その昔、バーチャルリアリティのブームがあった。モーションキャプチャで人の指の動きを記録するとか、職人の技を全部記録できるとかいうことを考えていた人もいた。そういうものが現実に出来そうだ、となってくると、「そこまで収集すべきか?」「できるんだけど・・・」人の1日の行動くらいは1TBのHDDでも背負っておけばできるが、なんでもかんでも集めるのがいいのか。またそれをやるのが図書館の役目か?
- 長尾館長
- 書物だけじゃなくて美術品とか彫刻とかとどう違うのか、とか。集めるべき対象は文字情報に限らないことになる。今も映像/音声も集めてはいるがどうしても力を入れられるだけの人員も予算もなく、申し訳程度にしかできない。音は今年度からようやくデジタル化しようかという段階。そういう中で図書館はどうしていったらいいのか? 他と横断的にリンクするしか仕方ないのか、とは思うが・・・
- 山形さん
- 映像や音はどう検索するの?
- 長尾館長
- 今は全然ない。研究的にはあるが図書館に実装された例はない。
- 李さん
- 「意味」って言葉がいくつか出てきている。情報を提供する側が意味と言う観点でフィルタリングをするのはいいのか? セマンティックもオントロジーベースで意味に向かって行っているが、人間は体験の段階で意味を持つしフィルタリングされる。そう言う中で図書館にしてもそうじゃないものにしても、フィルタリングをやることの意味って?
- 長尾館長
- 図書館としては集められるものはすべて集めたい。これを集めない、という判断は出来るだけしない。判断をすると意味が伴ってしまう
- 長尾館長
- おっしゃる通り。平均的な人間像を描いているし、連想検索も「誰かにおける連想」であって他の人の連想ではない。そこは意味をもちこまざるを得ない。
"「人間にプライバシーはないんだ」という観点から議論する必要があるかもしれない"(長尾館長)
- 山形さん
- 本当に難しい話。レッシグ*4の本でもよく出てくるが、インターネットや技術が発達したことで昔は一体になっていたものを別々にできる。昔はある人の情報を知るには家に入りこまなければいけなかったのが、今は電話で盗聴ができる。昔は個人情報を守るには家に入るなとか近づくなとかで出来てたが、今は分離してできてしまう。最初にやりたかったことをもう一度考えなおさないといけない。図書館がフィルタリングなしで集めたいと思ったとしても、どこかで・・・「誰かが発信する価値がある」と思ったものを集めることで成立している。誰かの価値判断は入っているが、今後色々なデータがもっと完全に自動的に集められるようになったらそれをどこまで完全にフラットにできるのか。最近面白かったのはオバマ大統領がブラックベリー*5が大好きで、あれを大統領に使わせるのは大丈夫なのかというのが問題になっている。結局使わせることにはなっているが、メールはすべて国家の秘密情報として40年後には全部公開される。出会い系サイトのメールとかも含めて。やろうと思えばわれわれのだって出来る。GoogleのGmailなんかは「消した」メールでも持っているんだろうし、そういうDBもどこかにできつつあるはず。買い物情報やGPS情報やカメラの情報がどこかにはたまっているはず。図書館自体が全部ためる発想からは変わってくるかも。「あそこにあるからあそこに任せる」とか。
- 長尾館長
- 子供の頃に人がいないところで悪さをすると、親には「人が見てなくても神様が見ている」と怒られたが、今は「人が見ていなくてもコンピュータは見ている」時代。プライバシーも守らなければいけないが、「人間にプライバシーはないんだ」という観点から議論する必要があるかもしれない。
- 山形さん
- 李さん
- 最近、クリエイティブコモンズで本を作られたりしているし、山形さんのバロウズ本*6なんかもクリエイティブコモンズの前から著作者を明記する分にはコピーや再配布自由と書いてある。その後は?
- 山形さん
ここで10分間の休憩。
あらためてブログにアップするためにメモを読み返してみると・・・ひとつひとつの話だけで2時間トークセッションが出来そうなテーマについて、ガンガン話題を飛ばしながらセッションされていますね(汗)
前回の池上先生との対談も、文字に起こしてみるとまた違った発見があったのではないかと思うとちょっと惜しいことをしたかな、と思います。
続いて後半戦。
長尾館長・山形さんのトークセッションはどんどん加速していきます・・・タイピングの打鍵音も加速かそくぅ!(五月蠅ぇ)
"検索してなかったら「ない」、「ない」というのも大きな情報だった"(長尾館長)
- 会場からディスカッション
- (長尾館長へ)「何を残すか?」という話があり、図書館側が価値判断すべきではないという話があったが、アーカイブズでは昔から何を残すかの価値判断の議論を出しては批判してきている。そういう考え方を図書館側が取り入れる必要があるのでは?
- 長尾館長:公文書の場合は各省庁で規定がある。基準が妥当かはわからないが。が、図書館がそういう基準を作れるかは・・・先ほどの話でわかるように基準が作れない。それから検索システムを考えたときに、良し悪しの基準の一つは検索対象となる情報が完備しているかどうかが大事。中途半端なデータが集まっているところで検索をしても人は満足しない。検索対象は出来るだけ完備された世界で検索を立てるのが大事。日本のDBはそう言う意味で完備してなかったのに対してアメリカはかなり徹底的にやっていた。アメリカので検索してなかったら「ない」、それは「ない」というのも大きな情報。検索対象となるDBは出来るだけ完備されたものであることが重要。完備させる点から考えると、どういう情報を捨てるのかは難しい。今の段階では答えを見いだせない。
- 取り込んだものが完全であるかは常に判断できないはず。探して、「なかったらない」ということはもう言えないのでは。リソースの違いであってアーキテクチャで解決できないのでは。
- (長尾館長へ)「何を残すか?」という話があり、図書館側が価値判断すべきではないという話があったが、アーカイブズでは昔から何を残すかの価値判断の議論を出しては批判してきている。そういう考え方を図書館側が取り入れる必要があるのでは?
"日本中の読者/利用者に対してイコール・ポッシビリティオポチュニティ*8を与えるのが義務。これを実現出来るのは電子図書館しかない"(長尾館長)
- ARG・岡本真さん(id:arg)
- 李さん
- ではこのまま後半の話題として。
- 長尾館長
- NDLがそもそも何を目指しているかだが、世の中が電子図書館の方向に行っているからやる、では話にならない。今考えているのは、遠いところに住んでいる人は国会図書館を使えない。日本中の読者/利用者に対してイコール・
ポッシビリティオポチュニティを与えるのが義務。これを実現出来るのは電子図書館しかない。これが電子図書館推進の根本的な考え方。本の保存のためではない、紙の方が電子より保存の信頼性は遙かに高い。保存ではなく、誰でもどこにいてもいつでも同じように図書館を活用できる環境を提供したい。ただ、著作権の問題とかいろいろ問題があってなかなか実現できない。著作者・出版者が困らないようにしつつ実現出来るモデルを考えないといけない。
- NDLがそもそも何を目指しているかだが、世の中が電子図書館の方向に行っているからやる、では話にならない。今考えているのは、遠いところに住んでいる人は国会図書館を使えない。日本中の読者/利用者に対してイコール・
- 山形さん
- どうあるべきかはよくわからないが、世の中にある情報を100%集めるのは無理というところから始める必要がある。図書館はあらゆる情報をフラットに集めたいとは思っているんだろうが、不可能。そこから脱出しなくてはいけないのではないかと。どういう色を付けて集めるのかに戻ってくるかとは思うが。ただ、Googleのやり方はリンクを元にしてやっていて、その背後にある思想はリンクに頼らずに知識を持っている人が一定数いるから、その人たちの作ったものに基づいてやれば・・・ということ。ベースとなる知識体系がないところだとそう言うことはできない。Googleが電子図書館をやりたいのは、webを作っている人間のいい加減な知識ではなく既存の知識体系を本の中から取ってきたいということがあるはず。そうすればいずれは「電子図書館」で検索すると長尾先生の本ばかり、ってことになるのかも知れないが、それで検索の精度を上げたいということもあるのではないか。それでわれわれの求める検索エンジン、知ってそうな人に「どういうことですか?」って聞くようなのと似た結果を得られるようにしたいのではないか。
- 長尾館長
- 図書館が持っている知識は一応信頼できるというか、ある程度以上をギャランティしているという仮定がある。ネット上のものは玉石混交。そこに相当の違いがある。図書館としてはネット情報を集める上でも出来ればある種のクライテリオンを設けて、信頼できるものを集めて・・・ということに当面はなるのかという気はしている。そういうこともあるし、Google検索のてっぺんに出てくる情報が信頼できないものであるなら多くの人が迷惑を被る社会問題になる。Googleの上の方の情報がどの程度信頼できるのか、ということをひっつけて出す検索システムを作らないといけないとは3〜4年前に言いだして総務省で研究費をつけて京大で一緒に研究していた若手の教授に頼んで、ネット上の個々の情報の信頼度を自動的にチェックできないか研究開発している。必ずしもそれが正しいかはわからないが、そういうことでもして出来るだけ多くの人が信頼している情報を主として集めるメカニズムがないとちょっと大変かな、とは・・・
"どこかにある、とわかればNDLで独り占めする必要はない。国会図書館に来れば全てわかるという時代はもう過ぎた"(長尾館長)
- 李さん
- 長尾館長
- 李さん
- たとえばGoogle Book Searchは色々な図書館と連携しているが、NDLが連携することは?
- 長尾館長
- あり得るかも知れないが、Googleが100〜200年つぶれないかはわからない。日本の中のことは日本が責任を持つことも必要じゃないか。そういう前提の上での協力ならあり得るが、日本のことは日本が責任を持つことが大前提になる。
- 山形さん
- 使う側としてはどっちでもいいが、日本でやるからGoogleはやるなとかでなく、いろいろなところに複数のちょっと違ったデータがあるのでもいい。統一的に持つ必要はないし、図書館だって同じ本をいくつの館でも持っている。データでもそういうことはあってもいいのでは。
"昔は絶対出版されなかったようなものが読めるときに、わざわざ変なものを自分で作りたいか。アーキテクチャ的に新しいことはやりやすくなってきているが、それをやる必然性がなくなってきている"(山形さん)
- 李さん
- 今、読む/受け手の話を中心にしてきたが、書くということも変わってこないか? 書き手がアーキテクチャの変化で変わってくることは?
- 長尾館長
- 書くことによって生計を立てる立場が尊重されるべきなのは事実。自分は書くのは研究発表と一緒で、出来るだけ読んでもらえるならただでもいい。それに対して小説家は書くことで生きている。そういう人が安心して著作活動に従事できるような、金銭的なことも含めた環境をどう作っていくか。それができればGoogleのやってることはいいし、63〜64%還元はそう言う意味でもいい。
- 山形さん
- 山形さん
- Book Search自体はよくわからないが・・・2chに書きこんでわけのわからないスレがたって、まとめサイトがたってそれをまとめて本になったり、携帯小説が本になってベストセラーとかの構造ができてくると、編集のところに著作物の重要性が移ってくる。カットアップはランダムに切り刻んで作るが、そうでなくて意図をもってものを切り刻むものの作り方がもう少し浮かび上がってくる。今の作家、著作者の見方は「僕がじっと考えてたらできた」という感じだが、人はゼロから作っているわけではなく素材を積み上げて作っている。もう少し、ネットの文章の作り方を意識的に整理すると、自分がどういう素材をどう使っているかのプロセス、創作プロセスが編集プロセスと見分けがつかなくなってくるのではないか。純粋な「著作者」のあり方が薄くなるんじゃないかと思うし、そうあるべきだと思う。
"現代は「解説文化の時代」(長尾館長)"/"(紙の)においからペストが流行っていた場所がわかるとか"(山形さん)
- 李さん
- そうなったときに図書館の役割って? 現状の図書館を抜いて考えると、どんな図書館があるといい?
- 長尾館長
- 現代は「解説の文化」の時代と思う。ほとんどすべてのものは過去に書かれている。『蟹工船』などの過去の本がリバイバルして売れている。それは過去のどこかにきらりと光るいいものがあって、現代はそういうものの上で新しく作りだされるものがみみっちいものばかりになって本当に素晴らしいオリジナリティが非常に少なくなっている。解説・編集文化の時代。だから過去の業績にまたスポットライトの当たる時代が来つつある。過去のもので何が本当に素晴らしいかを掘り出す目利きが必要。それが出版・編集の今後の力量と思うが、それを読者が自分でやるには図書館が必要。今の公立図書館は新しい本を買って古い本を捨てているが、捨てる時でもきらりと光るものは残してもらわないといけないし、NDLは一切捨てないからそこから本当にいいものを見つけ出すことがひょっとすると新しいものを作るよりも重要かも知れない。図書館はいいものを提供できるようなガイダンス、レファレンス・サービスの腕を磨かないといけない。「こう調べればいいよ」ってだけじゃなくて「こんな素晴らしいものが過去にありましたよ」とサジェスチョン出来るくらいに。
- 山形さん
- 昔から図書館のレファレンスが重要って話は出てくるが個人的にあまり使ったことがない。聞きにくいし、どう聞いて言いかわからないようなものを探していることも多い。レファレンスをよくするのはどうしたらいいのかちょっと個人的にはいまいちわからない。それは重要なんだが今後どうしていくかが課題になる。個人的に一方で、情報提供のほかに紙なり既存の媒体自体の保存に価値があるに違いないとも思っていて・・・昔、ある研究者が昔の税務署の書類を漁ってたらその記録のにおいをかぐ集団にあった、って話がある。ペストが流行した場所からの手紙は酢にひたしてから送ってきているので、そのにおいからペストが流行っていた場所がわかるとか。今捨ててるようなCD-ROMだって100年すれば「中国製のCD-ROMを使っていたところは・・・」みたいのがあるかも知れない。情報そのもののほかに媒体を電子化とどう共存させていくのか。
山形浩生にとって「夢」とは?*13
- 夢とはまだ実現してないその他のすべて、だと思う。いろいろな分野の翻訳をしているが、他の人のやりたがらない「その他」を引き受けているのが自分。何でも出来るかも知れないが、何事もできていない状態。未完成のものがたくさんある状態が夢。実現したら夢じゃない。実現してないけどいつかなるんじゃないか、なってほしいものとなってほしくないものも含んで、寝てる時のも現のものも含めて、夢。
以上、怒涛の2時間はあっという間に過ぎていったのでした。
・・・面白いと思ったことにboldかけていくと全文真っ黒になりかねない勢いだ・・・
一つ一つは長尾館長が別の場所でも発言していることもあったり、同種の話をweb上で見かけることもないではないとも思うんですが(それこそブログとかTwitterとか)、それが集まって電子図書館あるいは本の電子化、図書館の役割の話として語られていき、その中で印象的な発言やこれまでにない話がされていくところはセッション自体がお2人が折々で述べられている「編集」工程そのものであるかのような感じですね。
っていうか発言の一つ一つが面白すぎる。
山形さんの「Googleのケツをなめるべき」も相当ヒットでしたが、長尾先生もSGMLについての呆れっぷりの部分とか、あるいは国会図書館についての「国会図書館に来れば全てわかるという時代はもう過ぎた」発言とか・・・後者はそれはそうなんだけど、とっくに皆そう思ってたんだろうけど、館長自らそれをおっしゃるあたりはやっぱ今のNDLって凄いいい状況に置かれているよねとか。
見出しの一つ一つの内容を消化するだけでも何回反芻せにゃならんのかという感じのセッションでしたが、まだまだこれで終わりではなく。
対談相手はまだ未定とのことでしたが、このトークセッションシリーズはあと2回も残しているわけで。
次回は8月あたりの開催を予定とのこと・・・先着順であっという間に席がなくなる勢い(今回もそんなに広くはない会場に100人参加者がいました。18:45受付開始のはずなのにその時間にはすでに椅子の3/4は埋まっていました)なので、参加希望の方は開催情報に要注意です!*14
・・・しかしこのトークセッションシリーズ、企画の裏には長尾館長の面白さを伝えようと言う意図もあると聞いたけど、全力で達成しつつあるんじゃないだろうか・・・
*1:Ariadneについては長尾先生らによる一連の文献を参照: CiNii 論文 - 電子図書館Ariadneの開発(1) システム設計の方針:—システム設計の方針—, CiNii 論文 - 電子図書館Ariadneの開発 (2) データの入力と編集:—データの入力と編集—, CiNii 論文 - 電子図書館Ariadneの開発 3 検索支援機能:—検索支援機能—, CiNii 論文 - 電子図書館Ariadneの開発 4 読書支援機能:—読書支援機能—, CiNii 論文 - 電子図書館Ariadneの開発 5 電子図書館をめぐる諸問題:—電子図書館をめぐる諸問題—
*3:Standard Generalized Markup Language - Wikipedia
*4:ローレンス・レッシグ - Wikipedia。プロフィールにもあるが山形さんはレッシグの邦訳を多く手がけられている
*6:この本のことか?
*7:さしあたり英語版についではリンク先で全文ダウンロード可能。Codev2:Lawrence Lessig
*8:2009-05-13 22:35, yegusaさんのポストに基づき修正。egusaさんどうもですm(_ _)m
*9:
*10:このあたり等を参照:Googleブック検索、米裁判の和解が日本の著作権者にも影響
*12:
*13:d-laboではトークセッションの末尾に必ずこの質問をする。長尾館長の「夢」については前回のトークセッションエントリを参照。
*14:なお当ブログは今回、前回ともに開催情報を掲載していますが、過去2回とも自分が申込終わってからエントリにしています(卑怯者)