かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

図書館における「手段と目的の逆転」とか


昨日の図書館業務の基本原則の話、あるいは10/20の記事のコメント欄で出てきたLIPERでの学生の意識調査の話なんかを思い浮かべながらつらつら考えていた戯言(あるいは暴言)。


よく何かを批判するときに「手段と目的が逆転している」とか「手段が目的になっている」って言う表現が使われることがあるけど、図書館を巡る言説の中でも割とそういうことってあるんじゃないのかな、と思う。
昨日のアーカートの図書館業務の基本原則の中でも筆頭に挙げられていたけど、「図書館は利用者のためのものである」。
そして「図書館はそのサービスの代償を受けるべきである」。
これは単に「図書館は利用者が使うためのものである」ってことじゃなくて、「図書館は利用者がそれを使うことによってなんらかのプラスの影響を受け*1、そのことにより図書館の親組織へ貢献するためのものである」ってことであり、そうであるからこそ親組織は図書館のサービスに対して「代償(予算措置)」を払うわけである*2
大学図書館であればもちろん大学に、学校図書館であれば学校に、専門図書館であれば企業や法人に、公共図書館であれば自治体に、国立図書館であれば国家に、その構成員(図書館利用者)への情報提供を通じて貢献することが本来の図書館の目的、と言うわけである。
同じようなことを以前、「この人の未来予測精度はやべえwwww」って感じで紹介したM. K. バックランドは、著書「図書館サービスの再構築―電子メディア時代へ向けての提言」の中で、

図書館サービスは、以下の二つの根拠を基本原則としている。

  • 図書館サービスの役割は文献へのアクセスを容易にすることにある。
  • 図書館の使命はその帰属する組織の使命とか、奉仕対象者の活動を支援することにある。

(p.5 より抜粋)

と表現している。




いやね、何が言いたいかって言うとさ。
「どうやったら来館者が増えるか」とか、「貸出しが増えるか」とか、「皆が図書館を利用してくれるようになってくれるか」って言うようなことだけを考えているようじゃ駄目なんだろうな、と。
図書館の目的はあくまで利用者に貢献することであり、それが結果として親組織への貢献へとつながっていくことなわけですよ。
言ってしまえば来館も貸出も単なる途中段階でしかない。
「目当ての資料にたどり着けた」らOKかって言えばそれすら間違いで、その資料を使ったことで利用者が目的を果たせたりいい影響が出た、って段階まで行ってはじめて図書館の使命が果たせた、と言える。
自分がいま大学生なんでわかりやすく大学の例で言えば、たとえ毎日ほとんどすべての学生・教職員が来館していて、そのすべてが目当ての資料に迅速にたどり着けていて、図書館への満足度が非常に高いものであったとしても、その大学が研究はけちょんけちょんだし学生の学力は碌なもんじゃないし就職率も悪いし志願数は定員割ってます、っていう状況にあるならその図書館は見かけがどんなに良くても「なんか問題があるんじゃないか」って考えないといけないしたぶん実際に問題がある。
ぱっと思いつくものとしては、そもそも学生の情報要求がかなり低いレベルの図書・雑誌を求めるレベルにとどまっていて、かつ図書館が予算を重点的にそのレベルの図書・雑誌に回しているとか。
ぶっちゃけ学術誌の予算削って漫画や大衆誌買ってるとか。
それでも学生が学術誌使わないようなら満足度は上がりそうなもんだ。
その結果として大学全体の質が低下しているとすれば*3、それは「図書館利用」という手段と「親組織への貢献」って言う目的が逆転して、「図書館の利用を増大する」ことが目的になってしまっていることの弊害と言えるだろう。


そうは言ってもそもそも「図書館を使う」って選択肢を利用者に持ってもらわないと、図書館を使った方が効果が出るケースに図書館を使わないで無駄なコストをかける、なんてことにもなりかねないから、なんらかの形で利用者を引き付けるアピールをするのは必要だとは思うのだが。
それはあくまで来てもらう、使ってもらうことをその先の「親組織への貢献」*4へつなげるためのものであって、利用増大自体を目的に掲げた図書館は大切な何かを見失って迷走を始めることになるんじゃないだろうか。
一時期の複本大量購入問題なんかもその一例かもしれないが・・・「無料貸本屋」が悪いってんじゃなくて、無料貸本屋であることがかかるコストに見合うだけの自治体への貢献へとつながるのか、複本買うのに使った金を別の分野(極端なことを言えば図書館に回さなくてもいい。生活保護や公園美化とか。まあ多少本の代金削ったくらいじゃ全然足りないだろうが)に回した方が街が豊かになるんじゃないか、って突っ込みに敢然と立ち向かえるだけの論理を持っていたのか、単に利用増やしたいからやってたんじゃないのか、それじゃ「手段と目的が逆転している」んじゃないのか、と*5




逆を言っちゃえば、これまでの原則で挙げられているような図書館の役割を図書館より上手にこなせるものがあるなら、図書館なんて別になくったっていいわけで。
例えば誰もが「こんな情報欲しいなー」って思ったら空気中から脳内にうにょーんって情報が流れ込んでくる、アカシックレコードみたいな過去から未来までのすべての情報が網羅されたデータベースがあって、かつ人々がコミュニケーションしながら情報を利用したり遊んだりできる機能が1区画ごとにぽこぽこ乱立しててくれれば、図書館なんて別にいらない*6
現実にはそんな状況ありえないから図書館の必要性は依然、非常に高いものではあると思うけど。
言ってしまえば、図書館という存在自体、「手段」であって「目的」ではないんだよね、たぶん。
あらゆる組織がそういう性質は持っているのかも知れないけれど、特に図書館はその傾向が強いし、それを忘れちゃあいけない組織なんじゃないのかな、とか。


行きつくところは「図書館は親組織(の、構成員)のためのもの、親組織なくして存在しえない」と言う、図書館経営の授業では必ず言われる結論なわけだが・・・気を抜くとすぐ忘れそうになるんだよなあ・・・

*1:必要な情報を得るなど、直接的な目的を果たすことへの貢献がメインなのは勿論だが、いわゆる「場としての図書館」を利用することによる間接的な教育効果なんかもこの場合は含めるだろうし、公共図書館であれば地域の交流の場として働くことなんかも勿論プラス影響に含まれるだろう

*2:私設図書館など完全に独立した図書館はここでは置いておく

*3:いやもちろんそんなけちょんけちょんな大学では図書館だけじゃなくてなんでもかんでもえらいことになってるんだろうが、それはここではあえて言及しない方向で

*4:あ、ところで誤解を招きそうだから言っておくけど親機関の中でも「自治体」て言った場合は役所などの行政機関を指すのではなく、その自治体の構成員全体(つまり住民全般)をここでは指すってことで。

*5:もっとも、図書館に好意的な利用者を増やす、という意味では一時期の路線が間違っていた、と決めつけるのもどうかと思うが。バランスと時流の問題。

*6:いや、たぶんここにあげた機能だけだと見落としがあるような・・・でもアカシックレコード持ち出されたら情報に関しては勝てないか・・・?