先日告知もしておりましたが*1、これまで3回、セッションの記録を当ブログで紹介して来ました*2 *3 *4国立国会図書館長の長尾真先生による対談シリーズ「図書館は視えなくなるか? ―データベースからアーキテクチャへ」の第4段、いよいよ最終回となる濱野智史さんとのトークセッション『これからの知―情報環境は人と知の関わりを変えるか』に参加して来ました!
長尾真氏・濱野智史氏これからの知−情報環境は人と知の関わりを変えるか
「わかる」とは何か、知の構造化、集合知とオープンアクセス、etc...
情報環境の大きな動きの中、知そのもののありようが大きく揺らいでいるようにみえます。われわれは知との関わり方をどのように設計することができるのでしょうか。そして、知の集積として機能してきた図書館のアーキテクチャはどう変わっていくのでしょうか。知のあり方を長く探究し続けて来た情報工学者・長尾真氏と、情報社会論から新しい批評を切り開く批評家・濱野智史氏による、シリーズ最後をかざる未来に向けてのトークセッション!
- 対談者プロフィール
- 濱野 智史 氏
1980年生まれ。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員を経て現職。専門は情報社会論。特にウェブサービスのアーキテクチャ分析を中心的に手がける。
著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版,2008年)、主な論文に「ニコニコ動画の生成力」(『思想地図vol.2』NHK出版,2008年)など。
そもそも対談シリーズのタイトル自体「データベースからアーキテクチャへ」となっており、これはもう最後に濱野さんをお呼びすることが最初から想定されてここまでの流れがあったのであろうと言う期待の中に始まったセッションですが、期待を裏切らないどころか一部予想の遥か上を突っ走る展開にドキドキでした!
「え、まさか長尾館長にその動画を・・・!」という展開に一時騒然ですよいや本当に。
そして今まで以上にTwitterでの実況が盛んに行われ、「あれ、今回俺の打鍵音より大きな音が聞こえないか?」とも思ったくらいの次第でもあり・・・ハッシュタグ"nagahama"*5を見ていれば自分のブログいらないんじゃないかという気も若干覚えつつ、例によって以下、レポートです。
なおいつもどおり、min2-flyが聞き取れた・理解できた・書きとれた範囲でのメモであり、特に今回は濱野さんがご紹介されている社会学者についてかなり聞きとりきれていない部分があることをあらかじめご了解願います。
「ここ違うよ!」というようなところがありましたら、ガンガンご指摘いただければ幸いです。
では以下、本文です。
まずは今回でっかく掲げられた「これからの知」というテーマに絡んで、長尾先生、濱野さんそれぞれから「知」についてのお話から!
"私たちの時代は少ない知識をかき集めても仕方ないので自分で考えた。今は知りたい内容はほとんどどこかに書かれている、考えるより探す方が早い時代"(長尾先生)
- ファシリテータ:李明喜さん(デザインチームmattキャプテン)*6
- 1回目が池上さん、2回目が山形さん、3回目が円城さん。最終回はこのシリーズをしめるにふさわしい、未来に向かっての話。ゲストははじめての20代の濱野さん。『アーキテクチャの生態系』*7や『思想地図』のvol.2*8の中で執筆されている。
- 今回は大きく、「知」について考えてみたい。図書館の大きな役割は知のアーカイブ、集積体。今回は知の在り様そのものが大きく動いているように見える中で知がどうなるか、図書館は見えなくなるかどうなのかをお話ししてもらいたい。
- 「知」と言っても大きなテーマだが、まずは長尾さんが書かれた『「わかる」とは何か』*9という本の中で、知識と「わかる」ことの違いなどを幅広く書かれているので、そこをちらっと話していただきたい。
長尾先生
- 李さんから図書館は知の集積という話があったが、私たちの時代は図書館はろくなものではなく本すら十分になかった。いろんな課題、問題が出てくると少ない知識をかき集めても仕方ないので自分で一生懸命考えた。みんな深く考えた。
- 近年は図書館の知識やいろんなものがふんだんにあるし使える。考えることをあまりしなくなった。人類の過去から今日までの知識の累積の中には必ずと言っていいほど、直面する問題の答えがどこかに書かれている。自然科学の最先端の課題等を除けば、通常直面する問題、知りたい内容はほとんどどこかに書かれている。考えるより探す方が早いし楽である、という時代になった。大学受験の学生でも試験問題や練習問題と同じパターンの問題がどこにあったか、それを探して答えを見た方が自分で考えるより遥かに早い。幾何学の定理の証明は基本的な公理・定理から私たちはやっていて、難しい問題は何時間かけてもわからないこともよくあった。鶴亀算を1〜2日かかって考えたことが中学生のときにあった。今はそういう問題はなんとかして探せば必ずある。答えもどこかにのっている。それを見た方が早い。
- ある意味非常に嘆かわしい時代だが、厳然としてそういう時代であり、その代表は図書館が全部の本を持っていて提供するということ。しかし図書館と言っても本のどこにどういう問題の答えや回答があるかはわからない。電子図書館を一生懸命やっていて、実現すればそこまで行ってしまう。いいことか嘆かわしいか疑問はあるが、知識は体系化されてそれをひけばほとんどのことがわかる時代。
"知識と知は違うのではないか。図書館は知ではなく知識は供給できる、それを豊かにするのは「知」に変換することによってできる"(長尾先生)
長尾先生
- ただし同じ問題でも「こういう観点から」「また別の観点から」と人によって観点が違う。これからの図書館は利用者個人にとってうまい形で知識の体系を見せられる、ダイナミックな組織化を行えるような組織をしないといけないと思っている。今の図書館は非常に硬い分類システムによって知識が分類・整理されている。すべての人が同じ知識体系でひかなければいけない。将来のフレキシブルな電子図書館は個人の見方によって知識が再整理される必要がある。そうすると、利用者にとって非常に便利なものができる。
- ただ、多くの人はそれで利用できてOKと満足するが、それでは満足できなくて考えないといけないことも出てくる。すべてのことは過去の知識によって解決されていると言ったが、現在の場面というのは現在でないとならない。過去の場面における解決法とは違う答えも要求される。それに対して本人が考えなければいけないことを自覚しながら図書館、知識の体系を活用してもらわなければいけない。『「わかる」とは何か』という本の中にはそこまでは書いていないが。
- 知識と知は違うのではないか。
- 知識は学問的な体系で整理され、非常に安定している。誰が見ても同じ、何十年たっても安心して見られる。
- 「知」はそれも含みつつ微妙な内容が入っている。場面や読み手の価値観によって変わる。図書館の知識から本当にその人がある場面で必要とする「知」を引き出せるかといえば決してそうではない。自分自身を磨きながら、知識を自分の知となるように、自分の血肉に知識を変えることによってダイナミックに場面に応じ適用できる知ができる。単に知識を学ぶのではない、トレーニング・経験が必要になる。
- 「知識はわれらを豊かにする」というのを図書館長になって、国立国会図書館のキャッチフレーズとした。本当は「知」と言いたかったが語呂が悪かったので「知識」としてPRしている。図書館は知ではなく知識は供給できる、それを豊かにするのは「知」に変換することによってできる。
- 中国の国家図書館が先日100周年を迎え、訪問した際にこの言葉を中国語訳したものを書いて持って行って差し上げた(写真を表示)。
"「技術決定論」と「社会決定論」という2つの立場で悩んだ。「両方ある」、それを説明したのが「アーキテクチャの生態系マップ」"(濱野さん)
濱野智史さん
- 長尾先生のお話を聞いて、私は今29なのだが耳が痛いというか、インターネットも本もなくて自分で考えないといけないということで・・・批評家としてまずいのだが、私は最近もググってばかりいる。
- 私は大学に入る前はかなりの図書館っ子だった。学校の隣に都立中央図書館があって、15歳からしか入れないので中学3年生になったころからすごい通っていた。今はググってばかりで反省しないといけないと思って聞いていた。
- 自己紹介がてらなぜ今のような研究をしているかについて。『アーキテクチャの生態系』はwebについての社会学的な話。ネット上のコミュニティ・コミュニケーションを仮想的な空間における社会とみなして研究する、というのをずっと大学でやっていた。1999年に大学に入ったので、ちょうどインターネットが学術的なものから普通の人が使うものになり、ネット上でいろんな人とコミュニケーションするようになったころ。そのメカニズム、ダイナミズムをずっと研究してきた。
- 『「わかる」とは何か』という長尾先生の本は科学研究、科学哲学のような話が多く懐かしかった。社会学では科学的な方法論が理系の研究とはかなり違う特徴があり、インターネットの社会学研究についても方法論で7〜8年迷走してきた。『アーキテクチャの生態系』も方法論を作りながら書いた。
- よく言われるが社会に法則論がないことの例として、ギデンズが再帰性という話をしているが、「ある商品をこういうタイミングで買うとすごい儲かる」という法則が発見されたとして、自然現象ならそれが反復されるが社会現象はみんながパクっていくので価値がなくなり法則が消える、あるいは逆に儲からない法則になる。法則を見出してもすぐ変わってしまうので法則にならない。そういう中でずっと方法論で迷走してきたのが社会学。ウェーバーの一派やデュルケムのような一派もいれば、そのあとそれらを統合したパーソンズがいてそれも無理で・・・とけっこう社会学の歴史がある。
- 「技術決定論」と「社会決定論」という2つの立場がある。「技術が社会を変える」式のもの、マスメディアレベルでIT革命というときはこちらの考え。社会と切り離された技術が変わると社会も変わる。社会決定論、あるいは社会構築主義は社会的なものがさまざまなものを変える、技術は社会に埋め込まれているという立場。私が悩んだのは、両方イエスであるから。私はブログから研究をはじめたが、ブログによって明らかに変わるものもある。だけども、日本では結局ブログ的なものの仕様が変えられて、日本人が好むような習慣にあわせてアメリカのツールではないものに変形され普及していく。両方説明しなければいけない。そこで『アーキテクチャの生態系』で使ったのがアーキテクチャの生態系マップ。インターネット階層モデルを書き換えたものなのだが、基底的な技術のもとに階層的にサービスが連なっていく、そのモデルを社会学的に当てはめると英語圏では英語圏の条件に従っていくが日本に入ると日本に合わせて分岐する。進化の分岐のようなものがインターネットと社会の接点で起きている。これは技術決定論と社会決定論だけでは説明できないので、進化のパスは技術決定的に決まるが枝別れは社会決定的に決まるというイメージをマップにした。
"ウェブ学会は若い方々が素晴らしいお話をされていた。濱野さんはじめ激論されていた方々に非常に期待をもった"(長尾先生)
- 李さん
- 長尾先生
- ウェブ学会は若い方々が素晴らしいお話をされていた。私のような年寄りが聞いていると本当に日本のこういう分野の方々は世界のトップをいくものの考え方をして、しかも活発に議論をし、諸外国の分野の人たちにもチャレンジしている元気さを見た。日本も捨てたものではないと思った、大いに今後も期待すべきとひしひし感じうれしかった。
- それはそうとして、今濱野さんがおっしゃったことには私も関心があり、「情報社会の生態学」という言葉を作って1991年ころに使っていた。情報が生まれ、発展する際にどういう風に社会とインタラクションして広まったり衰退するのか、ということを研究しないといけないと言っていたのだが、私は社会学の基礎的なトレーニングができていなかったこともあり碌なことができなかった。濱野先生のお話があって素晴らしいと思った。理学で言うところの「場の理論」なのではないかと思うが、場の作られ方が技術によってある程度決まる。しかしそこで何が動きどう変わるかは場の在りようによって説明できる。自然科学においては社会・民族にかかわらない不変の動きが場にあるが、人間の場合は民族性や国・社会により同じような場でも動きが違う。情報社会における生態学が違ってくる。こういうことを濱野さんの本では素晴らしくうまく説明されていた。webの世界の知・人間のありようも場の設定がどういうものであったか、例えばブログ・Twitterのメカニズムを提供するといったネットの世界のいろいろなスキームを社会の人がどう使いコミュニケーションし、それぞれの知をリードするか。非常に面白いダイナミックな世界。研究して貰わないといけない。濱野さんはじめ激論されていた方々に非常に期待をもった。
"ニコニコ動画は「シナのある百科事典」顔負けのはちゃめちゃな分類。そのおかげで活発なクリエイティブ活動が起きている。ポイントはタグそのものが自然淘汰する仕組みになっていること"(濱野さん)
- 濱野さん
- 長尾先生の論文を知らなかったので明日、さっそく読みたい。「場の理論」が私の言葉ではアーキテクチャになるが、ちょっと前ならインターネットと言えば電子メール、WWW、FTPくらいであったが、今のインターネットはアーキテクチャがわらわら発生する。私はダーウィニズム的に、人々に受けるものがあればわーっと成長するというような話で、まさにダイナミズムのある面白い話。その中で注目すべきがウェブサービスなどの設計のされ方そのものだと考えていた。
- 『思想地図』のvol.2で「メタデータ論」という話をしていて、その中でニコニコ動画のメタデータ管理システムの話をしている。図書館ではメタデータが固定的に決められていてある程度の不自由さと構造があるが、今のwebサービスは膨大な情報の整理・構造化のイノベーションが次々起きているが、その中で特に面白いと思っているのがニコニコ動画。
- 長尾先生にニコニコ動画の話ができるので盛り上がっているw
- デイヴィッド・ワインバーガーが『インターネットはいかに知の秩序を変えるのか』*10でメタデータの話をしているのだが、人類のものや情報の整理には3段階あるという。第1段階はごく普通に家でやっているような、物理空間上のものを物理空間上に保存する。第2段階は図書館的な整理、膨大なものを1か所で体系的に整理するのでまず物理空間を体系化し、その案内板としてのメタデータをどこかに保存する。これは分類されるものは物理空間、分類するものは情報。第3段階がポイントで、これは整理する対象も整理するメタデータの側も情報空間にある。この場合、今までの図書館ならいちいち本を取りに行かなければいけなかったのが、ネット上ならしゅーっとあるメタデータをもったものを集められる。ワインバーガーはソーシャルブックマークのタグシステムの話をしていて、みんなが勝手につけたものを集めれば整理できるのできまりきった場所に、排他的な分類に納めなくていいということ。この本の原題は「すべてはばらばらだ」という意味。フォークソノミーについて、比較的常識的な話をしている。
- 私が書いたのは、フォークソノミーよりさらに乱雑な分類をニコニコ動画ではしているという話。ボルヘスの「シナのある百科事典」に出てくるはちゃめちゃな分類の比喩があるのだが、ニコニコ動画はそれも顔負けのさらにはちゃめちゃな分類をしている。「混ぜるな自然」とか、長尾先生は何の動画かわからないような・・・わからなくていいんですがw カオスなタグがいっぱいあって、そのおかげで活発なクリエイティブ活動が起きている。
- 問題は、分類を作るためのシステムがニコニコ動画はほかのシステムと違ったということ。すごい簡単に言うと、ポイントはタグそのものが自然淘汰する仕組みになっていること。ニコニコ動画はみんながタグを入れられるが、それを他人がどんどん消したり変えていい仕組みになっている。これは普通ありえない仕組み。ソーシャルブックマークなら数人がばらばらにつけられるのだが、ニコニコ動画は勝手に消せるという前例のない仕組み。さらにそれだけでなく、原始的なチャットにも似ている。他人のを消すと同じ事をしているような人と会話しているようなモードになってチャット状態になる。タグに「もうすぐ消えます」とか書いてすぐ消されるとか。ただ、バタバタ書いているうちにすごい面白い分類を生み出すやつが出てきて、それが出てくると作者がタグをロックしたり、同じタグを誰かが使ってくれたりしてタグが進化したり変形したり淘汰されるようにうまく作られている。
- さらに量子力学の比喩を使っていて、同じ動画でもアクセスした時間によってタグが全然違う。勝手に違う分類体系のもとに同じ動画をみる現象が量産される。アクセスした瞬間に確定する、ということも特徴。
- そのおかげでダイナミックになっていて、しかも必ず人と衝突・コミュニケーションして評価が与えられるので、カオスでいながら有効なタグが与えられていく。今まではフォークソノミーと言っていたものからさらにどんどん流転する、ということでフラクソノミー(Fluxonomy)という話をしている。
長尾館長にニコニコ動画をお見せしよう!/『電子図書館』増補・復刊のお知らせ
- 李さん
- ちなみに長尾さんはニコニコ動画はご存じ?
- 長尾先生
- 名前だけ
- 濱野さん
- お見せしましょうか?
- 李さん
- 見てよりわからなくなる危険性はありつつ、見ていただいた方が・・・
- (濱野さん、ニコニコ動画を長尾先生の前で実演する)
- 濱野さん
- 長尾先生に見せてもよさそうなやつ・・・
- 李さん
- そのセレクトは重要
- 濱野さん
- この間のウェブ学会とか・・・ないか。あ! フラッシュアップデートが・・・!
- (min2-flyコメント:なんかFirefoxをdisりつつGoogle Chromeを褒めていたがまずそうなので記録はなしでって書いているけど)
- 李さん
- 長尾さんはウェブ学会は何時くらいまで?
- 長尾先生
- 自分が話をした後もちょっといて、濱野さんの話はずっと聞いていた。
- 李さん
- あのあと実際に開発しているような現場の人の話があった。あの辺の話も聞かれたら面白かったのでは。
<フラッシュのインストールに時間がかかる・・・>
- 李さん
- 長尾先生
- もう15年前の本なので古いかなと思って読んでみたんですが、インターネットの部分以外はいまだに実現されていないことが半分以上。近い将来必ず実現すべき内容が書いてあるところは参考になるのではないかと思います。その中に、私が一生懸命言っている出版界と図書館との関係、電子出版の世界で出版と図書館はどういう関係になるか。出版、図書館、著作者がwin-winになるビジネスモデルの実現に向けて努力しているのだが、そのことがその本の最後に書いてあって自分でもびっくりした。
- 李さん
- ちょうどデジタルブックが出始めたころに出た本。今、Kindleとか出ているが、日本でデジタルブックの端末が出て、それがうまくいかなかったわけだが、そのあたりは今だからこそ考えるべきテーマかも。
- 長尾先生
- 来年には日経新聞が電子新聞も出すというし、これから変わっていく。
- 李さん
- みなさんよろしく、というところでスタンバイが。
- 濱野さん
- 「世界の美しい図書館集めてみた」の動画を紹介(ニコニコ動画の解説。その場で「長尾先生もみてるよ!!」と濱野さんがコメント)。
- (一時、「みくみくにしてあげる♪」が再生されそうになっていてびびっていたのは自分だけではないはず)
- (タグの説明をしながら「長尾館長参上動画」というタグをつける。いいのかそれ! ちなみに12/11 22:30現在は消えていました)
- (ちなみに紹介されていた動画は以下)
- 李さん
- 大変わかりやすい。あまり盛り上がっていない動画なのでかえってシンプルにお伝えできたかも。
- 時間がちょうど半分になったので、このタイミングで休憩を。
<休憩タイム>
-
- (min2-flyコメント:休憩時間を利用して長尾館長にさらに細かくニコニコ動画の説明をする李さん、濱野さん。すごい絵だなこれ)
"レヴィ=ストロースが構造を見つけたような、一つ背後にあるメカニズムについてこういう世界がどこまで肉薄していけるのか"(長尾先生)、"これからはメタデータの次元に主役が移っていく"(濱野さん)
- 李さん
- 濱野さん
- 私はやっぱり、今のwebを中心とした集合知と呼ばれる現象の特徴というのは、集合知という言葉だとうまく捉えられていないとも思うんですが、進化とか淘汰の概念。たとえばK. Popperは客観的知識という話をしていて、Popperは晩年、反証可能性を経て様々な知識が概念的に存在し、それらが淘汰を繰り返し・・・という話をしていて、私は集合知というのはそれをまさにアーキテクチャ上で展開しているのではないかと思う。たとえばニコニコ動画は知の分類の在り方そのものにイノベーションを起こしたので成功した。Googleもどの知を引き上げどれを下げるかを単純にあリゴリズム化した。現在の集合知はPopperの進化論的アプローチがヒントになっているのでは。
- 長尾さん
- ニコニコ動画を見て私の出る幕ではない新しい時代の展開をひしひし感じたが・・・このようなカオスの世界の中からある種の知・知識をひねり出すのが集合知・・・集合の世界から出てくるものであって、一人の世界から出てくるものではないという特色は非常に感じた。この世界がどういう深みを持っているか、内容全体を全く分かっていないから間違ったことを言うかもしれないが、知識はやはり集合的に広い世界で展開したものと、バックにある、ある種の深い知識、例えばレヴィ=ストロースが構造を見つけたような、一つ背後にあるメカニズムについてこういう世界がどこまで肉薄していけるのか。それができる可能性も十分あるし、そういうことがこの世界で議論されると知の構造化の非常に面白い世界が展開するのかと思う。そういうことは行われているのか?
- 濱野さん
- 知という点では(ニコニコ動画は)ニートばかりだし深みはないが、メカニズムという点では非常に面白い。福嶋さんという批評家はレヴィ=ストロースの観点からそこから出てきた作品について述べていて、今までは人間が主体としてすごい重要だった時代だったのが、これからはメタデータの次元の方に、ニコニコ動画のようなサービスが多くの人に見られることはすごい強いメタデータを抱えているということで、主役がメタデータに移っているという。レヴィ=ストロースは彼自身が一人ニコニコ動画のように研究したわけだが、今はそれがサービス上にあらわれてしまい人々が脊髄反射的に考えたものがネットワーク構造を作る世界が現れている。レヴィ=ストロース的なプロジェクトが今後融合していく可能性がある。
- 長尾先生
- 知に対して深い構造が出てくるような場が作られると面白い。
- 濱野さん
- 大学時代の先生がデータマイニングを研究しているのだが、そのころからずっとそういう研究は見ていて、web学会でもそういう研究を見てきたが、まだまだと思うのは今はビジュアライズして「すごい構造になっている」というのを見せるところにとどまっている。これから、ここからの10〜20年は学際的な人間がいたような研究をどうやっていけるのか、私個人の関心としてもある。
- 長尾先生
"ヴァーチャルな世界とリアルな現実のかい離を社会学はどう捉えるのか?"(長尾先生)、"セカイカメラのように現実にタグやコメントを入れられる、ヴァーチャルとリアルが融合していくのではないか"(濱野さん)
- 李さん
- 長尾先生
- Wikipediaのような集合が、日常生活については非常に単語があるがある種の分野についてはない。分野によってさまざま。しかし辞書はどんな分野についても均等に見出し語・説明がなければいけない。空間的にある種の粒度でもって全世界を覆えるような、そういう概念構造が作られている必要がある。そういう概念構造があるものが時代によってどう変遷するかの、時間の流れについても記述がなければいけない。Wikipediaもそういう方向で展開・発展する必要がある、と話した。webのような知識の世界でもこういう知識・情報が3〜5年といった時間のスパンでどう変わるか、どういう新しい知の構造化の試みが出てくるかを社会学的にもきちんと見なければいけないのではないか。
- 李さん
- 長尾先生
- 多次元空間ととらえて分析する必要がある。
- 濱野さん
- 長尾さん
- 議論の観点が変わるが、そういうヴァーチャルな世界とリアルな現実がこういうことが進むとかい離すると思うがそこは社会学的にはどう考えられている?
- 濱野さん
- 長尾さん
- ARのようなものはちゃんと見ていく必要はある。
- 濱野さん
- 長尾先生
- よくわかる。多次元的なオピニオンが成立していく中でコミュニケーションが成り立っていくことで、意見の違うグループでも情報交換・相互理解が行われるようなヴァーチャルな世界はリアルとほとんど同じ。それが健全性を支える。
"Web的な知を考えることが次の時代の学問を考える上で重要"(濱野さん)、"それぞれの生き方に知や知識を引きつけて考え直さないと生かれない時代に戻るのでは"(長尾先生)
- 濱野さん
- 集合知に話を戻すと、フーコーという有名な学者が『知の考古学』*12という本を書いていて、その中で彼は知はある種の権力である、と言っている。精神分析の研究は狂人を医学的に分析する学問の体系化そのものが近代の支配体制と密接に連携していて・・・という話をしている。ふつう「知」というのは体系的に研ぎ澄ませていくというイメージだが、それが権力になっているとするならばそれに対抗するには同じスキームにのるのではなくいろんなところから知を持ってくる、普通と違うアプローチをしないといけないという話をしている。その時に面白いのは普通の知が単線的な秩序にしたがっているのに対しばらばらに切り刻まないといけない、という話をしている。私がこれを読んで思ったのは、今は同じようなばらばらなことをネットの側でやってしまっていて、ニコニコ動画で遊んでいるニートの方が『知の考古学的』なことをしている。そういう現実を前にどう知を体系化すれば、ということで一周してしまっている。Web的な知を考えることが次の時代の学問を考える上で重要。
- 長尾先生
- フーコーのいうことはわからないでもないが、知や知識が人間にとっていかなるものであるかという問いを発した時に、それがゲーム的なもの以上のものではなくなってしまうのではないか。人間が生きていくうえで知識が人間にとってどういうものであるべきか、という世界に戻して考えないと、知・知識が爆発して好きなようにできる、遊ぶという意味ではいいかも知れないが・・・そういう意味では今のフランス哲学は変な方向に行っている気がする。
- 濱野さん
- 長尾先生
- それぞれの生き方に知や知識を引きつけて考え直さないと生かれない時代に戻るのでは?
"個人にとっての知の世界と、全体の知の世界とのギャップに対してどう解決法があるのか"(長尾先生)、"理論的・知的な飛躍はあるにしても社会原理・秩序原理に帰っていくような知が今後求められるはず"(濱野さん)
- 李さん
- 知を支えるアーキテクチャは時代とともに変わっていて、フーコーの時代と今のニコニコ動画の状況は明らかに違う。そこを比較しても意味がない。どっちもありようは変わるし、最初の話に戻れば日本は外在する情報から行為を作っていく。知のアーキテクチャはいくつもあっていいはず。今のようなwebが急激に広まってきた状況でどっちがいいというのはない。みんなwebになるのは無理だし、若い世代に図書館をもっと使えと言っても無理。最近、僕が発見したのは、リアルとヴァーチャルを単純に対比するのではなくそれらを両方あわせもったアーキテクチャを設計側で作って、使う側が選べばいい、っていう風にすると実はリアル・ヴァーチャルの対比でも総和で考えればリテラシーの個人差は埋まる。リアル・ヴァーチャルだけのリテラシーでコミュニケーションをとろうとしても個人差が大きいのでコミュニケーションが取れない。制度・アーキテクチャを作る側が両方用意しておいてユーザが選べるような。
- 濱野さん
- どういう方向で今の話に返そうか・・・李さんがおっしゃったことを僕なりに言い換えると、今は環境・アーキテクチャを作る人の権限も範囲も拡大している。昔は建築家・ものや空間のデザイナーがそういう役割をしていて、リアル空間しかなかったのだから当然。これだけヴァーチャルな世界が広がると、個々の場を設定する人ができることが拡大する。レッシグが『CODE』*14 *15で言った観点でもあるが、そういう状況での倫理については主要なテーマになってくると思う。今の李さんの話にひきつけるなら、僕の考えでは・・・さっき長尾さんがおっしゃっていた、個人個人の知の解釈と関連しているとも思うが、一方で構造化させることができる設計もすごい拡大していて、ニコニコ動画もそうだし情報の整理の仕組みのさじ加減一つでいろんなことが失敗したり成功したりする。一方で利用する側の知の重要性もすごい拡大していて・・・長尾さんの話とうまくまとめられないが・・・
- 長尾先生
- ちょっとわからない。昔、昔のフランスのエンサイクロペディアの時代でも素晴らしかったが、現代は人間も扱いうる範囲から、人間の頭脳のキャパシティからすると受け入れられないすごい世界が展開している。ものすごい人が参加してできてくるものは確かにすごいが、一人の個人の頭脳でそれを見た時にどこをどう享受し理解できるのかが問題になるのではないか。そうすると、個人にとっての知の世界と、全体の知の世界とのギャップに対してどう解決法があるのか。またあらためて問われる時代になったのでは。
- 濱野さん
- おっしゃる通り。今は空白の時代、超スーパー百科全書派みたいな時代で、啓もうしているつもりがどんどん暗くなるような時代でもある。今の時代、ルソーならそこを理論的なフィクションで理念をバンと立ち上げていくはず。理論的・知的な飛躍はあるにしても社会原理・秩序原理に帰っていくような知が今後求められるはずで、若い我々はがんばっていきたい。
"「図書館」から「図書環」へ。ある種の生態系がある中で、そういうものとして図書環のイメージを変えていくことが一つのまとめとしてあるのではないか?"(濱野さん)
- 李さん
- 長尾先生
- 濱野さん
- それに関して事前に準備していたものがあるのだが。言葉遊びのレベルではあるが、長尾先生のおっしゃる第3ステージでは図書館の「館」を環境の「環」に変えたらいいのではないか。名古屋の方に「図書環」というものはあったがそちらはただの図書館のネットワーク。今までは図書館のようなものに集積していたが、今後は瞬時に検索できることを前提にして、さまざまな知的活動を膨らませ、支える屋台骨をするための図書環というイメージに変わるのではないか? ある種の生態系がある中で、そういうものとして図書環のイメージを変えていくことが一つのまとめとしてあるのではないか?
- 李さん
- ヴァーチャルとリアルを併合した環境というのはこれがイメージにあった。皆さん「図書環」を一斉にtsudaってください。
"information retrievalではなくfact retrievalをするには本の解体がいる、それが電子図書館のもっとも面白いところ"(長尾先生)
- 李さん:会場からはどなたか?
- ??さん
- 個人的には長尾先生の肉薄する、という言葉がすごくどきっとした。長尾先生に質問。図書館のありようということで検索・編集の技術ということでうまいシステムがありうるのではないかとのことだったが、それは1冊ずつの書籍が崩れるということ?
"情報は取り入れないといけないが、ある時点で遮断して熟成する期間がないといけない"(長尾先生)、"熟慮が挟まるようなコミュニケーションの場所をどう作るか"(濱野さん)
- ??さん
- 最初の方で考える⇒検索する、ということについて長尾先生から嘆かわしいというような話があったが、それがどんどん加速されるのでは? 書籍が一つの人格・人であるとすれば、書物とのセ仕方は人に対するものと近いもの。ある種のコミットメントがあることで点から点ではない、わかる感覚につながると思うのだが、それが崩れれば本当に点から点に進むのでは?
- 長尾先生
- コミットメント、というのはいい言葉。非常に大事。「わかるとは何か」というわけではないが、自分の血肉となるところにつながる。ただ、知識は吸収しないといけないが、吸収しすぎるとおかしくもなる。今までいろんな研究をしてきたが、世界中の人があるテーマについてどう考えているかを徹底的に調べた後は、何も見ずに考える。そうすることでほかの人たちがやっていたことではない、何か新しいものが出てくるのを待つ。待つ間は苦しいが、そうすることで新しいクリエイティビティにつながっていく。情報は取り入れないといけないが、ある時点で遮断して熟成する期間がないといけないと思っている。なのでニコニコ動画なんかはどうなるのかな、と。
- 濱野さん
- 手紙の時代は送る前に見たりして躊躇した上で、コミットメントして出すものだったのが、ニコニコなんかは思いついたものをパンと、しゃべっているように文字を使っている。文字が声のようなものになり下がっている。これに対して熟慮が挟まるようなコミュニケーションの場所をどう作るかは、リアルタイムを共有する場こそそうなる可能性もあって。今までの常識が変わるとは思う、一見とんでもないようなものが熟慮のためのポイントになったりするかもしれないしそうするように努力すべき。私は勝手に大丈夫だと思っている。
"僕は本気で「図書環」を作っていきたいと思うし、長尾さんにももうひと踏ん張り一緒にやってほしいと思っているし、それには会場にいらした、あるいはTwitterで中継を見ている皆さんの力も必要"(李さん)
- 李さん
- 話せば話すほど面白い観点があって、大きな話をまったくまとめられないまま切断せざるを得ない。質問については皆さんから受け付けて、d-laboのブログで回答もするので是非書いてください。最後に一言だけ、お2人から。
- 濱野さん
- 普通に考えたら私のような人間がなぜ長尾先生と話しているのかという。でも今日は本当に長尾先生とお話できて、人生を通じてやっていく大きな課題をいただけたと思う。
<最後に、いつもの質問:2人にとって「夢」とは?>
- 濱野さん
- 長尾先生
- 社会は泥沼のようなところで、しかし蓮の花は泥沼から出てきてきれいに咲く。夢は自分の生きていく原動力であると、私はロマンを求めて頑張ってきたし、これからもそれを捨てられないのではないかと思うので、夢というのは自分にとっての最大のあこがれ、それなくしてはいられないということ。
- 司会の方
- 長尾先生はずっと対談相手に「若い方、これからの方」ということを指定されてきた。新しいものを取り入れることに熱心な方というのを感じました。
今回はほんっとーに時間がもっと欲しかった!!!
終盤、長尾先生と濱野さんが個人の知と全体の知のギャップを語られ出したところで時間切れになってしまったのが非常に残念と言うか「ここでかー・・・!」と言うか。
テキストに起こして見るとあらためてわかるのですが、今回お2人のセッションはかなり噛み合っているというか、まさに「セッション」になっているんですよね。
お互いの発言にコメントしあいながらどんどん話が膨らんだり収束したりしていく感じで、もうしばらくセッションが続いたならばどのようなところまで進むのか・・・というのは大変興味がありました。
「若い方、これからの方」と長尾先生のセッションという企画の意義が実に良くあらわれていたのではないかと思います。
そして最後に出てきた「図書環」という濱野さんからの提案と、李さんからの「僕は本気で『図書環』を作っていきたいと思う」という熱い表明、そして協力要請で全4回のトークセッションがこれだけで終わるものではなく、むしろここから始まるものであると言うことをあらためて考えました。
それにしても、このような一連のトークセッションが実現し、それも図書館員だけではなく李さんのような方々の積極的なコミットメントによってなされたこと、そして毎回図書館とは直接関係のない気鋭のゲストを招きながら関連するテーマを扱い続けたこの企画の意義と言うものは測り知れないものがあると思います。
それもこれも李さんたちの「長尾館長のキャラを積極的に出していこう!」と言う考えから始まったことで・・・長尾館長、李さんはじめ企画・スタッフの皆様、対談ゲストの皆様のおかげでこれだけ面白く、興味深い対談シリーズが実現したことには本当に感謝してもしきれないものがあると思います。
ありがとうございました。
お手伝いできることがありましたら(自分にできることなら)なんでもしますので、また是非、面白い企画をガンガン打ちだしていってくださいっ!
*1:イベント告知:「図書館は視えなくなるか? ―データベースからアーキテクチャへ」 第4回「これからの知―情報環境は人と知の関わりを変えるか」」(長尾真×濱野智史) - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
*2:トークセッション『自律進化するデータベースはつくれるか』(長尾真 × 池上高志)を聞いてきました - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
*3:「構造化すべきものを選ぶことが図書館の役割」、「Googleのケツをなめるべき」、「電子図書館しかない」etc...印象的な言葉の飛び交うトークセッション『もう、「本」や「図書館」はいらない!?』(長尾真×山形浩生) - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
*4:「書かれたものをばらばらに組み合わせるとお前のものというのをどう越えられるか」/「書店はなくなる可能性はある」、「(本も)おそらくなくなる」、「専業の書き手もいなくなる」?!...トークセッション『言語とはなにか:書く、伝える、遺す』(長尾真×円城塔) - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
*5:http://twitter.com/#search?q=%23nagahama
*6:matt | atlas ver.beta: profile アーカイブ
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*8: NHKブックス別巻 思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション
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*10: インターネットはいかに知の秩序を変えるか? - デジタルの無秩序がもつ力
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