かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

移民社会と図書館


id:humotty-21さんのところの「妄想」を読んでて思った話。

「妄想」と言われつつも面白い話が多かったので乗っかる感じで。


humotty-21さんの記事の今回取り上げる該当部分はこちら。

アメリカと日本では図書館のあり方は違う。それは図書館を受け入れる国、土地、人が違うからだ。ではアメリカと日本の土地的・国的な違いは何か?

それは和辻哲郎風土記にある。

アメリカが移住してできた国であるのに対し、日本はその土地に根ざした生活だった。家という概念があり村という概念があった。もともと日本はその土地に定住し、コミュニティを形成して暮らしていたために、なんでもかんでも口に出して説明するようなアメリカナイズなコミュニケーションではなく、口には出して語らないこと(コンテキスト、背景)でコミュニケーションを行っていた。

であるから、そういった日本の特質を汲み取って、日本の図書館もアメリカとは違った特質を持つべきだ。

それは何か。そう、地域貢献である。日本人が昔からその土地に密なコミュニティを形成してきたのと同じく、図書館もまたその地域に根ざしたもの、密なコミュニティの中心となることがもっとも日本に適しているのではないだろうか。

移民社会としてのアメリカの特性がアメリカにおける公共図書館のあり方に大きく影響を及ぼしているのは間違いないだろう。
移住者によって造られた国家であるだけでなく、その後も国として移民を受け入れ続けたことが特に大きい。
菅谷明子の『未来をつくる図書館-ニューヨークからの報告-』の中で、『ニューヨーカー』誌に掲載された「自由の女神がニューヨークへの到着を歓迎する象徴的な門であるならば、図書館は移民たちがその可能性を伸ばすことができる場である」という言葉が紹介されている*1が、ニューヨークに限らず移民・移住者の支援はアメリカにおける公共図書館の大きな役割である、と言うことができる。
例えば移住者に関する支援、と言うことでは基礎的な英語の読み書き能力=リテラシーの支援もアメリカでは公共図書館の役割とされている*2し、前掲の『未来をつるく図書館』の中では生活情報提供等の形での支援も行われている、と紹介されている。
移民社会とはすなわち常に一定数以上の「コミュニティ外から新たに地域コミュニティに参加したもの」が存在する社会であり、移住者のためにもコミュニティ自身のためにもそれらの移住者をいかにコミュニティに馴染ませ、コミュニティの一員として活動できるようにするか、と言うことが大きな課題となる。
英語で日常のコミュニケーションを取っているコミュニティに英語のできない移住者が増えれば、移住者側では就業等の問題が生じるし、コミュニティ側にも内部にコミュニケーションをとることのできない別コミュニティという不安要素を抱え込むことになるわけで、それだったら移住者のリテラシーを支援することで不安要素を解消するにとどまらず、移住者という新たな力をコミュニティに取り入れていこう、と言うのは至極まっとうな話である。
で、そのような役割(成人教育などを含む)が社会教育施設である図書館に課されるのも、当然といえば当然の話。


あるいは「移民」とまでいかなくても、引っ越して来た人への支援、と言うこともアメリカでは手厚いと言われている。
アメリカで引っ越したらまず図書館へ行け」と言う話は授業等で紹介されることもあるが、アメリカだと地域の情報(医療機関とか水道工事業者とか床屋とかその他もろもろ)をまとめたインフォーメーション・ファイルが図書館に整備されていることが多く、引っ越してきてまだ右も左もわからない人でもそこで相談すれば日常生活が営めるようになる、と言うことがあるらしい。
これも新たにコミュニティに参入した人がすぐにコミュニティに馴染んで生活できるようにするためのサービスの一つ、と捉えることが出来る。


このような話は常に一定数以上の「コミュニティ外からコミュニティに参入するもの」がいるから成り立つ話である。
humotty-21さんのところで言われているような「土地に根ざした生活」が営まれているところでは基本的に「新たなコミュニティの成員」とはそのコミュニティで生まれた子どもであって、コミュニティの中で養育されることにより自ずとコミュニティの成員として必要なことは共有されていく。
そのような社会においては基礎的なリテラシーについては学校教育で身に付くし、地域の情報なんて図書館に聞かなくても皆自分で知っている、と言うことになる。
ゆえに、「土地に根ざした生活」が行われているところでは少なくとも上で紹介したような*3アメリカの公共図書館機能についてはそのままでは受け入れることが出来ないしそれだけのニーズもない・・・と言える。
コミュニティを維持するために必要な支援ではなく、元から密に存在するコミュニティの中でいかに貢献するか、と言う点がその場合の公共図書館に期待される役割となるのだろう。


・・・が、さて。
ここからがhumotty-21さんのところと話が変わる点なのだが。


今の日本は、本当に、密なコミュニティを形成している社会なのか?


自分自身、まるで土地に根差さない浮草のような暮らしをしているから思うところなのだが、現代日本って割と引っ越す人も多いし、少なくともある程度の規模以上の都市では常に一定数以上のコミュニティ外からの成員がいる、と言う状況は生まれているような気がするのだが・・・


あるいは、移民の問題についても「日本はアメリカのような移民社会じゃないから・・・」と言うのがいつまで通用するのか、と言うのは真剣に考えておく必要があるようにも思う。
2年前にフランスで起こった暴動事件(2005年パリ郊外暴動事件 - Wikipedia)は記憶に新しいかと思うが・・・近年のヨーロッパへの移民流入の増加から起こっている各種の問題について、対岸の火事だとたかをくくっていられる状況がいつまでも続くとは限らない*4
ヨーロッパはアメリカに比べれば伝統的に「地域に根ざした社会」であったわけだが、それゆえに移民の流入増加、と言う状況に的確に対応することができず、まさに「コミュニティ内に存在する別コミュニティとのコミュニケーション断絶と、別コミュニティの不遇」と言う状況を引き起こし、それに上手く対応することができなかったのではないか、と言う仮説も成り立つ(まあそこら辺は自分の専門分野ではないので戯言と思って欲しいが)。
以前紹介した*5イギリスの公共図書館に関する本*6の中でもコミュニティから疎外された人々の支援にいかに国として取り組み、そこに如何に図書館が貢献するか、と言う点が一つのトピックとして取り上げられており、フランスに限らずヨーロッパにおいて移住者やその他のコミュニティ疎外者をいかに対応するか、と言う点は大きな問題となっていると言える。


日本もヨーロッパ等に比べれば低いとは言え外国人労働者の受け入れ数は増加傾向にあり、現状の問題を指摘する意見もある。*7
アメリカとの社会の違いを考えることはもちろん重要なのだが、一方である部分についてはアメリカの移民社会における「コミュニティ外からの参加者をいち早くコミュニティの成員として馴染ませる」という図書館の役割をより積極的に参考にしていくことが今後重要になるんじゃないか・・・とかなんとか(最後にそれかい)。


結局、元エントリで論点であった「密なコミュニティの中心となる」と言うところについてはなんら有効な解を提示していないな、しかし(汗)
地域に根ざした図書館運営、ってことでは逆にヨーロッパの図書館の方が参考になる部分があるんではないか、と思うが・・・そこら辺はあんまりちゃんと見てないんだよなあ。
英米の話はよく聞くんだが、独仏伊やその他諸国の話ってメインにはあがってこない部分があるし・・・ふーむ。


まあ、それ以前に上にあげたような意識をもって現場(この場合は図書館と言うよりはその企画を任されているもの。自治体行政?)は仕事してるんかい、と言う突っ込みも入るような気もせんでもない。
自治体経営って言った時に「役所を経営」しているんではなくまさに「その地域を経営」しているんだ、って意識がどんだけあるのかないのか・・・

*1:菅谷明子. 未来をつくる図書館-ニューヨークからの報告-. 岩波書店. 東京, 2003, p.134.

*2:参照:CA1619 - 米国の公共図書館における成人リテラシー支援プログラムの現状と課題 / 瀬戸口誠 | カレントアウェアネス・ポータル. 記事中にもあるが、単に英語のリテラシー修得を支援するだけでなく、同時にマイノリティの言語・文化を圧殺しないような手立ても図書館には求められる. 本当、公共図書館って大変だよね.

*3:たぶん実際にはそこからさらに話を広げてアメリカにおける図書館の在り方にまで言及出来ると思うんだが、まあそれはいつか別の機会に

*4:というか今もすでに対岸の火事じゃない気もするが

*5:"Public Libraries in the 21st Century" - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

*6:http://www.amazon.co.uk/Public-Libraries-21st-Century-Defining/dp/0754642860

*7:外国人労働者 - Wikipedia