最近(といってももう結構前ですが)うちの研究科でもヒトを対象とする研究倫理委員会が発足しました。
先日には僕自身、論文投稿時にethics statementを書く必要があったりして、ログ分析という割と境界上にいるテーマを扱っている人間としては色々注意しないとなあ、と思っていたところ、タイムリーに研究科のFD研修会のテーマが「研究倫理」!
北海道大学の松王先生*1を講演者にお招きして研究倫理についての講演会、これは行くしかあるまい・・・と言うことで、今回はあまり図書館ネタとは関係ありませんが、研究倫理についてのお話です。
以下、当日のメモ書きです。
例によってmin2-flyの聴き取れた/理解できた/書き取れた範囲のメモであり、ご利用の際にはその点ご理解いただきますようお願いします。
お気付きの点等ありましたら、コメント欄等でお知らせいただければ幸いです。
研究倫理とどう向き合うか:筑波大学図書館情報メディア研究科FD(北海道大学理学研究院・松王政浩先生)
はじめに
- 研究倫理についてFDで何か話してくれ、とのお題
- この分野の第一人者、とご紹介をいただいたが、研究倫理自体の研究は日本ではまだあまり進んでいない
- 研究倫理研究について少し勉強している身として、知っている話をご紹介したい
- 一緒に問題として考えたい
- そもそも研究倫理とは何かを説明する
- 皆さんから個別ケースの情報提供をいただいて是非一緒に考えたい
- 今日の内容:
- 研究倫理が問題とされるようになった背景
- 研究上の不正(ミスコンダクト)とは何か
- ミスコンダクトはなぜ問題か
- ミスコンダクトはいかにして生まれるか
- ミスコンダクトをいかに防ぐか(研究倫理として何を目指すべきか)
研究倫理の必要性が訴えられるようになった背景
- 研究上の不正について、「こんなものは研究組織やpeer reviewの中で防げる」「目くじら立てる必要はない」という意識の方もまだいらっしゃるかも知れない
- アメリカも1970年代くらいまではそんな意識
- 1980〜1990年代に様々な不正事件が続く。一流とされる研究者による不正・一流誌掲載論文の不正。「起こるはずがない」のに生じた
- 医学系研究者を対象とする質問紙調査:
- 生物統計学者への調査・・・442人を対象、37%の回答。回答者の半数以上が医学研究のなんらかのデータ不正事実を知っている
- 臨床研究プロジェクトの統率者への調査・・・18%は過去1年間にミスコンダクトを直接経験
- 日本の学協会を対象とする調査:
- 不正はごく一部で登場しているものではない!
ミスコンダクトとは何か
- 日本もそれを受けている・・・不正としては捏造、改竄、盗用/剽窃に対処する
- 各大学でも不正としてはこの3つを挙げるように
- 当面はこの3つを対象に、不正に対処する形を作っていく
- 捏造の具体例:
- ベル研事件(参考:ヘンドリック・シェーン - Wikipedia)
- 高温超伝導。高温記録を次々塗り替える
- 疑問がもたれて調査委員会設置・・・捏造が発覚)
- 上司も共著者なのに見抜けなかった。なぜ?
- ES細胞捏造事件(参考:黄禹錫 - Wikipedia)
- ベル研事件(参考:ヘンドリック・シェーン - Wikipedia)
- 改竄の例
- ポールマン事件
- 閉経後の女性にホルモン療法が有効、と立証しようとした
- 女性の健康状態のデータに元データにない改竄が行われる・・・助手が気付いて不正を告発
- 54万ドルの研究資金を受けていた。悪質である、ということでポールマンは1年間収監
- ポールマン事件
- 盗用の例
- アルサブディ事件・・・2011.7に発覚、准教授を懲戒処分
- FFP以外の不正は考慮する必要はないのか?
-
- 「FFP以外」の具体例って?
- 不正になる場合もあるけどはっきり不正とは言えない、疑わしいもの(Questionable Research Practices: QRP)
- データのトリミング、クッキング:改竄と似て非なるもの。
- 得たデータから外れ値を切る:トリミング。得たデータの中で都合のいいものをピックアップする:クッキング。
- 改竄とは違うが、正当な行為か? でも不正か?
- ギフト・オーサーシップ:研究に関与していない共著者
- 多いところだと60%くらいはある現象
- 二重投稿
- 'salami slicing' 投稿
- 一つの実験結果を敢えて複数の論文に分割する・・・サラミを切るように
- レフェリーシステムにおける不正・・・査読を利用して論文のアイディアを盗用する
- 以前に発表した結果と異なる結果が得られた場合の秘匿
- 「FFP以外」の具体例って?
-
- 研究に対するバイアスに関わるもの
- 製薬会社の助成金・・・出資元に有利なバイアスがかからないか?
- 得ていない場合よりも得ている場合の方が良好な結果を報告しがち
- 研究に対するバイアスに関わるもの
-
- 人権に関わる問題
- 被験者への対応の仕方・・・場合によっては大きな問題に発展する
- 研究者間、教員-院生・研究員間のハラスメントもQRP
- 人権に関わる問題
- Honest errorや他の行為との区別はできるのか?
ミスコンダクトはなぜ問題か
-
- 捏造・改竄:ありもしないデータで研究をねじ曲げる・簡単にはスクリーニングされないので影響は深刻。臨床に用いられれば社会に直接悪影響
- ベル研事件:追試に100以上の研究機関、10億円以上の資金が投じられる。全部無駄。
- ポールマン事件:被験者の協力が無駄に。事件後も論文が引用され続けている・・・MEDLINEでは不正撤回論文はわかるようになっているのに?
- ほかにも色々悪影響の事例あり
- 捏造・改竄:ありもしないデータで研究をねじ曲げる・簡単にはスクリーニングされないので影響は深刻。臨床に用いられれば社会に直接悪影響
- ジャーナルにおける撤回論文の扱い:
- MEDLINE・・・citationはそのまま残し、撤回論文であることを示すフィールドを作る
- 他の分野は? あまりきちっとした制度はない
- JST・・・2007年に論文撤回時の対処について推奨基準を公開、学協会も応じるように
- 撤回論文も残しておいて、それが撤回されたことがわかるように明示する
ミスコンダクトはいかに生まれるか
- 研究者サイドから見た不正の「内的」動機
- 研究費の獲得を焦る・・・焦燥感
- 社会の期待の充足を急ぐ
- 自分の研究に強い信念を持っている。信念にこだわるあまり公平な評価能力を失う
- 競争に勝つことにこだわりすぎる
- ベル研では財政難である親会社からのプレッシャー、ポールマン事件では資金がないと研究室が潰れることへのプレッシャーと信念
ミスコンダクトをいかに防ぐか(研究倫理として何を目指すべきか)
- 国による専門機関の設置
- 米国・・・議会で取り上げられる/政府機関が率先して取り組む方向で話が進む
- 1993年に研究公正局(ORI)ができる
- NIHの資金が不正に使われることへの問題意識・助成プロジェクトへの対処機関
- 告発⇒内部調査⇒報告書に基づいて判断を下す
-
- 政府による専門機関は果たして良いのか?
- 今のところ日本は政府機関ではなく各組織が自律的に対処する方向・・・ドイツ型
- 厳密な対処と自律性のバランス
- 政府による専門機関は果たして良いのか?
- 研究者組織による取り組み
- ピア・レビューの難しさ・・・追試でミスコンダクトを発見するのは困難
- 追試は費用がかかる/本人の成果にならないのでやりたがらない
- テクニックもいる/論文に実験手順がすべて書かれているわけではない
- ピア・レビューでミスコンダクト発見するのは難しい
- 学協会
- そこで・・・「失敗データベース」に相当する「研究不正データベース」のようなものを学協会の枠を超えて作れると良い?
- 目下、日本は「防止」の観点が抜け落ちている。そこを学協会が引っ張る必要
- ピア・レビューの難しさ・・・追試でミスコンダクトを発見するのは困難
- 研究者個人として
- 研究の自律・自由は社会との暗黙の契約関係の下で成立していることを自覚すべき
- 当たり前のことだがこの考えは相当薄れている。研究優位の意識の中で不正を起こしている
- 不正の範囲をFFPに限定しようとしたのもこのあたりの意識が背景に
- 研究の自律・自由は社会との暗黙の契約関係の下で成立していることを自覚すべき
-
- 「自分は関係ない」とは思わないように
- 自分もやりうるかも知れないことは念頭に置く
- 不正の線引きは自明でないことを自覚した上で、自分がやろうとすることに突っ込まれたときにきちっと説明できる、説明可能な状態を常に維持すること
- 「自分は関係ない」とは思わないように
- 教育
- 実験レポートの作成過程を通して、知らず育まれる'cheating'への考えの甘さ
- 理系の学生3,300人を対象にしたNature掲載アンケートによれば、自分がGrantを得たり論文掲載に有利なら「捏造・改竄をしてしまうかも」と言った学生が15%
- 学生にきちっとした考え方を教育していくことが必要
- メンター/トレイニー関係の構築
- 指導教員に全人格的に影響を受けた、という割合はかなり多い
- 実験レポートの作成過程を通して、知らず育まれる'cheating'への考えの甘さ
質疑
- Q. 物理等の分野ではデータの公開も活発に行われるようになってきていると思うが、今回の事例はそういった流れの前? 後? そしてそれと関係なく追試は難しい? データリポジトリがあれば解決できる?
- A. 確かにたくさんの目で確認できるものは増えているし、対処法として有効だろうとは思うが、まだそれがどの程度有効なのかは検証されていない。今回の事例はそういった流れより前の話だが、常にデータが公開可能なわけではない。特許が絡めばただちには公開されないし、スムーズにはいかない。天文系の先生によれば、物理の世界でもデータの公正性は十分ではないという。リポジトリは一つの対策だが、その利用は共通認識にはなっていない。例えば共著者がいるなら、なんらかの機会で共著者同士で集まって、論文について発表して、質疑に共著者が答えることで相互チェックになるんじゃないか、という話もあった。リポジトリに一足飛びに解決を求めることはできない。他のものとあわせて進めることが重要
- Q. FFPとちゃんとした研究は連続している、という他に、分野によって許容範囲が違うという話をされていたが、研究倫理を考える際に仲間内で許される範囲をどんどん許すと、全体から見ると不正の疑いが出てくるケースもあると思う。それは世の中はそういう方向で議論されているのか、分野によって範囲は違うから特定分野に限定していく方向にあるのか?
- A. 内部的な議論には限界があると思う。外の目が入る必要はあると思う、つまり研究者の視野狭窄、特に倫理面については気づかないので外部の目を入れる。具体的な手立てとしては、学協会の倫理綱領の公表は外に対する手立てでもある。内部的なお約束として作ってはいけない、広く世間に公表して「私たちはこうやる」ということを示す、社会との契約の意味合いが強い。そういう視点でやっていく必要がある。ただ、学協会の倫理綱領は10項目くらい一般的にあって、箇条書きで書かれて終わり、というケースが多いのでその中身を充足する必要がある。そこで専門的な視点がいるが、その際にも内部で議論を閉じないことが重要。法律家を入れるとか、日本ではあまりないが倫理学者を入れるのも重要な手。筑波にも倫理学者はいると思うし、そういう人をアドバイザー的に入れる。あとは、極端な考えかも知れないが、一般の科学の専門家ではない人たちのある種の意思決定への参加もありうる。専門家が見落としがちな視点が出てくることがある。どうやるかは難しいが、例えば、防犯カメラの設置については、各自治体でガイドラインを作っている。当初は専門家中心でやっていたが、それでは本来考えるべきプライバシーの観点が抜け落ちる。そこで札幌市は一般の人を委員に入れている。科学研究も一般の人につながるものなので、接点を持つこともバランスを取る方策としてあると思う。
- Q. 今日の話は主に論文を書く際の倫理の問題だったが、調査・実験を始める前に倫理の問題とどう向かうかという視点も大切と思う。その中で研究計画を審査する際にどんな視点を注意すればいい? 研究不正を防ぐ有効な手立てがあれば。
- A. 今日の話でも少し触れたが、事後ではなく事前の対処は必要。特に人を対象とするときには、医学系では早く言われているがインフォームド・コンセントの考え方がいる。医歯薬系に限らず当たり前のこととして認識すべきこと。今や実験動物の権利まで話されていて、人を対象とするときにも法律に基づいて杓子定規に考えるだけでなく、人権への配慮が必要になってくる。世界の流れがそうだから、ということではない。これは倫理の問題、人としてどう生きるか。まずは自分の身に置き換えることと、どこかで一般的な感覚を養い配慮する必要がある。
- Q. 修士/博士の教育の中で教員のFDとは別に倫理面の話をする必要があるのではないか。教育課程で倫理面を伝える中で、北海道大学や他の大学の取組で参考になることがあれば。
- A. 北海道大学では・・・一つは研究室の壁、学生が狭い中に追い込まれるので視野が狭くなる、ということがある。授業の実践としては、専門に関係なく大学院共通科目の中で、文系/理系を超えて自分の研究紹介をいかに相手にわかりやすく伝えるかを訓練するとともに、自分とは違う研究環境にいる人の考え方を知る、いい学ぶ機会になっている。学生同士の方がコミュニケーションは進みやすい。そういったことが促されるような課題を与えることで、違う環境の知識を得て、自分を客観視する目を養えるのではないか。そういうものを取り入れる、というのがある。
- あとは、研究室の先生方は積極的に話に加わるのを嫌がられるかも知れないが、学生とオープンに話し合いをする。研究室ではなく大勢集まって討論するとか。そういう機会を設けるのも一つの考え方。
参考になる文献(ここでは松王先生が紹介されていたもののうち図書のみ抜粋)
背信の科学者たち―論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)
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科学のミスコンダクト―科学者コミュニティの自律をめざして (学術会議叢書(13)) (学術会議叢書 (13))
- 作者: 黒川清,久保田弘敏,御園生誠,佐藤学,藤本強,池内了,角田文男,武田隆二,尾関章
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- 作者: ニコラス・H.ステネック,Nicholas H. Steneck,山崎茂明
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- 作者: 山崎茂明
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- 作者: 山崎茂明
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今回は研究不正の中でもFFPがメイン、ということでヒトを扱う際の倫理の話はそれほどありませんでしたが、とはいえ重要かつ面白い(自分の研究領域的に)お話でした。
ベル件事件やES細胞事件のような主要な事件は一応、学術コミュニケーション研究の端くれにいる者として読んではいたのですが。
上の1行を自分で全否定するようですが、研究公正局(ORI)のこととかは全く知らず・・・これは是非、読んでみねばなりますまいー。
それにしても今回の研修会は会場に大学院生が多く、それも前期の学生が多かったのが印象的でした。
研究の一線を支える若手が研究倫理に敏感ってのは良いことだなー、とか思っている自分だってまだD2じゃないかという現実。
研究倫理を守りつついっぱい業績を作っていきたいものです。
*1:松王先生のプロフィールはこちら:http://phys.sci.hokudai.ac.jp/LABS/kisoron/prof_matsuo.html