気がつけば8月も終わり、世の中は新学期ムードですね。
しかして我らが大学人の夏休みはまだまだ終わりませんぜ! ビバ夏休み!
・・・学生さんは夏休み・・・だというのに、どうも教員の方は学期期間中より忙しい気がしているのですが気のせいでしょうか(汗)
学期中はせめて土日は休んでいたんだけどなあ。
それでいて、これで新学期になったら忙しくなくなるビジョンもまるで見えてこないので厄介な話です。
そんなわけで色々立てこんでおり、夏休み中にあったSPARC Japanセミナーのイベント記録もアップが大変遅れてしまいました。
出張報告等へのご利用を目論んでいた方の中には期待が外れてしまった、という方もいらっしゃるかも知れません、ごめんなさい(汗)
すでにカレントアウェアネス-E*1や月刊DRF*2でも取り上げられていて、そちらの方が短くまとまっているのでもういいのでは、とも思いますが。
せっかく記録も取りましたし、かなりの内容量だったのを凝縮されている分「詳しく知りたい」といった意見も目にしますので、今回も記録をアップロードしたいと思います。
昨今,多くの研究者,図書館員の関心を集めているオープンアクセスですが,人文・社会科学分野においては,オープンアクセス化されている学術雑誌論文の比率が低いなど,自然科学分野との「温度差」が浮き彫りになりつつあります。 そこで今回のSPARC Japan セミナーでは,人文・社会科学系のオープンアクセスの最前線として「Open Library of Humanities (OLH)」の活動について,Martin Paul Eve氏からご報告をいただきます。また自然科学分野の研究者,大学図書館員等も交え多角的な視点からこの分野におけるオープンアクセスや日本からの学術情報発信の課題にもアプローチしたいと思います。貴重な機会ですので,是非多くの皆様のご参加をお待ちしております。
人社系については学術雑誌の動向については過去にもSPARC Japanセミナーで取り上げられたことがありましたが*3、人社系研究者とOAを中心に取り上げるのはSPARC Japanセミナーでは今回が初、ということのようです!
以下、例によって当日の記録です。
例のごとくmin2-flyの聞き取れた/理解できた/書き取れた範囲のものであり、特に今回、前日まで北海道に出張⇒そのまま東京出張を敢行した結果、中盤のメモがかなりgdgdになっています(汗)
ご利用の際はその点、ご理解・ご容赦いただければ幸いです。
誤字脱字、事実誤認等、お気づきの点があればコメント欄等へお知らせ下さい。
ではまずは、経済学者にとってのOAのお話から!
「経済学と経済学者にとってのオープンアクセス」(青木玲子先生、一橋大学経済研究所)
- 最初におことわり・・・私はOAの専門家ではない
経済学者の行動
- 経済学者は誤解されている!
- まずは経済学研究について説明しながら、情報流通について説明したい
- 日本における経済学・・・経済学科/経営学科にいることが多い
- 北米では・・・humanities and sciences、arts and sciences、social sciences、business school、finance、engineering (OR)、Applied mathematics(ゲーム理論)・・・
- ヨーロッパ、オーストラリア等も北米化の傾向
- 経済学研究のやり方
- 研究の最終成果の発表:
- 日本では元来は大学紀要で発表したものを最後に図書にまとめていた
- 北米・・・査読付き専門誌に昔から投稿
- 研究の最終成果の発表:
-
- 研究途上の情報流通・・・
- 研究会、学部単位のワークショップ・セミナー、狭い専門のワークショップ等で書記のアイディアを発信・フィードバックを受ける
- 研究途上の情報流通・・・
-
- オープンアクセス・・・最終成果発信/研究途上の流通の双方に貢献/影響
OAと経済学の話
- 経済学におけるOA誌
- DOAJにおける数字やeconlit(経済文献データベース)での数字の紹介・・・聞いたことない雑誌も多いが、数は多い
- OAリポジトリ
- OA雑誌の例:いろいろ紹介
- 経済学者から見たOAのあり方:
- 情報は排他性がない/消耗しない・・・経済効率から言えば無料提供がよい
- 自分の研究にフィードバックを得るための提供、という点ではOAは理にかなっている
- 商業的に見返りがなくても情報を作ってくれる人はいる
- それに資源を投じてOA雑誌を作って、経済的に正しい価格=ゼロで提供するのは、OAの経済的意味では在る
-
- two-sided market:売り手と買い手の二つの間に立ってマッチングサービスで利益を得る
- dating service(お見合いサービス)/credit card
- どちらからお金を貰ってもいいし、両方から貰ってもいい
- 学術誌=発信者と受信者のtwo-sided market。発信者から得てもいいし、受信者に費用負担を求めてもいい
- 今までは購読=受信メインで、中には両方とってくるところも出てきた、発信者だけから得るのがOA雑誌とも言える
- 片方からだけ費用を得るtwo-sidedはいくらでもある。お見合いサービスだってそう
- 正しい費用負担を課せばOA雑誌は成り立つはずである、というのが経済学者から見たOA雑誌
- two-sided market:売り手と買い手の二つの間に立ってマッチングサービスで利益を得る
質疑応答
- Q. 図書館情報学の研究者の方。そもそも経済学の雑誌で、商業出版者が出しているものってどれくらいある? あるいは、OA誌の中で商業出版がやっているものはある?
- A. わからない。Econlitに出てくるようなのは、BlackwellやElsevierが出しているが・・・
- Q. デジタル・ヒューマニティーズ/人文学研究者の方。Two-sided marketというのは、OAと言っても結局どこかはお金を出さないといけなくて、それを読者が出さなくて良くなったのがOAにすぎないということ?
- A. 「すぎない」の意味はわからないが、ビジネスモデルとしてOAというのを・・・ビジネスモデルとしてどんなものがあるか考えたときに、ひとつはtwo-sidedと考える、もう1つは、情報流通は研究者にとって大事なことなので、そのサービスを今は学会がやっているが、公共財なのでお金集めは難しいものの、その費用をなんとかする方法を考えて、例えば学会がバックアップすれば成り立つ。一方、two-sidedという考えに基づけば、公共財の理論を出さなくても成り立つということ。
「歴史学の研究手法・環境とオープンアクセス:日本近現代史研究の現場から」(石居人也先生、一橋大学大学院)
歴史学の研究手法
- 大きく2つに分かれる
- 手法A:史料(歴史資料)発掘型
- 史料の調査を行なうところから研究がはじまる
- 目的意識を持って対象を決めることもあれば、依頼を受けて主体的意思と別に調査がはじまることも
- 現地にいって、史料を持っているおうち/機関あるいは受け入れた側で、史料整理をする
- 中身を確認していつの、どういった内容のどういうものかを調べる
- 数万〜数十万点になることもあり、かなりの時間がかかる
- 最終的には目録を作成して終着・・・それによって初めて研究史を把握して、史料に関する解題をつけて公開する
- 時間、分量、出版事情の問題から、最終的に公開されない場合もしばしば
- その先に・・・研究者の問題関心に照らして論文を書く
- 史料群の全体像把握・提示が優先/調査的側面を重視
- 史料の調査を行なうところから研究がはじまる
- 手法B:課題設定型
- あらかじめ問題関心が所与のものとしてある・・・それに基づいて課題・論点整理
- その後はじめて史料収集・内容分析・執筆へ
- あらかじめ問題関心が所与のものとしてある・・・それに基づいて課題・論点整理
- 手法Aの方が歴史学に特異?
- Aの方はものすごい時間をかけて整理しても、それだけでは論文にならないこともある
- 費やした時間に対して研究成果が出にくい
- Bのパターンは目的意識が優先する/研究的側面が重視される
- 近年はBパターンの方が多い・・・研究成果を出すことがより求められる状況を反映して
- Aの方はものすごい時間をかけて整理しても、それだけでは論文にならないこともある
歴史学の研究環境とオープンアクセス
- 歴史学がOAと縁遠い理由・・・ナマの「史料」に触れねば研究ははじまらないという、頑なに信じられている「神話」
- 史料にふれないで研究することは不可能なのは確かだが、古文書に触れることに「偏重」といえるほど偏ってきたのが歴史学
- 史料調査・発掘が研究に不可欠と考えられる
- 結果、精緻な史料分析に基づいた研究が多い
- 同じものを見ていただけでは覆せない
- 自分も新たな史料発掘をして乗り越えるんだ、という方向に行きがち
- その結果・・・いわゆる二次史料・文献(活字)だけでは不十分、という認識の広まり
- 歴史学研究者の「生態」とオープンアクセス
- 顕著な傾向・・・「史料」=モノへの執着心
- すべてが「史料」、どんなに不必要そうでも「史料」
- 過去もそうだし身の回りのものも「史料」かもしれないと思う・・・捨てられない、研究室は「ごみ」だらけ
- 顕著な傾向・・・「史料」=モノへの執着心
-
- 形ある出版物への親近感・・・紙媒体への執着心
- デジタル化済みのものもプリントアウトしなければ読めない/紙でなければ・・・
- 早さよりも確実性/数よりも確実性を重視する傾向
- 自らも、「モノ」を残すことへの意識
- 形ある出版物への親近感・・・紙媒体への執着心
- 歴史学研究手法の変化とオープンアクセス
-
- 環境の変化とOA
- 史料の多様化・・・活字媒体・図像/史料画像そのもののウェブ公開
- 調査⇒公開サイクルの加速・・・手法Aの場合でも、史料すべてを見終わってからではなく、途中までの整理段階を目録としてワーキングペーパーで公開するなど/段階を踏んだ公開
- ある人間が手を付けた史料について、すべてが終わるまで第三者が触れられなかった状態が改善される?
- 「不断の更新可能性」への自覚
- 環境の変化とOA
質疑
- Q. NIIの方。あえて聞きたい。歴史学は史料の調査が重要なミッションであるとするなら、OAによって史料をもっと残さないといけない気がするのだが、矛盾しないの?
- A. 残す=OAの方が数を残せるかもとも思うのだが、一方で作法の厳格さや、残すにしてもちゃんとしたものを越したい。時間をかけて完成度を高めたものを、形あるものとして残したい。もちろん、数をたくさん残している方もいるので葛藤もあるのだが、まだまだ意識としては紙媒体で、完成度の高いものを残したい。
- Q. そもそもデータとしてオープンに、というのは? 目録をオープンにしたりとか?
- A. 多くはない。実際にわたしはやったりもしているが、目録を・・・データベースみたいなものを含めてOAと考えるのであれば、そういったあり方は、目録に関しては増えてきている。
- Q. 学術系ソフトウェア会社の方。OAの推進にはメディア、学術誌の側、DBの側からの動きが必要と思うが、歴史学についてメディア側の状況は?
- A. 日本史を中心に言えば、学会誌のOA化にはほとんど着手されていないし、出版に関しても、比較的厳しい出版事情であるにしても、論集や共著は紙で出版する機会が多い方。研究者の嗜好もそうだし、出版業界の事情もあるかも知れない。業界との関わりで言っても、OA化は進んでいない。
「海外の動向:人社系OA誌の最前線」(Martin Paul Eve 先生、Open Library of Humanities)
min2-fly注:逐次通訳はタイムラグで意識がとびがちなので、ここの記録はあまり信じないでいただければ(汗)
- リンカーン大学で英文学担当
- 英国政府のOAに関する委員会にも参加
- 人社系のモノグラフ/OAということで、特にOpen Library of Humanities(OLH)の現状と活動について紹介したい
- 今日の話:
- 1. OAの背景/克服しようとしている問題
- 2. 社会的問題
- 3. 技術的問題
- 4. 財政的問題
- 特にどういった社会的問題があるかを話したい
- OLHの活動について・・・社会/技術/財務的問題の全体にどう対応するかの具体例を話す
- OA全体の氷山の一角について話す
OA/OLHの背景
- シリアルズ・クライシス・・・よく出てくる雑誌価格と消費者物価指数の折れ線グラフ・英国版
- 雑誌価格は消費者物価指数の3倍以上のペースで値上がり(1986〜2010)
- 持続可能なものになっていない、という問題
- 雑誌価格は消費者物価指数の3倍以上のペースで値上がり(1986〜2010)
- 購読モデル・・・経済的に持続不可能なのは確か
- 研究者が十分に情報を得られない/納税者の経済負担もつじつまが合わない
- 代替案として:Research Councils UK(RCUK)・・・Gold=Article Publishing Chargeを研究者が支払うのが望ましいと結論
- 実際のやり方・・・機関単位で負担を依頼/小さな大学は研究費も限定的なのに対して、オクスフォードやケンブリッジは多くの資金がある。各々の実力に応じた貢献により出版を可能に
- 当然、研究者はなるべくprestigeの高い雑誌に投稿したいと考える/著者あるは機関・大学が負担するモデルだと、十分にコストをカバーできない
- 特に人社系では・・・一部の研究者の成果を掲載できない、排他的なものになってしまうことが懸念されている
- 他方、英国には利益を重視する多くの出版者がある
- 膨大な利益をあげながら研究者が十分にアクセス出来ない雑誌がある・・・問題
- prestigeの罠・・・高評価を盾にした雑誌の罠
- 過去、著名な雑誌は購読モデルであった・・・評価が高まり投稿が集まりさらに評価を高める、雑誌レベルでの評価を盾にとって様々なことが実現されている
- 個々の著者ではなくジャーナルのレベルによって評価が・・・
- この罠になぜハマってしまうのか? 不可解ではあるが、論文投稿⇒査読⇒編集⇒雑誌掲載
- 従来の学術雑誌と同じような形でprestigeを取り入れていく必要
- 過去、著名な雑誌は購読モデルであった・・・評価が高まり投稿が集まりさらに評価を高める、雑誌レベルでの評価を盾にとって様々なことが実現されている
- 雑誌レベルでの評価の使われ方の例:
- 1つのポストに350名の応募があったとき、どの雑誌に出版していたかを見てまず人をふるいにかけたという話がある
- OAに移行したからといって従来型の査読をやめるわけではない、が・・・査読のあり方を考える契機にはなる
社会的ソリューション
- OLHはここまで紹介してきた問題にどう対応したか?
- prestige=高い名声と評価について:
- Strong media presence
- これだけの人を揃えて厳密に査読をやるよ、といえば良い文献がくるかといえば、そんなことはない
- 研究者から始めた小さな試みなので、マーケティング/情報提供にも限界がある
- いかに草の根レベルでメディアにとりあげてもらえるか
- さまざまなメディア・マスコミにカバーしてもらおうと試みている
- プロジェクト開始以来の成果:
- 開設当時・・・2時間で100本のメール
- そこでOLHの説明
- 自ら投稿すると名乗りでた人間・・・若手/デジタル世代が多いことは否めない
- リーダーと呼ばれるような研究者には依頼して載せたいと思う
- 開設当時・・・2時間で100本のメール
- 革新性の段階的導入
- 最初の段階では今までと同じように見えることを重視
- 今後の予定/予測図:
- 評価のフェーズに入っていく・・・エビデンスを集めて、不安や不確実性・疑いから離れ実証的に問題を検証したい
- 保守的なやり方を重んじる人向けには今まで質を担保するために行なっていたことは変わっていないことを示せる
- 急進的な変化を求める人にはやっていることを見せられる
- 最終的には中道に落ち着く?
- モノグラフ:人文系では重要
- OLHでは雑誌論文がメインではあるが、本も無視するわけにはいかないし、本にするための編集作業は雑誌の場合とは労力が異なることも認識している
- 研究者からよく聞く話・・・本を出版するための編集者のインプットは価値あるもの/編集者から得られる知見、インプットから魅力ある本ができる
- 論文出版のための編集の労力とはかなり違う
- 本の出版もOLHでしたいが、難しいことはわかっている・・・そこで4つの出版者と協力模索中
- 出版者・・・自分たちで財政的コストを負担せずOA実験ができる/営利モデルから離れて学者手動のプロジェクトに関わっているイメージを打ち出せる
- OLH・・・出版者と一緒にやることでprestige/ブランドを梃子にする、大きなメリットを享受する/論文投稿の働きかけにも使える
- 現在の合意条件・・・オープンライセンスの利用/CC-BYに限らないが、なんらかのライセンスを/基本的には無料で/XML、HTML、PDFを使う/出版者側はハードコピー・デジタルコピーの出版権を得られる契約に
- これでコストが成り立つかの研究でもある・・・5年やってエビデンスを集める/スケールアップさせたときに出版協会等がその仕事をそのまま続けられるのか、エコシステムとして自由に使える環境を提供できるのかの研究をしている
技術面でのソリューション
- XMLファーストのワークフローへ
- 引用・・・書誌情報がどの論文を指しているのかコンピュータでは判断不能/構成単位ごとに分ける必要
- 著者、論文名、ジャーナル名などがどこなのか機械的に分かるようにする必要性
- 細かいところは省くが・・・引用情報を細かく分けていくことが重要/ジャーナルレベルで判断するところから離れていくには重要
- ジャーナルのレベルではなく、著者・論文単位での評価測定をするには誰がどの論文を引用しているかを評価する必要がある
- オーバーレイジャーナル:ここが大事な話
- PLOSのようなメガジャーナルは様々な領域を扱う/特定の基準に合致したものは論文として掲載する・・・内容の革新性ではなく、研究の妥当性で評価される
- これは人社系では問題。prestigeの高いニッチなジャーナルが存在するため
- そこで・・・オーバーレイジャーナルの仕組みを使う
- Orbitというオーバーレイジャーナルを出している・・・トマス・ピンチョンについての雑誌。自分がある程度の権威と認知されているので、キュレーターとしてなにが良いかを提示することが可能
- 編集がキュレーションの一部と考えると、従来のジャーナルは名声・評判を勝ち得た教員が出していたものであるわけだが、それを元にしてover layが出せないわけがない。メガジャーナルの上にオーバーレイの仕組みを載せる
- 基本的な刊行のハードルはメガジャーナルでは低い。その上にオーバーレイの仕組みを載せる
- Orbit・・・3ヶ月に一度、過去の10の最良の論文を出している、ということ
- 検索し、選んだものをoverlayとしてまとめることを提案している
- 急進的すぎるかな、と思ったが、このようなやり方を導入したいというジャーナルが出始めている
- キュレーション=すでに刊行されているものの中から選ぶ、というのはプライバシー設定を変えれば他の目的にも使える
- 学生のcourse packとしてまとめて、リンクを学生に送る+print on demandで印刷されたものを手に入れたり、それが嫌ならオンラインで必要な文献を読んだりできる
- 特定の人しか読めない設定にしておいて、研究プロジェクトに関連する人間だけ参加するようにする、ということも
- PLOSのようなメガジャーナルは様々な領域を扱う/特定の基準に合致したものは論文として掲載する・・・内容の革新性ではなく、研究の妥当性で評価される
- 検索:Q&Aで聞いて!
- デジタル保存:
- デジタルは一過性? 保存できない?
- そんなことはない!と説得し、納得してもらう必要がある
- デジタル保存に関わる色々なシステム・・・人文系には著作物が消えることへの不安感があるので、その払拭のため
- 例えば私がバスで轢かれて死んでしまったら、と心配する人にも安心してもらえるように
- LOCKSSやCLOCKSSの導入、オフサイトのバックアップに加え、BitTorrentでP2Pでの保存も実施
- デジタルは一過性? 保存できない?
財政面と持続可能性
- どのようにして実現していくのか? かけた労力に見合う報酬がないといけない。研究成果を商品化できなくても、成果を出すための労力への対価はどのような形であれいる
- 2つのフェーズ:
- 1.啓蒙的/アメリカの現在の資金提供者と話し合い、5年間は寄付を主体に運営
- 2.本格的な持続可能・自らの脚で立つ運営
- プロジェクトのコスト・・・5年間で260万ドルかかる?
- なににどのくらい使うか等は後述
- 実現可能性を示すことが重要/図書館からお金をもらう以外の実現可能性の証拠を出すこと
- 実現可能かつ安全と示せれば投資者は増える
- スタッフ:
- 社会的な問題の方が技術的な問題より解決が難しい
- OLHでは・・・技術面は他者と協力してやっている/既に必要な技術はほぼ開発済み
- 今後、1論文あたりにかかるコストは徐々に下がる
- OLHは社会的問題に対応する
- モデル:
- 従来・・・図書館はprivateにコンテンツを貸し出してきた⇒それが問題を生み出している?
- 今までの購読モデルを逆にとる/多くの図書館が個別に支払ってきたものを、共同で調達できないか。多くが少額ずつ支払うことでOAのメリットを全てで享受
- この方法の場合、図書館はインフラと労力のコストを負担すれば良い。APCのようなやり方にしない。サービスそのものを支えて、論文1点ずつには支払わない
- オープンな仕組みを継続的に続けられる/そのメリットを受けられる?
- この方法の場合、図書館はインフラと労力のコストを負担すれば良い。APCのようなやり方にしない。サービスそのものを支えて、論文1点ずつには支払わない
- 実際に資金を得られるようになったら、5年間の中でどこからこのモデルをはじめるか?
- 4年目から図書館に拠出を求める。その頃にはこのモデルの時速可能性をわかってもらえると思う
- 現在、世界中で1,000の図書館に資金拠出を募ろうと考えている。楽観的な見込みとは認識しているが、平均で1,000館から平均600ドルくらいいただきたい。伝統的な雑誌の購読料と変わらないくらい。払えない額ではないし、そのようなやり方をとれば、購読料モデルと変わらないじゃないかと思われることを避けられると思う
質疑
- Q. committeeの国際化についてお聞きしたい。現在はかなりアングロサクソンよりに見えるが?
- A. 国際化委員会というのがあり、UNESCOや中国からも参加者がいるが、日本には対応しきれていない。アイディアがあればメールを送ってほしい。言い訳にはなるが、なにせ馴染みがないので十分にできていないところがある。
- Q. NDLの方*4。質問は2つある。
-
- A1. 分野については全分野を対象にすることを考えている。投稿時には、ある程度自身の分野を選んでいただいて、どういう分野に収まるかを整理したい。
- A2. 国際化について。メンバーのみならず、論文の多言語での扱いも含めて考えている。英語が支配言語である必要はない。著者が望めば英語・別言語同時出版もできるようにしたいと思うし、他言語で書いたものの翻訳も受け付けたい。他言語対応を考えている。
- A3. いつ出版できるのかは、日付を言ってしまうと、それが実現できないと「失敗した」と言われるので日付は言いたくない。ただ、来年には投稿受付や依頼も開始したい。ただ、それは論文の話。出版については財政的に可能になった段階で、可及的速やかに。
- Q. NISTEPの方*6。プレゼンテーションの中に「publisher」や「journal」という表現がなかった。そのかわりに「open library」という語を使っているのだと思うが、Martinさんはpublisherやjournalになりたいのではなく、humanitiesのための新たなメディアを作りたい、という考えがあるのか? また、もしそうだとしても、出てくる物体はやはりjournalのような逐次的にPDF等が出てくるものになるのか?
- A. 良いご質問と思う。名前は、私達がやろうとしていることはpublisherがやろうとしていることと思う。先に2番めについて言えば、毎月とか週単位での刊行はせず、準備ができたものから刊行していきたい。名前に関しては、「library」と入れたのは、今世紀、図書館の役割が変わってきているから。図書館はコレクションを持っているところではなく、デジタルのファシリテーターになる。これは、双方向である、ということ。学者・研究者の成果を出す部分の手助けも重要になっている。探しものを一緒にやるだけではない。ネーミングについてはかなり考えたが、私達がやろうとしている「双方向性」を捉えていると思ったので「library」という語を使おうと思った。
休憩
「「学術情報」と「体系的な知」のはざまで:大学出版の模索」(鈴木哲也さん、京都大学学術出版会)
- 人文社会系のOA化ということだったので、京大図書館に話を聞いてみた:
- 人社系のOAは遅れていないのではないか? 京大の機関リポジトリの構成比でいえば、人文系の紀要類が多い
- 全国で見ても紀要論文が多いのは同じ
- 人文系が遅れているなんてことはない??
- 人文系というよりも、学問全体として考えてみたい
- 人社系のOAは遅れていないのではないか? 京大の機関リポジトリの構成比でいえば、人文系の紀要類が多い
- 5年前から、京大出版会では、出版している本を年間2冊、リポジトリに無償掲載
- 人社系の先生からは否定的な意見が多い・・・
- 1. 一番反対したのは日本文学の先生。人社系で最もはやくインターネットやDBで資料集積しようとした国文の先生が、「検索・抽出は容易になったが、院生の論文がめちゃめちゃになった」という
- 一つの資料だけ見てもなにも論じれない。全体を俯瞰して、その作品を凝視することがいる。自分の対象とする資料の周りをしっかりサーチし、俯瞰するのが人文系の仕事
- 資料が簡単に手に入るのでそれだけ見るようになって、書かれる論文の質が低下した
- 自己批判から反対に。自分の研究対象が全体の中で持つ意味について
- 2. ネットカルチャーとアカデミックカルチャー
- 批判/再批判の方法論がなく、容易に絶対化/相対化される
- 紀要に載るような個別論文は個々に意味があるのではなくて、10〜20年の問題関心の一部として研究しているもの・・・全体の構想がわからないと意味がわからないのに、しっかりとしたトレーニングのなされていない人に一部だけ出てしまうことの危うさ
- 3. オンライン化前後でcitationの範囲がどう変わるか?(Science 掲載記事から)
- オンライン化すると、同じ問題関心のある人間にしか引用されなくなる??
- 学術コミュニケーションの狭隘化/細分化がますます進む?
- 1. 一番反対したのは日本文学の先生。人社系で最もはやくインターネットやDBで資料集積しようとした国文の先生が、「検索・抽出は容易になったが、院生の論文がめちゃめちゃになった」という
- 人社系の先生からは否定的な意見が多い・・・
- 出版の立場から・・・上記3点、教員・研究者の懸念を無視はできない
- 一方で学術出版には・・・そのような自覚はない/学術コミュニケーションの変化と教員の悩みを自覚しないまま、増大する成果公開、デポジットの受け入れ先として機能してきた
- ビジネスとしての出版の劣化/本が売れないのは参照するに足りない本がいっぱい出ているから
- APCの話・・・日本の場合、人社系の教員は個人では支払いはしないが、学部等が出版にかかる費用を支出するように。若手研究者に年間数千万円のお金をつけて、若手に本を出させる
- それを狙った商売も。「印刷を請け負いますよ」とか、あるいは大手国際誌が「ジャーナル作りましょう」と言い出すことも。予算を食いものにするビジネスモデル
- もっと原理的に考える/咀嚼することが必要?
- それぞれのコミュニケーション手段はどういう性格であればよい?
- やろうとしていること・・・
- 「本」に限定して、出版点数を減らすにしても、パラダイム志向的な、学説全体を批判するような本を出していきたい
- 大型のcomprehensiveなものも出す
- 本とデジタルをつなげる・・・本の中の図版にスマホを掲げると、京大DBの資料が重なって見られる、みたいなもの
- 高校性向けに京大の理学研究を紹介するアプリの開発
- お金集めもしながら、この時代、OAを視野に置きつつ、それでは満たされないものを本の側から埋めていく
- OAの側も、「これはOA向け、これは向いていない」みたいなものを考える
- 史料には出しにくいものもあるし、美術資料はデジタルだと質感がわからなかったり
- 逆に美術資料・歴史史料は個人が所蔵した瞬間にどこにあるかすらわからない。それはどこにあるか、メタデータとして明らかになればいい
- 資料によっては「ここまではOA、あとは現物に触って」みたいなことを考えられれば良い
パネルディスカッション
モデレータ
- 蛯名邦禎先生(神戸大学大学院)
パネリスト
- 蛯名先生:最初に松本さんから、人文系図書館のOAについて話題提供をいただきたい。
「人文社会系図書館とOA」(松木和子さん、慶應義塾大学理工学メディアセンター)
- 今は理工系だけど、以前は三田=人文社会系の図書館に長く勤務
- その経験を共有できれば
- 人社系図書館の状況:
- 理工医学=STM系は雑誌が買えなくて大変と話題だが・・・
- 人社系は本もしっかり買う。医学等は90%を雑誌に使うが、三田は半分は図書に使う
- 予算は下がる一方の中、研究者は紙も欲しがるがお金がないので電子のみになったりしている
- 経済的な状況が悪化する+出版者の値上げを受けて・・・
- レファレンスやILLの件数は減った。図書館に来ない、来るのは紙しかないものや図書だけ。「これはどこ?」というのは聞かれなくなった
- 高いお金をかけて買っている電子ジャーナル・電子ブックへのナビゲートをどうするか。さらにそこにOAのものを入れるには? そのノウハウが不足している
-
- 図書を買い続けてスペースがなくなると・・・雑誌が「電子があるからいらないよね」と遠くの保存書庫に行ったり除籍されたりする
- 人社系のOAは進んでいない?
- 人社系学会誌と研究者
- 2011年のSCREAL調査*7・・・人文系は電子があっても紙で読みたがる
- そして日本の場合は和雑誌をよく使う/洋雑誌も読むが、人社系の研究者の投稿数は少ない?
- 言語の問題+査読者が日本の事情を解さないから?
- 研究業績・・・人社系にとっては単著の図書を出すのが最終成果
- OAと図書の関わりについて先生方に聞いたことはないが、本=業績という考えは強い
- 一方、若手研究者は業績をどんどん出すために、大学紀要や小さい学会誌にも出して、webで見られるようにして業績をアピールしようとしている
- 図書館員もよくないが、人社系には「OA」と言っても「それなに?」となる
- 2011年のSCREAL調査*7・・・人文系は電子があっても紙で読みたがる
- 図書館がOAをサポートするには?
- OAとはなにか? 流通コストは誰が持つのか? それを図書館から研究者に伝えることがまず大事?
- コスト分析。購読⇒APCにしたり参加費にすることがいいのか
- 慶應は総合大学なので、医学のような人の命に関わるものを阻害してはいけない、という理論が堂々とまかり通る。「医学部の雑誌が買えない? じゃあ人文系の本を削れ」という意見が出たり。必死に止めているけど
- コスト感覚を人社系でも磨くことは重要
- リポジトリへの掲載を進める・・・図書館だけでなく情報発信として機関リポジトリを進める必要がある?
- 著作権問題/権利処理・・・TPPによって著作権侵害が親告罪じゃなくなると怖い
- SCPJが今年の3月で終わってしまってその後、続いていない。OAに関わるのならば、人文社会系なら原著作との関わりがある。史料の引用や漫画の転載などもあって、そのオンライン化の許諾処理がいる
- 科研費・・・図書も含めて、その成果はOAにする政策が必要・・・それに図書館としてコミットしたい
以下、ディスカッションへ!
- 蛯名先生:
人社系の現状がどうなっているのか。人社系のOA化は遅れているのかどうか、研究の仕方が違うのだ、など。現状についての補足があれば足していただいて、議論に入りたい。
論点はいくつか考えられて、OAの目的を考えれば学術の推進自身をどうやるのか。鈴木さんから根源的な問題提起もあったが、どう推進するのか。
それから、例えばいろんなレベルがあって、データ収集、整理、論文としての公表、体系化、人の育成、コミュニケーションをどう捉えるか・・・最後についてはいろんな側面がある。同業者に伝える、研究者集団に伝える、一般に広く伝える、助成機関に証拠として示す、など。
そういう問題と、最後に、技術的な問題や財政的な部分をどうするかなどが色いろある。
そういうことがあるということを認識いただいた上で、それぞれの講演者の方から補足やコメントをまずいただいて・・・それに対して、フロアの方からご意見・質問をいただいて、その後でまた講演者討論としたい。
- 青木先生:
他の報告者の話を聞いていて、頭の中を整理しないといけないと思った。OAというのは、情報を発信する方法が重要で、アクセスの問題なのか。それともPrestige、研究活動の中での成果の評価を雑誌を使ってやっているのか。高い雑誌はprestigeを持っていて、そのために価格が上がっても買う、それを解決しようというのがOLHのようにも思った。皆さんのいうOAへの期待はどういうものなのか? それによって誰がお金を出すかにも関係してきて・・・評価のために雑誌がいるのは研究者のコミュニティで価値があるので、それには国や学会がお金を出してもいい。学会として、評価方法として学会誌を維持するなら、学会としてお金を集めてできるようにはなる気がする。評価のためのジャーナル、というのも大事な価値では?
- 蛯名先生:
OAへの期待がどういう面かはっきりしないと議論ができない、と。
- 石居先生:
現状に関わって。鈴木さんが出してくださったことについて、国文学会の自己批判や出版/OAの適合判断について答えると。
わたしの方で若干の活用事例として目録の公開についてお話したが、あれ自体も、公開したのは目録と若干の史料公開であって、史料の全貌や個々の画像は出していない。そんなのは不可能だし、目録や調査報告は次に研究する人の入り口。すべてがそこで完結するのは望ましくないのではと考えている。どう活用するのか、どういう狙いがあるのか。研究者の側も考えないと。
出版計画が溢れている点については、ある面ではありがたいかもしれないが、とにかく出版者から来る出版計画が多い。私が一冊まるごとではなく分担執筆だが、私はここ何年も自分で主体的に書いて投稿していない。いただいた出版計画との間で出している、アウトプット中心の生活になっている。それは私自身が選別をしないといけないということでもある。そういった状況はある。
松本さんからいただいた点についていうと、科研費の成果をOAに、というのは仕組みとしても大事だし、助成を受けて研究する以上は速報性や区切った中での成果を出すことも必要になる。先ほどのワーキングペーパーの活用事例も、科研費の成果を出している。そういう点でも、OAは・・・今の研究者はほとんど助成を受けないと研究できないし、OAと親和性が高いように思う。
- 蛯名先生:
OAといってもいろんなレベルがあるというのと、出版計画の持ち込みの多さがある面で研究を歪めている、と。それから助成研究の速報性にはOAとの親和性がある、と。
- Eve先生
学術情報の流通、コミュニケーションの根源的目的とはなにか。それが評価なら、研究者がやっているのはゲームのようなもの、ということになる。もちろん評価の果たす役割がないとは思わないが、理想的には学術情報流通が果たすべき役割は、同業者に伝えること、最先端の研究動向を幅広く、人々・教育を受けた人全体に伝えていくことでは。
ぜひ思い起こしていただきたいのは、現在の出版システムは歴史の偶然の産物であるということ。今までの文脈があるからこういう形なだけで、今から新しく始めようとすれば今、OAと呼ばれているものが「publish」と呼ばれていたかもしれない。
最後に、理想論的なことを言うと。先程からいかに特定の研究成果を幅広い文脈の中に置いて考えなければいけないのか、という話が出ている。このような議論については注意がいる。こういう考えにとらわれると、エリート主義的、一般社会からかけ離れてしまうかもしれない。大学を卒業した学生が一般社会に入っていく。その中で、大学が一般社会から隔離された、かけ離れた場所であってはいけない。入学した学生に教育を施し一般社会に放り出すのが大学、なのではなく、究極的には教育を受けた社会を作る、社会全般として教育水準を上げることが、学術研究の果たす役割であると思う。
もう少しだけコメント。「市場」という話があったが、学術情報流通の中に真の市場はあるのか、それは市場と呼べるものか。研究の中で特定の論文が必要なとき、選択の余地はないことがある。必須のものなので、ある出版者のジャーナル論文が必要な時、他に選択肢はない。それはフェアな仕組みか? 出版を市場経済になぞらえてしまっていいのか。
- 鈴木さん
教育的な側面をMartinさんが重視しているのには賛成。そこでオーバーレイジャーナルが面白い。
本が電子メディアに優っているのは発見可能性。電子メディアは目当てのものしか出てこないが、紙や雑誌で見ていれば目当て以外のものも目に入る。たとえばたまたま医学分野の筋肉と骨格についての論文を読んだゲームメーカーが、それをゲームに取り入れたりする。電子メディアは自分の関心のあるものだけになってしまう。OAに「こんなものもあるよ」という機能を付け加えるといい。その点でMartinさんのいうオーバーレイジャーナルのようなものは非常に面白いのではないかと思う。
もう1つ、松本さんがいくつか役割を整理されていたが、一つ大事なのはひとづくりと思う。教育。その点で10月から、私どもと京大図書館で一緒になって、リポジトリに掲載されているオープンな情報や発表機会をどう使って研究を促進するのか、さらに同業者以外にインパクトのある論文を書くにはどうするのか、というワークショップを開催しようと考えている。そういったひとづくりが大事なのではないか。いずれにしても、有効に利用するためには、目的に応じた利用・公開の仕方を作り上げていかないといけないのではないか。
- 松本さん
鈴木さんの人材育成の話を、図書館はどんどん委託化が進んでいる中でどうできるかなあと考えると、OAだけではなく大きな課題であると思う。
会場討議
- Q. 人文系研究者。ピンポイントで石居先生に。私どもの学会は、紙で作ったものをNIIでスキャンしてもらって公開している。手間はかかるが、それをどこかで持ってくれるとしたら、OAにするでしょうか?
- Q. 図書館情報学者。紙の発見可能性について、紙で読んだものを電子でなら安く買えるとか言うことはできない?
- A. 鈴木さん:考えている手法は、再検索性というよりはアクセシビリティ、見えない人に本を読めるように、というのが強くある。本を買っていただいた場合、特別な紙をつけて送ってもらったら電子媒体を、というのは考えている。中身が障害者と大学の本なのでさっそくやろうと思っている。その手法なら、紙で買っていただいた方に直接的な検索可能性を提供できる、便利だということはある。目的は違うけれども考えています。それによって、コピーされてどうなるとかは次の段階で考えればいい。技術的にはいくらでも可能。小さな出版で紀要の電子化は難しいとかいう話もあったが、大学出版部のものはたいがいDTPでできているので、新刊はそうする。既刊書については図書館にやっていただくことになるかと。
具体的事例として、私どもがリポジトリに上げている本では「こんなアクセスあるなら増刷しようかな」というものがいくつもある。リポジトリにあげたことで利用されなかったものが再利用されることもある。電子と紙は相反することはないのではないか。双方向的ではないかと思っている。
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- A. Eve先生:英国においても調査・研究が行なわれていて、電子媒体での提供の印刷媒体での販売への影響を調査していたが、影響はないという結果が出ている。もちろん、電子媒体のデバイスのよみにくさ等の機能の限界の影響もあるかもしれないが、鈴木さんからもあったように、デジタルと紙は違った機能として扱われている可能性もある。紙は最初から最後まで読むが、デジタルなら途中を検索するなど。使い方を変えれば併存もありうる。
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- A. 青木先生:経済では「補完的」という。実証分析で、PDFがある方が紙の本の価値が高くなる、という実証分析も行なわれている。
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- A. 松本さん:慶應では学生に教科書の電子版と紙を双方渡すと、書き込むなら紙、試験勉強するならまっさらでもいいし電車内なら電子がいい、みたいに使い分けをしている。このプロジェクトで教科書のビジネスモデルが提供できればいいのだが、例えば「教科書全部、半期一万円なら電子で買う。紙で欲しいのは別に買う」など。出版者には電子と紙で出して欲しい。
- Q. NDLの方。コメントというか感想でもあるが。
- 1. お話うかがっていて、最後の松本さんの一言あったが、人社系の研究者にとっての本の価値が極めて重要。私は歴史学の出身で、論文をまとめて本にすることの重要性をずっと言われてきた。今回、OAを論文について使うのか、本について使うのか、曖昧なままで議論が進んでいるように感じた。
- 2. キープレイヤー、研究者と図書館、国、出版者といった議論がされていたが、学会や雑誌を発行する団体というような研究者集団が重要なのかと思う。つい先日、論文のOAについて、「誰も買ってくれないから結果的に雑誌を出す学協会がつぶれるんじゃないか」と懸念を述べられていた。そういうのが人文系、人社系のOAの議論のポイントになるのではないか?
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- A. Eve先生:OAの定義についてというなら。その語源はPeter Suberの言い出した、価格や権利障壁の排除からはじまったと思う。21世紀の3つのBから来ている。要するに、オンラインで自由に利用可能にすることと、色々なものを再利用可能にすることがOAの根本定義だと思う。
もう1つ手短にコメントを。学会、学協会がそれぞれ出す資料、刊行物の販売で資金を得るやり方には問題がある。そもそも学協会の役割は知識を幅広く伝え促進するところにある。支払わないと公開しないというのであれば、その役割を果たしたことにならない。その財政的なジレンマに対する解決策は持ち合わせていないが、資金を得るために情報を独占するのは本来のやり方ではないのではないか。
- 蛯名先生:財政的なモデルについて、なにかある?
- Q. 人文系研究者。数年前からOUPで雑誌を出している会計の仕事をしている。その中ではじめて知ったのだが、日本の大学が電子ジャーナル会社に支払っているお金が、雑誌を出している学会の運営費にまわっている。大学図書館が学会誌を買ってくれるのと同じようなことが大規模に行なわれている。もちろん、一括購入の中の数%ずつが学会に回っているということで、学会によって出版からもらっているお金が違うようなのだが・・・そういう構造があったとして、日本のドメスティックな人文系の学会はその循環から完全に離れてしまっている。その輪から離れていて、国際学会でOAについて議論するときには、各大学が電子ジャーナルに払っているお金を諦めるかどうかが問題になる。ドメスティックな方だと、学会費が払ってもらえなくなるかもという議論になる。大きな違いがある。背景に、置かれている資金のサイクルが違うということがあるのと、理工系の電子ジャーナルに詳しい方は多いと思うので教えていただきたいのだが、Elsevier等でも雑誌を出している学会にキックバックがあったりはするのか?
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- フロア:その話はあとで個人的に・・・。
- Q. 大学図書館の方。人文系のOAというが、そもそも人文系のデジタル化をどうするかに論点があるように思う。既存のものの電子化、デジタル化という意味では、あるにこしたことはない。紙があるのに電子があるのは便利で間違いない。問題は、OAにした時、オープンにしたときの問題は、いわゆるリテラシーのことなのかなと思う。リテラシーがない人たちにオープンにされることなのかな、と。それについてコメントいただきたい。
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- A. 鈴木さん:定義の問題とも関連して、私も自覚している。私ども、本をリポジトリにあげていますが、OAにしようとは考えていない。その一つに、本はなんのためにあるのか、デジタルデータをオープンにするのはなんのためかというのは仕分けしたらいい。そこでリテラシーが大事なのもそうだが・・・例えば博士論文は全てオープンに、という考えがあるが、それでいいのか。博士論文なんて主査と副査に向けて書いたもの。それをオープンにして意味があるのか。それを誰に読んで欲しい、と思ったときに本にするとか選択がある。リテラシーというのは使う側の問題だが、むしろ出す側の使い分けのようなもの、そのためのしっかりした区分けがない、コンセプトがしっかりしていないことが問題。リテラシーは悪いに決まっている。全国民に教育なんてできないんだから、出す方の使い分けが重要では。
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- A. Eve先生:読むものを提供しなければ、リテラシーも上がらない。
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- A. 石居先生:自分もそれに関わって悩みながら試行錯誤しているところ。従来であれば、OAを前提としない形であればどこまでのことを書くかの線引きは、学術出版なのか一般向けなのかで出し方をこれまでは変えていた。OAが前提になるとどこまで出すかが・・・特に被差別部落の問題は、一般的にもどこが被差別部落だったのかを特定したいという人達がいる。学術的なものではある程度、地域も特定できるようにしないと研究として、ということがあったが、それをオープンにするとなると、そうすることへの合意がとれているかどうかが問題になるし、それをクリアできたとして、OAの中に出すことに・・・触れてもらってリテラシーを鍛えてもらうんだ、というところまで覚悟を決められれば出すことにも意味はあると思うが、今までの書き方についての前提をあらためないといけない。
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- A. Eve先生:先ほどの発言に付け加えると。アカデミックに高度な内容を一般に公開する形で行なうことが、必ずしも従来の論文に匹敵するものではないにしても、様々な異なったレベルで出すことはできる。21世紀のリテラシーモデルとして、ある程度レベルを分けて出すことはできると思う。
岐阜出張につき移動中のアップロードなので感想は簡潔に。
人文系の先生とか人文系出身の図書館の方のお話聞いて思うのは、読み手のことをすごく考えてるよなー、ということでしょうか。
自分の感覚としては論文をOAにする際には「専門以外の人が読んでどう受け取るかとかどうでもいい、受け取れる人は受け取ればいいし、ネット人口は億単位でいるんだから100万人に1人が読めりゃ読者は100人、同業の研究者よりも多い」って考え方なのですが。
人文系だと、より人の営みに近かったり、(一見。あくまで一見)理解しやすそうでもあることから、リテラシーのない人たちの間で思わぬ形で使われる、みたいなことにはより敏感な例もあるのかな、とかなんとか。
そういう差異も意識しながら話をしないとうまく咬み合わないところもあり、逆に意識して話せばその違いが面白くもあり、なんてことを考えつつ、やや、そろそろ到着地の駅が・・・