かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

「書かれたものをばらばらに組み合わせるとお前のものというのをどう越えられるか」/「書店はなくなる可能性はある」、「(本も)おそらくなくなる」、「専業の書き手もいなくなる」?!...トークセッション『言語とはなにか:書く、伝える、遺す』(長尾真×円城塔)

第1弾、第2弾とレポートをアップして来ました国立国会図書館(NDL)・長尾館長の対談シリーズの第3弾、『言語とはなにか:書く、伝える、遺す』(長尾真×円城塔)に参加して来ました!

これまで本という形を与えられていた情報は、インターネットをはじめとする様々な媒体の間を相互に行き来するようになりました。これまでデータベースとして機能してきた図書館も勿論、この変化の中に在ります。これからの図書館はどんな形で、どんな新しい「できること」を提供できるのでしょうか。本シリーズでは、現・国立国会図書館長である情報工学者の長尾真氏が、毎回ゲストと対談する中で、その変化の特徴や可能性を探ります。
言語や文字から生み出される行為や現象から、言語の可能性と不可能性を考えてみる。「書く」「伝える」「遺す」などの行為や言語の存在により生じるさまざまな現象と、本や図書館はどう関わるのだろうか?視えない本や図書館はありうるのだろうか?
自然言語処理の世界の尖端で言語と向き合ってきた情報工学者・長尾真氏と、「SF」「純文学」などのカテゴリーに閉じることなく自由に「言語とは何か」をテーマに書き続ける作家・円城塔氏による、言語を巡るトークセッション。


  • 対談ゲストプロフィール

円城 塔 氏

1972 年生まれ。博士(学術)。1995年東北大学物理学科卒業。2000年東京大学総合文化研究科修了。北海道大学京都大学東京大学でPD[Post- Doctoral Fellow]を経て、2007年より小説家。第104回文學界新人賞、第1回文学賞メッタ斬り!新人賞を受賞。著書に『オブ・ザ・ベースボール』『Self-Reference ENGINE』『Boy’s Surface』。在学・在職中の専門は広義の物理学。主テーマは、言語とは何か。文芸誌、SF専門誌、Web雑誌などジャンルを問わず活動中。小説家へ転身してからの主な興味は、文字を使って何が可能か、或いは文字を使わずに何が可能か。動く文字や動く小説を文字を使って書くことはできるのか。例えば小説を読むことは読み手の中で何かが動くことであり、それを小説本体へ折り返すことはできるのか、等。スローガンは「飛び出す小説」「書けない小説」「消える小説」「勝手に書かれていく小説」等。

ちなみに円城さんのwebは以下。

告知エントリ*1で自分がぐるぐる転がってもいましたとおり、またセッション途中で司会のmattの李明喜さん*2もおっしゃられているとおり、長尾先生と小説家の対談となれば円城さんほどふさわしい方はいないだろうという・・・
Self-Reference ENGINE』の衝撃はもうなんでしょうね。
「八丁堀の巨大知性体の旦那あぁあ」というワンフレーズのおかげで僕は未だに八丁堀駅で笑ってしまうわけですがどうしたものなのかとか。
「近年、近年〜」エントリ*3のきっかけの一つである「卒業論文を題材にした卒業論文を自動生成して・・・ってのをずっと繰り返せないか」という自分の発想は絶対円城塔の影響ですし、とかなんとか。


そんなわけで自然言語処理の大家と文字や言葉を使った試行錯誤がとんでもないことになっている小説家のトークセッション、面白くないわけがないと思いましたが案の定、いや予想のさらに斜め上を行く面白さでした。
ということで以下、レポートです。
Twitterハッシュタグ"nagaoenjoe"で実況されている方もたくさんいたのでそちらを見ていた方はすでにだいぶ雰囲気を掴んでいるんではないかとも思いますが*4、まとまっているのもまあそれはそれで意味があるんではないかー、っと言うことでさらに当日の感じを掴む手助けになれば幸いです。


例によってmin2-flyが聞き取れた・理解できた・書きとれた範囲でのメモであり、かつ今回は過去2回以上に「セッション」されていたので(円城さんと長尾先生が互いに直接パスを投げ合いまくっていたので)メモが取れていない・意味を取り違えている部分も多々あるかと思います。
その点ご理解いただいた上でお読み頂ければ幸いです(当日、会場にいらしていた方で誤りに気付いた方はコメント等にてご指摘いただけるとなお幸いです)。


では以下、セッション本文です。
最初は長尾先生から「自然言語処理とはなんぞや」、円城さんから「小説家になった経緯」のお話・・・あるいはお2人とも「食べていけるか」で学部を選んだはずなのにその後は・・・というお話から!




長尾先生と自然言語処理・・・"今日ではコンピュータでやるのにはチョムスキアンでも勝てないと思う"(長尾先生)

  • 李さん
    • いつもタイトルと関係ない話に行きそうだが、今日設定したテーマは言語について。ゲストは小説家の円城塔さん。円城さんはご存知の方も多いと思うが、研究者から小説家になられた。今まで単著で3冊書かれている*5。それ以外にもSFマガジンや文芸誌で旺盛に書かれている。そのお二方を招いて今日は言語にどこまで迫れるかと言う話を出来れば。
    • 言語と言っても何をフォーカスするかは多様。長尾さんと円城さんの取り組み方も違うかもしれないし、共通する部分もあるかもしれない。最初は長尾さんに、「自然言語処理ってなんぞや」ということを。特に自然言語処理における言語の取組について簡単にお願いしたい。
  • 長尾先生
    • それでは簡単に。私は1959年に大学を卒業して、修士の後、助手になった。最初にやったのは文字を読む機械を作ろうということ。学生のころは文学部と工学部で悩んでいたが、文学部では飯が食えないし親にも悪い。なので飯が食えそうな工学部に行った。しかし子供のころからの憧れは投げがたく、自然に言葉の方へ来てしまった。まずは文字を読み取る機械。1960〜61頃で、そのころはワープロなんかないし、かな漢字変換もない。最初は英語のアルファベットや数字を読む機械を作った。基本的な原理は郵便番号読み取り装置の初期の原理になった。そういうことをやりながら、まずは文字をやらないと言葉は扱えないと。なんで計算機で言葉を扱わないといけないかは説明しなくてもいいかと思う。コンピュータで言葉や文字が扱えないと今はどうにもならない時代になった。
    • 文字読み取りがなんとかなり、もとから興味を持っていた言葉をコンピュータで扱うことに入って行った。言葉を扱う場合は、中高で英語をやったと思うが、文法を学ぶことによって英語が読めて作文ができるようになる。文法を使って、コンピュータに入っている文を分析して機械翻訳をやろうと思った。単語の辞書と文法を用いて文を分析して、日本語⇔英語が翻訳できるというのをやったんだが・・・やればやるほど文法規則ってなんなのかわからなくなってくる。人間の書く文章のバリエーション、変化形は千差万別。いろいろな表現の仕方がある。文法規則を簡単にあてはめることはできない、と言うのがだんだんわかってきた。日本語の場合は「私は東京へ行きます(主語・目的語・動詞)」が基本、英語は"I go to Tokyo"(主語・動詞・目的語)。でも必ずそうなるかと言えばそうではない。それを解釈する規則を作ろうと思うと特殊な表現それぞれに規則を作っていかないといけない。そんなわけで私の機械翻訳では1,000を超える文法規則を作った。それも言語学者が保証してくれるようなものではない、経験的なもの。それで作ったシステムが1984〜85年ころにできたが、文章を入れるほど翻訳に失敗した。
    • 文法と言うのは先天的に与えられているように学校では教えられるが、実際は言語現象の中からエッセンスとして引っ張り出したもの。基本的には主語・目的語・動詞と並んでいるがそうでない例外は山ほどある。規則が安定的に存在するのは形態素解析のレベルまで。構文規則ではなく付属語の接続とか、英語などなら活用の形態素なら安定している。だけど文法になってくるとその安定性が崩れて必ずしも規則が信用できるものでもないんだ、というようなことがはっきりわかってきた。じゃあどうするかということになった。
    • そこで考えたのが表現を中心に考えよう、と。人間の書いた文章の表現は人間の頭の中から言葉として出てきて通用するもの。それを尊重して文章の解析や翻訳をやる必要があると気づいて、用例を用いた機械翻訳を作った。文法規則なら1,000〜2,000だが、用例は10万〜100万と集める必要がある。それも日本語と英語のフレーズのペアをコンピュータに覚えさせて力づくでやる。それで翻訳、それも質のいい翻訳がかなりできる。用例にガイドされた翻訳システムは、はじめは理論的でないと世界中にけなされたが、みんな文法に従っていると限界があるのがわかってきて、1990年代に入ってきて「人間の頭は凄い能力を持っていてあらゆるバリエーションに対してちゃんとやってる。コンピュータもそうやるべき」となり、2000年代に世界中が用例主導の機械翻訳システムになってきた。
    • そうこうしているうちにインターネット上で用例データがいくらでも手に入るようになった。僕らがやってた頃は100万程度しか集められなかったが、今はネット上にあらゆる文章があり、50億とか80億文集めてそれをコンピュータの力でしゃかりきに解析して辞書に入れる。英語でもやって、日英・あるいは英日辞書、1単語レベルではなく3単語、5単語の辞書を作る。その代り1単語の場合は10万で済んでいたのが2単語だと10万の2乗、5単語だと5乗と膨大になるが、現代のコンピュータならできる。
    • チョムスキーなんかは人間の能力に限界があるから人間が言語データを扱っても仕方ないという。形態素解析までは少数の例で規則がかちっとわかったが、構文レベルは全部を人間の能力で把握できない。言語データが集められないこともあって出来ない。そこでチョムスキーは先天的に、トップダウン的にやっていたが、それも限界があるというのはチョムスキーから30年くらいでわかって、今日ではコンピュータでやるのにはチョムスキアンでも勝てないと思う。が、そんなこと言うと純粋言語主義者は怒るに違いない。抽象的にわかって、説明ができてやって行くのが学問なんだから、データを集めて言語がわかりましたなんて言ったってわからないのと一緒だとおっしゃるに違いないし、学問とはそういうことだと自分も思うが、実用ではまた別のアプローチがありうる。
    • そこでGoogleだとかいろいろなところが検索サービス等をやっていて、あれは言語処理レベルではくだらないことしかしていないんだけれど、彼らも言語処理の研究者をものすごく数えて必死にやっているので、そのうちいいサービスが出てくるだろう。私は今の立場だと研究はできないのだが、教え子や同僚にははっぱをかけているのでGoogleには負けないとも思うし、これから電子図書館をやるということになって本のデータを言語処理的に扱うとものすごく面白い。楽しみもある時代。
  • 李さん
    • いまわれわれが日常的に使っているような技術、郵便番号認識やかな漢字変換が長尾さんのやっていたことから出てきていたと言う。

小説を書き始めた経緯・・・"書くというのはどういうことかに興味があった。","「来年からご飯困りそう」というときに思わず小説を書いた。生存戦略としては間違っているが、幸い食べれている"(円城さん)

  • 李さん
    • 言語についてやるとなると書き手で真っ先に浮かんだのは円城さん。円城さんがどういう風に意識して書かれているのか伺いたいが、もともと研究者であった円城さんが小説を書かれている経緯からお話しいただければ。
  • 円城さん
    • 普通にお話を聞いていたので急に振られたって感じ(笑) 私は1972年生まれで、大学に入ったのが1991年。物理か生物か世界史と思って、物理ならわかるから、くらいで大学に入った。物理やってれば食いっぱぐれないかと思ったら見事に食いっぱぐれて小説を書いている(笑)
    • 大学の物理はまじめ、固体物理とか。でもそれはきつかったのでもっとやわらかいことと思って東京へ移った。大学院って固そうだが、行ったところの指導教官は「おかしなことをやれ」って言った。同期が「生命」って言ったので僕は「自然言語」って言ったのが食いっぱぐれのもと。物理で「言語をやる」っていうのは90年代なら狂ってないと思うが、主流から見るとおかしな人。指導教官もおかしな人なのでチョムスキーやるとか許してくれない。
    • 言語を書かれたものに取り組むのはまあできる、まあできるって長尾さんの前で言うのは大変なことなんですが(笑)、書くというのはどういうことかに興味があった。言語に限らず数学でも、ルールを置いて基本的な要素からくみ上げる発想が苦手で、上にルールを置いてそこから単語が出てくるシステムがないのかっていうのが主な興味。それで大学院を過ごし、行き場もなく、ポスドクを3回やって「これは食えないのでは?」となり、「食えないなら小説を書くか」という間違った選択をして今、小説を書いている。なんで小説を書き始めたとか言うのは全然なく、「来年からご飯困りそう」というときに思わず小説を書いた。生存戦略としては間違っているが、幸い食べれている。研究していたときより食べられている。小説を書き始めても研究者のころと特に変わることもなく、「ひとつ大きなルールから口で話せるような単語が生まれるってどういうこと」というのを考えることが多い。

"もう書かれているのは当たり前で、もう書かれたものをばらばらに組み合わせるとお前のものになるというのをどう越えられるか"(円城さん)

  • 円城さん
    • さっきの長尾さんのアプローチ、ものすごい数の文章をデータベース化して翻訳するのはよくわかる。「それをやるよね」っていうのが素朴な感想。その時書き手はどうやるのか。書いた文章を上げるという往復運動しかないところでずっと横滑りしている感じがある、何を書けばいいのかわからなくなる、と言うのが素朴な困ったこと。「それはもう書かれている」。もう書かれているのは当たり前で、もう書かれたものをばらばらに組み合わせるとお前のものになるというのをどう越えられるか、記号レベルでは越えられないがどう何を加えられるか。
  • 長尾先生
    • 最後のはよくわかる。分析と言うのは目の前のことを調べることなので、一生懸命やればなにかわかる。でも文法や単語を使って何を作り出していくかという場合には作り出せる可能性は無限にある。その中の何を選んで作り出すかということには、何かの要素や制約条件がないと適切なものが作りだせないと思う。その辺小説家はどういう風にやっておられるのか?
  • 円城さん
    • 僕は小説家3年生なので代表出来ないが、なぜか彼らは書いてしまう。「気付くと何千枚になっていた」とか。
    • 僕は何かの枠を決めてそこに放り込んでいかないと出来ない。何かのシチュエーションを置いておいてそこに人物を入れていく。ただそう言う人はあまりいない。今の(自分の)やり方は言語処理に近いので、「俺を機械化した方が早い」と思うこともある。
  • 長尾先生
    • 頭の中にあるネットワークみたいなのを最後のところでどうやってまとめるか、何を言おうとするかというシナリオみたいな設計図はない?
  • 円城さん
    • 僕はがっつり設計図があるが、大きな設計図を書くのは大変なのであまり長いものを書けていない。ずっと枝分かれしている枝を何かわからないけど決めていくという人もいるが、そういう超能力はよくわからない。
  • 長尾先生
    • 随筆みたいなストーリがないものは?
  • 円城さん
    • そういうのもある。設計図書けないみたいな。
  • 長尾先生
    • そういうものでも読者からすると書き手の人柄が出ているとか、訴えていることとか浮かんできますよね?
  • 円城さん
    • どうしてもあるらしい。

"僕はバラバラなものを生成して僕を捉えられなくしたい"(円城さん),"著作物と言うのはなんなのか"(長尾先生)

  • 円城さん
    • ちょっと話は変わるが、短歌の自動生成*6というものがある。かなりいいのが書けるが、それを歌人に見せると背後の人格が見えなくて酔うらしい。
  • 長尾さん
    • 円城さんの140字の*7も頭くらくらする。一種独特の・・・
  • 円城さん
    • お話をガンガンデータベースにあげていったときに、登場人物のテンプレートができて何かに突っ込むとお話ができる、となると僕らは要らなくなる。ならテンプレートを全部こっちで出しておけばというのがあれ。
  • 長尾さん
    • コンピュータでもそれはやったが、有限の表現しかなくて面白くない。
  • 円城さん
    • まずテンプレートに飽きないと駄目だと思って。
  • 長尾さん
    • ランダムジェネレーションしてやると間の関係がわからないというのが普通の解釈なんだが、人間は何か意味があると考える。そこの意味の取り方はどう考える?
  • 円城さん
    • 短歌の自動生成が強いのは全然違う単語が並ぶことで慣れた人にショックを与えること。誰かが人間の書いたものを何作か読むことでその人を想定するというとき、機械が生成したものを読むと背後の人間が想定できなくなる。僕はバラバラなものを生成して僕を捉えられなくしたい。
  • 長尾さん
    • 現代社会に似ている。混乱した感じが・・・
  • 円城さん
    • そうじゃないとやってられない。ひたすら自分の情感を書き連ねるのは2人くらいいればいい。情感はブログに書いてくれよ、と。
  • 長尾さん
    • しかし脈絡がないのを並べられると我々平凡人は・・・
  • 円城さん
    • だから論文の自動生成とかだと問題ですよね。やってる人もいますが。ソーカルを自動化すればいいんじゃない、みたいな。
  • 長尾さん
    • 言語技術でやれば新しい論文の生成とかは簡単にできる。
  • 円城さん
    • 今中学生でも夏休みの宿題でやっていますね(笑)
  • 長尾さん
    • 著作物と言うのはなんなのか。単語や「てにをは」を入れ替えれば一見、元の人の文章と全然違うが新しい人の創意工夫は何も入っていないことになる。それを著作権でどう扱うかとか。一発、そういうので衝撃を社会に与えることで著作権問題を真剣に議論するとか・・・
  • 円城さん
    • 悪戯はいろいろありますから。出版者にジョイスを送るとか。でもそれをやると書く意味がどんどん失われ内面がおかしくなる。

"可能性の追求は無限の可能性があれば人間の能力になるが、将棋でも俳句でも「巨大な有限」なら人間はその中で選ぶ・評価する能力しかないのでは"(長尾先生), "特定の人にしか面白くない小説とか。やりたい気もするが、食べていけなくなる"(円城さん)

  • 李さん
    • 円城さんの140字小説のライバルで「青空ボット」というのがあって*8青空文庫*9で公開されているものをデータベースにして、いわゆる引用のように一文を生成する。3分に1回必ず更新される。これが今の話に通じるもので、円城さんはある意識を持ってやっているが、青空ボットは全部機械。でもときどき「うお」と思ってお気に入りに入れてしまうようなものもある。こういうことがTwitterで起こっている。そのあたりについて円城さん、長尾さんはどのように?
  • 円城さん
    • 長編で勝負するならそれほど問題は・・・いや青空文庫だけ読むってのもありますが。青空ボットくらいの文字数だと勝てない。他の人のつぶやきを見なくてもこれを読んでいる。新しく書かれるよりも強いものが書かれてしまっている。
  • 長尾さん
    • あり得ると思う。5・7・5なら17文字。そこにあらゆる単語を入れ替えてやれば何千億、何兆作ってやれば人間が5・7・5読んだどれかはすでに作られている可能性がある。人間の能力とはその中から「これがいい」、「これは良くない」と。それを選ぶ能力が人間にしかないのか、あるいは・・・?
  • 円城さん
    • 僕は割とそこも悲観的。確かに人間の能力はすごいが・・・いろは歌とか、あれを凌ぐものは見つからない。新聞で公募したりやコンピュータでも見つからない凄さはある。そういう状況があればいいが、今、本が売れるか売れないかまで落とすと「ほぼない」と言う感じがする。「これがいい」ってのを誰かが掲げても「おお、いいぞ」とならない。青空文庫もみんな芥川しか読まない。書き手ができるのはいいものを書くだけで、それが拾われるのは「確率的に拾われるかも」くらいに減退している。
  • 長尾さん
    • 可能性の追求は無限の可能性があれば人間の能力になるが、将棋でも俳句でも「巨大な有限」なら人間はその中で選ぶ・評価する能力しかないのではと。
  • 円城さん
    • それが人間の認知能力の限界と、「多すぎて読めない」というのにぶつかると・・・どうしましょう・・・?
  • 李さん
    • 認知能力って?
  • 円城さん
    • テンプレートを無限に考えられない、みたいな。
  • 長尾さん
    • 生まれてから得られた経験の積み重ねという。「あなたとは違う」みたいな。価値観の共有は一般論ではあり得るが実際は違う。
  • 円城さん
    • 特定の人にしか面白くない小説とか。やりたい気もするが、食べていけなくなる。
  • 長尾さん
    • あとはベストセラー?
  • 円城さん
    • ベストセラーはジェネレータできそう。
  • 長尾さん
    • 戦略的にやればできるんじゃ?
  • 円城さん
    • 機械処理でやれば・・・機械処理でベストセラー作るのを推奨するんですか(笑) お弟子さんでそういうのを推奨すれば。ベストセラーだから食べていける。コンピュータで作ってるってばれても売れると思う。

"今世界で一番本を読んでいるのはGoogleGoogleに読みやすい本を挙げて、Googleが読む。人とは切り離されて情報だけまわっていてもいいんじゃないか"(円城さん), "人間が小説を読んだら自分なりの何かが出てくるじゃないですか"(長尾先生), "完全に(研究者の長尾先生と小説家の円城さんで、立場に対して)言ってること逆じゃないですか!"(李さん)

  • 李さん
    • 長尾さんはコンピュータを人間に近づけるアプローチ。円城さんは勝手な思い込みかも知れないが、人間も機械みたいなところあるんだからそれを引き出すみたいなアプローチ。その違いは?
  • 円城さん
    • 全然違う上に立場的にも逆。研究者の長尾さんが「人間が・・・」と言い、小説家の僕が「やっぱ機械ですよ」と(笑) 機械翻訳をやっていて、「処理しやすい文法書けよ?」とか「そう言う言葉作れよ」って考えません?
  • 長尾さん
    • 考える。エンジニアは機械翻訳しやすいマニュアルを最初にぴちっと書いて、機械翻訳でやればあらゆる言語に直して売れる。産業日本語を設計しようと、昔から言っていて、最近増えてきた。
  • 円城さん
    • ローマ字日記みたいにして。形態素分けやすいし。
  • 長尾さん
    • 文学的な雰囲気がないですよね。
  • 李さん
    • 完全に(長尾先生と円城さんで、立場に対して)言ってること逆じゃないですか!
  • 円城さん
    • 僕が文学的なことができるのはそういうことの先。全てマークアップされた後に「待て、こんな変なものもあるぞ」と。
  • 長尾さん
    • コンピュータは確かに肉薄しているが、どうしてもしきれないところがある。チェスはすでに世界チャンプよりコンピュータが強い。将棋はまだ時間かかるがいつかは人間が負けるだろう。しかし言葉はどうか。将棋とかチェスとかは規則がはっきりしている。言葉は規則や厳密さや定義がない。そこがコンピュータが勝てない、人のずるいところ。
  • 円城さん
    • Google検索の話で言えば・・・今世界で一番本を読んでいるのはGoogleGoogleに読みやすい本を挙げて、Googleが読む。人とは切り離されて情報だけまわっていてもいいんじゃないか、と。今日本で文学と呼ばれているものがそういう乖離をしていそう。勝手にくるくる回っているだけ
  • 長尾さん
    • 人間が小説を読んだら自分なりの何かが出てくるじゃないですか。そういうさあ・・・
  • 李さん
    • 立場の逆転が続きそうなので、ここでいったん休憩を。



ここで10分間の休憩タイム。
・・・あって助かった、なかったらここで自分の腕が死んでいた気がする・・・


"人間はなぜ書くのか?"(フロア), "ものすごく広範囲の人に読まれるものはあるが、そこで得られる情報は低減している。あえて人間が作らなくてもいい。"(円城さん), "自分が書き出してみないとわかったことにならない。"(長尾先生)

  • 李さん
    • では会場から質問があれば
  • ??さん
    • 人間ってなんで書くのだろう? 機械で生成するのと人間が作る違いがどこかにあって、機械でいろいろ作れて個々に応じた品物を提供するのも人間の今まで生きた経験とかをパターン化すればできるのかなと思う反面、最後の落ちとかどこかで人間にしかできないことがあるのか?
  • 円城さん
    • もう一つあって、なぜ読むのか。そこは表裏一体。さっきの話に戻ってしまい、自動要約エンジンとかあるのでそこで読むと書くがぐるぐる回っていればいい。ものすごく広範囲の人に読まれるものはあるが、そこで得られる情報は低減している。あえて人間が作らなくてもいい。おひとり様が楽しめればいいと思うがそれは家庭生活だし・・・僕は特に「これを訴えたい」とかもないし、なぜ書くのかというのはない。知りたいのは「言語とは何か?」で、それを知るには書いてみるのが手っ取り早い。
  • 長尾さん
    • 「わかった」とは何かっていうこと自身が問題。自分が書き出してみないとわかったことにならない。書きだすことでもやもやっとしてることが客観的な世界に投影されて、それが頭に戻る。そのプロセスがないとわかったことにならない。頭の中だけで考えていて「わかった」というのはあやしいわかり方。いったん外に出すことで自分のわかり方を自分で自覚する。それがないと「わかった」ことにならない。生理学的に言えば人間は外に出して働きかけることをせざるを得ない構造になっているのではないかしらん、とも。「書かざるを得ない」みたいのが・・・特に小説家は・・・
  • 円城さん
    • のはずです、僕は違いますが。となると「皆書け」となり、誰が読むのか。図書館はそれを全部集めることになる。
  • 長尾さん
    • そこがしんどい。本のように編集者にチェックされてそれを図書館で集める場合はある種の評価基準があるからいいが、ネット上の情報をGoogleとかInternetArchiveとか集めているが、それを際限なく集めるのはなにか・・・?
  • 円城さん
    • 実物大の地図作ってるのとあんまり変わらないですよね。
  • 長尾さん
    • そんなことやってると人間世界が埋まってしまう。
  • 円城さん
    • 本を出す意味がわからなくなる。ただ、90年代〜00年代のブログの議論はこのままだと完全に失われるので誰かが貯めないといけないという気もする。そして素朴に面白かったので素朴にためておかないと、と言う話もある。
  • 長尾さん
    • それが可能かどうかは・・・Googleなんかは今は膨大なメモリを使って工場みたいなところでやっている。その電力が足りないから原子力発電所を作らないといけないとか言っているらしい。
  • 円城さん
    • 冷房が勿体ないから極地におこうとか言っていたのが、最近だと冷房しないでメンテしているらしいですが・・・現状のインターネット型の記憶がどこまで持つのか。データヘブンみたいなものを作るのか、地域ごとに分裂するのかとか、わからない。データヘブンのようにデータを上げ続けるのはある意味狂っているが、たまにSF作家を名乗る身としては「やれるところまでやってしまえ」と。

"(数学の知識が)日常生活に支障をきたしたりしない? どんぶりにのせる具の順列組み合わせを考えてて嫌われるとか"(円城さん), "私はアバウトな人間なので言葉の意味を突き詰めてもわからないしいい加減なところでやめておこうかと"(長尾先生)

  • 李さん
    • ほかにもう一人くらい。
  • 大学生・松井さん
    • 円城さんの本では数学的なネタ、トピックがある気がするが、数学の知識がお二方の自然言語を読む上で、理解を助ける上で役に立っているということはある?
  • 円城さん
    • なんでも分けて数えるのはそうだが、居酒屋の割り勘みたいな話で・・・基本的なテンプレやデータ構造を考えるというのはあるが、いいことなのか病気なのか。
  • 長尾さん
    • コンピュータのプログラムはアルゴリズムに従って書かれ、アルゴリズムは論理プロセスの上にある。そう言う意味での数学はコンピュータにとっては必須。
  • 円城さん
    • 日常生活に支障をきたしたりしない? どんぶりにのせる具の順列組み合わせを考えてて嫌われるとか。僕はあるんですが。
  • 長尾さん
    • 私はアバウトな人間なので言葉の意味を突き詰めてもわからないしいい加減なところでやめておこうかという・・・どんぶりの中とかはあんまり考えない・・・
  • 李さん
    • 『Boy's surface』の式の意味とか・・・
  • 円城さん
    • 何か書かないと「Love = mc^2」と書かれると脅された(笑)

"人間は有限の存在なのでその中でやれることは巨大な有限の中のほんの一部しかない"(長尾先生), "『バベルの図書館』を認めると、「原子を並べるとあなたになる」見たいな話"(円城さん)

  • 国会図書館・カワイさん
    • ボルヘスの『バベルの図書館』*10について。小説家も全ての組み合わせを考えないにせよいい組み合わせを選ぶんだと思うんだが、組み合わせを考える派となんとなく派がいると思う。どっちが面白いのかとか、Googleが集めた物凄い数のデータを有用に使うのは誰がどう使うのかとか、お話を伺えたら。
  • 長尾先生
    • 5・7・5は有限の組み合わせだし、単語も有限ならそこから何を面白いか選ぶのは機械にはない能力、っていうのと似たようなことになるかと思うが。小説の長さが1,000ページあるとしても1,000ページ以外の小説を書くとか。それも有限だとすると何が選ばれるかという・・・そう言う話になって、結局宇宙全体の中で原子・分子がいくつあってそのうち地球や太陽を構成するのがどうなっているのかというのにつながる話に。想像もできないような有限の世界かも知れないが、人間は有限の存在なのでその中でやれることは巨大な有限の中のほんの一部しかない。その中でいかに有意義な道・生き方をするかという。ある意味じゃさびしい、かなしい存在であるという回答しかできない。
  • 円城さん
    • いや、そうなんですよ(笑) 『バベルの図書館』を認めると、「原子を並べるとあなたになる」見たいな話。それは良いことにして、それに何の記述をはめるのかが一番問題。そのもう1枚上の、別の系統の層をもう1個作る。小説の作り方を並べて考えるとか、Googleを単語のように使ってみるとか。そして書けてしまえばそれもバベルの図書館。
  • 長尾さん
    • 全宇宙を見られる全知全能の神がいれば円城さんの小説も「コンピュータで作った何番目」みたいな・・・
  • 円城さん
    • かなり神学的な話。とんでもなく膨大で、そこにたどりつくためのアルゴリズムとかは大変正気な話だが、小説を書く人間があまり正気でも仕方ない。
  • 李さん
    • 質問はここまでで。

"ネットワークは共通の場は作るがみんなでいっぺんにコミュニケーションはできず平面の上で島状にコミュニケーションする"(円城さん), "それは人類の末期的な症状では?"(長尾先生)

  • 李さん
    • 前半の話に戻すと、お2人とも「設計者」としてやられてきている。そのときに、「物語」というものはどうなるのか? 円城さんはそこに関わらない。僕も設計する場面では物語は邪魔というのが現代的なネットワーク/アーキテクチャの状況に起きている問題(と考えている)。じゃあ、物語は、設計をするときにありようがどうなっていくのか? 
  • 円城さん
    • 僕は単に書けないっていうのがある、物語的なものが。僕は裏へ裏へ回るので「物語を書きません」宣言した後に書くこともあると思うが。全員に通じる物語を信じることはほぼできない、なので書けない。書く側は機械的に書くなり何らかの形式にのっとって書くなら形式的に読み書きすることが可能なはずだが、それが全員に共有されるわけもない。どんぶりの具で揉めるくらいだし、小さくして放り込むしかないのかも。もう一つは全然合致しないんだけど別の意味が生じることに期待するというのはあるけど、それを書くのはおかしいので勝手に生じるのを待つ。
  • 長尾さん
    • 小説を書くのは人に理解してもらうためだろうと思う。今まで書かれていないことを探すのは基本だと思うが、やりすぎるとコミュニケーションの共通基盤がないとコミュニケーションが成り立たない、書いたものが理解されない危険性があると思うが?
  • 円城さん
    • それはもう起こっている。現状はすでにそう、ネットワークは共通の場は作るがみんなでいっぺんにコミュニケーションはできず平面の上で島状にコミュニケーションする。それがインデキシングが足りないのか単に量が多いのかはよくわからないが。
  • 長尾さん
    • それは人類の末期的な症状では?
  • 円城さん
    • だとは思うが、それが今世紀の話なのか1万年にわたって続いてきたことなのかわからない。
  • 長尾さん
    • 誰が見てもいいと思うものが昔は・・・ギリシア彫刻とか、音楽とか。しかし現代音楽は普通の人は理解できない。どんな分野でも成長期と爛熟期と衰退期があるとすると、今はあらゆることで衰退期なのでは?
  • 円城さん
    • それが産業革命以後ずっと言われていることなのかわからないというのと、その中でwebを強化するというのはどういうことなのか。
  • 長尾さん
    • こういう無茶苦茶な世界は今後どう発展するのか? どうなっていく? 発展でなくてもいいけどどうしたらいい? 例えば図書館は?
  • 李さん
    • それがわかったらこのセッションはいらないのでは(笑)

"書店どうですか? 正直なところ"(円城さん), "すべての職業に栄枯盛衰は避けられないと思う"(長尾先生)

  • 李さん
    • 長尾さんはフランス国立図書館やアレクサンドル図書館の人と館長として図書館の話をされている。その中で必ず「でもこうやりたい」というビジョンは早くからあったし、アイディアも出されているが、いつも出てくるのは出版業界や書店の問題で、そのため考えられていることが展開しない。今日、始める円城さんとの間で書店の話も出ていたが、そう言う話は?
  • 円城さん
    • 書店どう、どうですか? 正直なところなんか・・・
  • 長尾さん
    • すべての職業に栄枯盛衰は避けられないと思う。書店も今の形の書店はなくなっていく可能性はある。円城さんがコンピュータで書かれたものが産地直売みたいに皆さんのところに100円で売られるとか、そうすれば流通経路はなくていい。そうすると今の書店は必要なくなるし、本の取り次ぎもトラックで運んでいる人も全部要らなくなる。そう言う形で大昔から色々な仕事がなくなって、その代りに別の仕事が生まれてきている。書店の人は怒るんだろが、世の中の流れがあるわけで。書店を大切にしないとはいけないとはもちろん思う、日本の文化を守るためには著作者や出版社や書店が大事だとは思うが、避けられないこともある。新聞なんか今の新聞の形態は紙を大量に無駄に使っている、森の木を切っているわけで、環境汚染にもつながっている。環境問題を考えれば新聞は電子の形で出して配達すればいい。そういう方向に行かざるを得ない状況がある。そこで滅びていくものも、これはやむを得ない面はある。きつい言い方だけど。
  • 円城さん
    • 森林面先は増えているってデータもあったり減っているデータもあったり。
  • 長尾さん
    • 地球温暖化も嘘だって言う科学者がたくさんいたが・・・いずれにしても栄枯盛衰、変わっていかざるを得ない面はある。
  • 円城さん
    • 書店はかなり強いインデクシングの仕組み。それが失われるとさすがにまずいのではと言う気もする。
  • 長尾さん
    • 今のソフトでなく、パソコン上でうまくできるソフトがあれば十分可能では?
  • 円城さん
    • 心の底ではそう思ってるんだけど「そうですよね」(笑)って盛り上がっていいのかという問題が。

"本の話になると「本はいいよね」で終わってしまうが、それしか存在価値がないなら僕はなくなると思う"(李さん), "心の中ではドラスティックに、おそらくなくなっていくと考えている"(長尾先生), "僕は専業の書き手も一緒にいなくなっていくんじゃないかと"(円城さん)

  • 円城さん
    • データヘブンが本当にヘブンなのかわからない。みんなが自分の述べたいことをひたすら述べてアップしていき、機械インデックスで良いものを探すことで読み手も書き手も成り立たなくなるっていうのが。
  • 長尾さん
    • ちょっと前に現在の書店の状況のテレビ番組をやっていたが、けっこう売り上げを伸ばしている書店もあるという実例も出ていた。そういうところは色々な工夫をして客を握っている。CDなんかも一時はCDショップが凄いはやったが、今は何かと一緒に売っているところしかない。書店だけじゃなくCDショップだって、音楽はダウンロードが基本で・・・とかになってきている。これを止めるのは難しいんじゃないか。
  • 円城さん
    • 最適化した末の生き残りラインと言う話になるが、ただ・・・なんでしょうね。なんか、単に本が見えなくなる可能性が僕は怖い。今日の題は「見えない図書館」ですが、誰も本を読まなくなった時に「図書館はなんだったのか」と。
  • 長尾さん
    • 物理的な本は残るのでは?
  • 李さん
    • 残りますか? 本の話になると「紙の手触りが・・・」とか言うけれど、それは本が当たり前になるからの話で、それが今後の世代に通じるのかと言えば違うと思う。大学のレポートだって下書きは携帯で書く学生はいるし、本の話になると「本はいいよね」で終わってしまうが、それしか存在価値がないなら僕はなくなると思う。そうじゃないものがあるのか? そこまでの話を長尾さんが、図書館長じゃないとしてもどう考えられるか? 円城さんは書き手としてどう考えるか?
  • 長尾さん
    • 心の中ではドラスティックに、おそらくなくなっていくと考えている。好事家の人がいるから残る、というレベルの残り方。
  • 円城さん
    • 僕は専業の書き手も一緒にいなくなっていくんじゃないかと。普通にお勤めして夜に書くとか。研究室で飼い殺しの人はいなくなった。小説家も「貧乏暮しをさせておくと書くかも」みたいのがなくなる。紙については保存性のことしかない。図書館の本分は紙では、というとこに戻ってくるが。
  • 長尾さん
    • 電子的な本を1,000年もたせようと思うとものすごくコストが高くなる。紙はプリントしておけば棚に置いておけばいい、場所は取るが1,000年でも空調すれば・・・先のことは難しいですね。
  • 円城さん
    • 砂漠の洞窟とかに放り込んでおけばいいんですよ。
  • 李さん
    • 図書館が考えなければいけないことは、本が物質としてなくなることを想定した時に見えてくることとかもあるんじゃないかな、と思いました。で、見えない本/見えない図書館と無理やり結びつけた感じもありますが。
  • 李さん
    • 最後に一言ずつ。
  • 長尾さん
    • 物書きの方とお話しするのは初めてで、大変勉強になった。小説はどういう風に作りだされているのか興味津々だった。
  • 円城さん
    • 一般的ではない物書きですけれど。やはり立場が逆転してしまったというのが心強くもあり、やっぱりそうかという。楽しかったです。

最後に、d-laboのいつもの質問:"円城塔にとって夢とは?"

  • 円城さん
    • 今日ほぼ「夢はない」って話だったので(笑) 考えないまま来てしまいましたが・・・夢がわからないので、夢がわかりたいというのが夢です。




・・・いやあ・・・なんという・・・なんという(笑)
前半、長尾先生と円城さんのお話が立場に対して逆になってないかと思われる部分が多々ありますが、全部この組み合わせであっています。
円城さんは(小説中でも関連する題材を多々扱われていますが)今回のエントリのタイトルにも使わせていただいた 「書かれたものをばらばらに組み合わせるとお前のものというのをどう越えられるか」っていうこと(青空ボットや犬猿短歌=星野しずるとどう付き合うか)をかなり意識されていて、だから

文学的なことができるのはそういうことの先。全てマークアップされた後に「待て、こんな変なものもあるぞ」と。

と言われているんだろうと思うのですが。
一方で、

Googleに読みやすい本を挙げて、Googleが読む。人とは切り離されて情報だけまわっていてもいいんじゃないか

とか

自動要約エンジンとかあるのでそこで読むと書くがぐるぐる回っていればいい

とか、円城さんの小説の中にまさに出て来そうな(人と切り離されたところで計算がぐるぐる回っていてどんどん何か作って・・・みたいな)話をされていて、ここについて長尾先生が飛びついて行くのかなあ・・・と思ったら

人間が小説を読んだら自分なりの何かが出てくるじゃないですか。そういう・・・

と、「おお、肩書だけ見たら円城さんが自然言語処理研究者で長尾先生が小説家のよう?!」という、これはなかなか面白い。
円城さんの小説を読んでいて、長尾先生のこれまでのお話を聞いていればこのお2人の意見がこうなることはわかるんですが・・・長尾先生が機械との付き合いが長い分その今の限界と人にしかできないことを意識されていると言うのに加えて、やはり(冒頭で長尾先生のお話にもちょろっとあった)「実用」と言うことを考える工学者と「広義の物理学」の円城さん(ネタ的には数学っぽいのも確かに多いですし)の違いと言うこともあるんでしょうか。


終盤近くの「物語」の話は、ギリシア彫刻見ても「ほぇー・・・」以上の感想を持てないことがある自分としてはさていつからコミュニケーションの基盤があったんだろうとか思ったり、ここだけでもまた掘り下げると大変面白くなりそうであるとか。


そして最終盤の書店・本の話・・・これ「図書館は見えなくなるか?」じゃなくて「本はなくなるか?」になってませんか?!
それ前回のテーマですけど!(もう、「本」や「図書館」はいらない!?)
めちゃめちゃ面白かったですけど!

すべての職業に栄枯盛衰は避けられないと思う。書店も今の形の書店はなくなっていく可能性はある

って言っちゃったし、長尾館長。
そして本については李さん、長尾先生、円城さんの

本の話になると「紙の手触りが・・・」とか言うけれど、それは本が当たり前になるからの話で、それが今後の世代に通じるのかと言えば違うと思う。大学のレポートだって下書きは携帯で書く学生はいるし、本の話になると「本はいいよね」で終わってしまうが、それしか存在価値がないなら僕はなくなると思う。そうじゃないものがあるのか?

心の中ではドラスティックに、おそらくなくなっていくと考えている。

僕は専業の書き手も一緒にいなくなっていくんじゃないかと。


ってどんなコンボですか?!
「書店はなくなる」⇒「本もなくなる」⇒「専業の書き手もいなくなる」って言う未来予測自体はそんなに驚かないのですが、国立国会図書館長と小説家のトークセッションで〆の方に出てきた話、と考えるととんでもないですね!
これTwitter上でのリアクションとかどうだったんでしょう・・・それこそ書き手/書店員/編集関係のついったらーもたくさんいると思いますが・・・今後のリアクションが楽しみでなりませんね。




そんなこんなで、語り出すときりがない感じの第3回トークセッションでした。
毎回大変面白くて興奮しっぱなしなのですが、第4回はどなたと長尾先生が対談されるのか・・・なんかかなりハードル上がってる感じがしますがどうなるんでしょうか??