かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

いや、図書館の自由以前の問題としてよ

「真実教」に帰依した教育改革者: 森藍亭日乗
戸井田とおるという衆議院議員が、国立国会図書館の資料についていちゃもんをつけられたそうで。
ご当人のブログ(http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/e/4eac3e9298e4dae337fdb19bd1017b33)見に行ったら割と賛成のコメントつけている人もいて、もうどうしたもんかと思っちゃったんだが。
はてなを見た感じ、反対派の方々の意見が盛り上がっているようで安心した。


しかし・・・図書館の自由以前の問題として、国立国会図書館は納本図書館なんだから、どんな資料だって置くだろうがよ、と。エロ本でも収集する図書館になに言っちゃってるんだこの国会議員?


図書館に情報行動におけるフィルタリング機能を求めたい気持ち自体はわからんでもない。
実際、収集方針がきちんと立てられている図書館とかなら「この図書館で調べれば、極端に収集方針から外れた資料はひっかからないだろう」ってくらいのことを期待できるだろうし、期待してもいいはず。
法律専門図書館である最高裁判所図書館(裁判所|最高裁判所図書館)の蔵書検索なら、法律とか司法関係の図書以外はヒットしないだろう、とかね。
あるいは、企業の図書館とかその他もろもろの、利用者と利用目的が特定できる図書館なら、明らかに内容に間違いがあってそれをもとに社員が商品開発したら問題が起こるような資料はよけておくとかしてもいいだろうさ(実際には除籍するよりは「これはあとでこれこれの理由で間違いが発見されました」とか注つける方が親切かな、って気もする)。


しかし、その機能を公共図書館や、ましてや国の資料収集の要である国立国会図書館に求めるなよ、と。
「市民にはあらゆる情報へのアクセスの権利が・・・」とか「図書館に資料の正誤を判断する機能は・・・」とかいう方向から攻めても国会議員殿は納得しないだろうと思うが・・・
資料の内容の正誤の如何に関わらず、ある情報を有していないということは有している者に対する不利益となりうる、ってことがわからんのかねこのおっさんは。


たとえば戸井田さんが問題視している(と言われている)「レイプ・オブ・南京」が国立国会図書館どころか全国の図書館から戸井田さんのご要望どおりなくなったとして。
もし「レイプ・オブ・南京」の内容に基づいて日本政府に敵対する意見を述べてくる人らが出てきたら、どうするつもりなんだろうね?
「その資料は見ていないのでなんとも言えません」とか、「そんな資料は間違いだから見ていません」とでも答えるつもりなんだろうか。
「読んでもないのになんでそんなことがわかるんだ!」って非難轟々あびるだけだと思うが。
それで「国会図書館に入ってないから間違いだとわかるんだ」って答えたら「お前は自分で読みもしないで国会図書館に判断を任せているのか! ならお前じゃなくて国会図書館員が議員をやった方が効率的じゃないか!」って言われてジ・エンド。
実際に「レイプ・オブ・南京」読んだわけじゃないし、専門家じゃないから読んでも内容の正誤判断なんてつけられないからその資料自体が間違っているかどうかはわからないが、たとえ内容に誤りがある資料だろうと、それへのアクセス事態が出来なくなってしまうと「内容が誤っている」って言う風に意見を述べることすらできなくなる、ってことがわからないのか議員さん。
対立する側の意見や明らかに間違った意見であっても、その内容を知って細かく分析してこそ有益な反論ができようものを。


「敵を知り己を知らば百戦すれど危うからず」ってのは2000年以上も前に孫子が言ってることじゃんか。
どうにも情報を得ることの意味を理解しない奴らが多すぎて困る・・・間違った情報をもとに間違った法律つくられるのは確かに、それはそれで困ることではあるが、そこでやるべきことは間違った情報を排除することではなくなにが間違いかを(自分なりに)見極めることができるスキルを磨くことだろうよ。