かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

見た目は同じように図書館が充実した社会なんだが


海外の図書館に関する授業を受けていてちょっと思ったことなんだが。


ヨーロッパの図書館の中でも、北欧の公共図書館が充実していることはよく紹介されている。
一方で、菅谷明子さんの「未来をつくる図書館」でニューヨーク公共図書館が紹介されて割と有名になったが、アメリカにも素晴らしい図書館が多いことは有名。


しかし、同じ「図書館がよく整備された」社会ではあるものの、この2つの社会での図書館の「充実」は意味が違うんじゃないだろうか。


北欧は福祉が充実してる、ってのはなんかもう知識として一般化してきてるが、図書館サービスの充実も同じ文脈の上にある。
誰もが等しく素晴らしいサービスを受けられる、そのサービスの一つとして図書館が含まれている。
そういう意味では北欧で図書館が充実していることはなんら意外ではないし、費用がただなのも他のサービスと同じである。国立大学もタダだしね(だよね?)。


一方で、アメリカの場合は北欧とはだいぶ事情が違う。
民主主義国家として最低限の政府の役割は果たされているものの、基本的には自由である分だけ格差もでかい社会である(日本よりもずっと前から格差社会だ)。
こちらで図書館が充実している背景にあるのは、図書館etcへの寄付で有名なA.カーネギーの言葉を借りれば「自助努力」の考え方だろう。
「自分で努力して伸びれる奴は、伸びるための環境は整えておいてやるから、勝手に伸びろ。あとは知らん」。
格差社会ではみ出してくる人たちの受け皿、いわばセーフティ・ネットみたいな役割が図書館に期待されるところで、満足に教育を受けるだけのお金がない人たちが自ら学ぶことができる場として図書館が用意されている(ヒスパニックの英語学習とかね。まあ昔から移民の多い国でもあるし)。
学習に関する機会の均等を最終的に保障する場であるから、もちろん利用料はタダとなる。
逆にいえば、図書館があるからその他の教育機会には金がかかっても構わない、ということにもなる(大学の授業料とか、えらいことになってるよねアメリカ。まあ、それについても出来る奴は奨学金が貰えるわけだが)。


いわば福祉が非常に発達した社会でも、逆に格差を容認しながら発展してきた国でも、図書館のサービスってのは重視されて整備されてきたわけである。
日本はどうだろう?
北欧ほどに高い税金によって手厚い福祉がされているわけでもなく、アメリカほどに格差がでかいわけでもなかった・・・っていうのが今までなわけだが、今後はどういう方向に進んでいくのか、あるいは進んでいく「つもり」なのか。


そこら辺の背景をよく考えないで他国のいいところだけを真似しようとしてもうまくいかないんじゃないかなー。
格差がどんどん開いてく、って前提に立つならアメリカ式に図書館充実させるべきとは思うが、その場合は単に「いい図書館」を作るんじゃなくて「図書館が市民にとって学ぶための最後の砦」くらいの意識を持たないといけない。
さすらばビジネス支援とか、別に特別なことでもなんでもなく図書館の一機能として位置づけられるだろう。
その場合と、北欧型の、そこまであくせく働かなくても福祉でなんとか生きてける社会を指向したときとは蔵書構成も違ってくるんではないか。


結局、成功した「図書館」の例だけでなく、その図書館の立地条件や社会背景やその他諸々も見ないといかん、っていう当たり前の結論なんだが・・・さてはて、それが本当に当たり前になってるんだろうか、実際?