かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

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半世紀議論が遅い>『日本語が亡びるとき』


もうすっかり話題も一段落した感じですが、『日本語が亡びるとき』読みました。流し読みだけど。


日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で


突っ込み始めるときりがない感じだったので特に気になったところだけ、数回に分けて突っ込んでいこうと思うのだけど。
とりあえず一番気になって仕方ないのは、p.256の以下の部分。

 その日本の学者たちが、今、英語でそのまま書く(原文傍点あり)ようになりつつある。自然科学はいうまでもなく、人文科学でも、意味のある研究をしている研究者ほど、少しずつそうなりつつある。そして、英語で書くことによって、西洋の学問の紹介者という役割から、世界の学問の場に参加する研究者へと初めて変身を遂げつつある―世界の<読まれるべき言葉>の連鎖に入ろうとしつつある。

水村美苗. 日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で. 筑摩書房, 2008, p.256より


半世紀遅い。下手するともっと遅い。
まあ「自然科学はいうまでもなく」でそこは回避したつもりなのかも知らんが・・・例えばノーベル賞受賞で沸いている小林・益川理論が掲載された"Progress of Theoretical Physics"*1が刊行開始されたのは1946年。
最近自分がログ分析を手伝っている京都大学学術情報リポジトリの中で特に人気のあるコンテンツのひとつ、"The Review of Physical Chemistry of Japan(物理化学の進歩)"*2も戦前から海外版を出しているし、戦後は欧文誌化している(現在は刊行停止中)。
調べ始めるときりがないのでしないが、とにかく自然科学分野においては半世紀以上も前から英語でそのまま書きはじめていて、その甲斐あってというわけでもないだろうが日本の自然科学研究は一時、アメリカに次いで世界第2位の論文生産を誇るまでに至っていた*3
調査年度や用いる資料によってイギリス・ドイツに勝ったり負けたりするのだが、世界で流通する科学研究のうち非英語圏発で最も数が多かったのが日本人の書いたものとなる時期があった、ということには変わらない。
自然科学はとっくのとうに「<読まれるべき言葉>の連鎖」とやらの中に入っているのである*4
むしろ今はそこから中国の台頭や日本の停滞の結果、世界の科学研究の中で存在感を落としていくフェーズにすでに入っているわけで(同じく上記の資料によれば2007年の日本の論文生産数は中・英・独に抜かれ5位。論文生産成長率は5%で先進国中では唯一マイナス成長を示したロシアに次ぎ、下から2目)・・・
まあ中国もいろいろ問題を抱えているからこのままの勢いで伸び続けるかはわからないけど、とりあえず自然科学については「<読まれるべき言葉>の連鎖」の中で日本がどんだけ存在感を守りぬけるかが焦点になる位置にあって、しかもそのとき対峙すべきは西洋というよりはすでに米中って感じ(EUはすでにひとまとまりで見るべきかも知れないが)。


一方で人文学は水村さんの言うとおり、さっぱり世界的な研究の連鎖の中に入ろうとせずにいて、国際的に流通する人文科学文献の中で日本人の書いたものはわずか0.2%なんて話もあるくらい*5なのでそっちに限定すれば「世界の学問の場に参加する研究者へと初めて変身を遂げつつある」ってのはそうなのかも知れないけど・・・ただそこで気になるのは以下の記述。

 今、目につくのは、インド人、中国人、韓国人、日本人などのアジア人が、数学、自然科学、生物学、工学、医学などの分野で世界的に活躍する姿である。(中略)だが、東アジア人にいたっては、まるで数学脳しかもちあわせていない人種のような印象をみなに与えている。非西洋語を<母語>にする人間にとって英語で書くのがいかに困難であるか、困難であるがゆえにいかにかれらの才能が数式で間に合う分野へと集中しているか、そういうあたりまえのことが世界の人、というよりも、こと西洋人には見えにくいのである。

水村美苗. 日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で. 筑摩書房, 2008, p.259より


ないないない。
なに、それじゃまるで英語で人文学やりづらいからSTM分野に人集まるような言い方じゃん。
ないないないないないない。
別に同じくらいやりゃあ出来るだろう人が集まっているくせに人文学の人たちが英語であんまり発信しなかったってだけで、STM分野やってる日本人やアジア人が英語が母語だったら人文学やるかってそんなわけない。
勝手にSTM分野を英語が母語じゃない才能を有する者の逃げ場みたいに言うのはやめてくれ。
STM分野じゃない俺でも引くわ。


ま、後半は蛇足として、前半にしても水村さんの問題意識が半世紀遅れているのか、人文学分野自体が半世紀遅れていたのか知らないけど、基本的に「今頃になって何言ってんだ・・・?」感が漂って仕方がない感じ。
自然科学分野を横目にしてちょっとは考えることなかったのか・・・って見てなかったんだろうなあ、全然(苦笑)


むしろこれから人文学も英語で発表していく時代になるってんなら、英語教育より先に考えておかないといけないのはいかにコンテンツを流出させないかだと思うけどね。
自然科学分野はそこは完全に失敗して、今や日本人の書く英語論文の7割以上は海外の出版社から発行され、高額の購読費を払って日本は買い戻さないといけない状態にあるわけで。
英語で/世界でより影響力を持つような出版方法を考えれば当然、人文学分野が英語で書きだしたらコンテンツは海外出版社/国際出版社に持っていかれる可能性が出て来て、そこからさらに学問だけでなく英語で書いたり読んだりが波及していくと、日本語と言う壁に守られてきた日本の出版市場の一部、学術書や専門書の部分を海外出版社に持っていかれる危険性はじゅうじゅうありうる・・・とかなんとか。
日本語が亡びる前に日本の学術出版完全消滅のお知らせが鳴り響いたりしないか・・・って方が心配っちゃあ心配で、それを考えると人文学の人にはいっそガラパゴス的にこもっていてもらった方がいいんだろうかとか思わないでもない・・・


話が発散してきたのでここらで。
「英語ばっか見てると足元すくわれるぞ」・・・って話は、余裕があったらこの次くらいに。

*1:PTP Homepage

*2:The Review of Physical Chemistry of Japan 目録

*3:エルゼビア・ジャパン株式会社末尾、Yukun Harsono氏のプレゼンテーション参照。エルゼビア社の資料なのでおそらく数字はScopus準拠? いずれにせよ国内出版のみの和雑誌は除くと考えられる

*4:ただしその多くは最初に紹介したような日本が出版する英文雑誌ではなく海外の雑誌に投稿され・・・という話は、『筑波批評2008秋』に投稿した"「コンテンツ植民地」日本"参照。コンテンツ植民地! - 筑波批評社

*5:安達淳ほか. SPARC/JAPANにみる学術情報の発信と大学図書館. 情報の科学と技術. 2003, vol. 53, no. 9, p. 429-434.