かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

(図書館の)選書・目録業務のアウトソーシングがもたらす、10の「隠された」結果

  1. 選書、目録業務がアウトソーシングされた図書館では、職員同士や利用者との間で、協力関係や有益な情報交換、公の議論などが行われなくなる
  2. 仕事が商業化されることで、職員が自分たちが使うツールや知識を管理できなくなり、より狭い範囲の、低い給料しか払われない業務に従事したり、仕事から疎外されたり、無視されたりするようになる
  3. 中間管理職が排除され、組織がフラットになり、職員らには昇進の望みがなくなる
  4. 役員らの権限や賃金が高くなり、組合は力を弱められるか、あるいは取り潰され、専制的で窮屈な、(役員と低賃金職員の)2つの階級が存在する職場になる
  5. 「公共(public)」の意味が、「利用者」(学生、研究者、市民、隣人、コミュニティのメンバー)から、「顧客」(金や権力、権威を持った一部の利用者。納税者、消費者、文句を言ってくるかもしれない人、要求を満たしてあげないといけない人、だまされたりしないように備えないといけない相手)へと変わる
  6. 図書館の使命が「あらゆる観点から、すべての利用者に(the Library Bill of Rights)から、「企業の製品を、中産階級の消費者に(ベストセラーの複本購入、見計らい、主要な学術書と雑誌の購入など)」に変わってしまう。丹念に作られた集書方針やパブリック・リレーションズは無視される。
  7. 図書館の説明責任や誠実さの対象が、コミュニティから契約相手にシフトする
  8. アウトソーシングした図書館とアウトソーサー先の企業の間で対立が起こる。どっちがどっちにサービスするのか?  契約期間は? どちらがそれを決めるのか?  どっちが説明責任を負うのか?  どっちがコンプライアンスの義務を負うのか? どうやって? 不法行為が判明したらどんなペナルティを課すのか?  図書館の役員や政府の役人は賄賂をとらないといいきれるか?  アウトソーサーは不正行為を絶対にしないか?  アウトソーサーは嘘をつかないのか?  (アウトソーサーが)腐敗して、利用者の記録を持ち出したりしないか?  どこでそういう作業はするんだ?  どこからなら利用できるようにするんだ?
  9. アウトソーシングした図書館では(大手企業などの主要な図書・雑誌類・レファレンスツールなどしか集書されず、目録作業も自ら作るのではなくLC目録などのデータを引っ張ってきて作ったりするので)、利用者が主要な発行物しか使えなかったり、不十分なLC目録でしか資料を検索できなかったり、alternativeな資料(同人誌や反体制雑誌など、主要な情報流通にのらない資料。昔ながらの意味でのアングラ雑誌・図書など)へアクセスできなかったりする。そのため不十分だったり間違った情報しか得ることができず、(それらの情報を信じたために)間違ったり、傷ついたり、時には死ぬかも知れない。これは図書館の裏切り行為だ。
  10. 図書館のアウトソーシングが進んだ世界とは、間違った情報の集積所がグローバルにネットワークされた世界のことだ。政治、経済、社会や環境問題と民主主義、平和、そして正義との関係はどうなってしまうのか?   

(Charles Willet. Consider the source : a case against outsourcing materials selection in academic libraries. Collection Building. vol.17, no.2, 1998, p.95より抜粋。訳はmin2-flyが適当に意訳)


笑止。
研究に使えるかと思って英語文献に書いてあった奴を訳してたんだが・・・なんだか後半あほらしくなってきた・・・
特に9番。
「利用者が間違った情報で死ぬかも知れない!」って、それはアウトソーシングしてるかしてないかの問題じゃないだろうよ。どんな図書館だって地球上のすべての資料を持ってるわけじゃいんだし、そもそも入手しうる一切の範囲に正しい情報が存在しないことだってありうるだろうに。それあげつらってアウトソーシングの問題扱いされたらたまったもんじゃないってばさ。


もっとも、選書作業をアウトソーシングすることで蔵書に偏りが出るんじゃないか、って考え自体は全くもってそのとおりではあると思う。
思うが・・・日本の、それも大学図書館の場合はどうなんだろうな? 例えば丸善紀伊国屋は、アウトソーシング受けた時に、自分とこの本を優先的に受け入れてたりするんだろうか? そんなん顧客にばれたらえらいことだし、やってなさそうな気はするが・・・一方で、取次によっては扱ってない本があるのも事実は事実だし・・・ちょっと調べてみようかな。


Charls Willetはほかに、alternative press =反体制資料、主要な流通に載らない資料など、の収集も図書館をアウトソーシングするとできなくなる、って心配してるんだが、そっちについてはどうなんだろうな? 別にアウトソーシングしないでも、もともと流通に乗ってない資料は集めにくいわけだし。一方で、大学の紀要みたいな資料は日本だともう寄贈しあう体制がけっこう整備されてるから、困らんと言えば困らん気もする・・・ 


そもそも大学図書館の使い方がアメリカと日本で違うんだな、って気もした。
アメリカの学生は(今はどうだか知らんが、少なくとも20世紀半ばくらいの段階では)自ら進んで図書館で学習をしてて、それも専門に関するものばかりではなく自分の教養のための読書も大学図書館でやっていたっぽい。ゆえに、Willetらが学生だったころハーバード大に勤めていた教職員らとCIAの癒着が発覚した際に、「政府に偏った思想を導かれた学生らがどれだけいたのか・・・!」みたいな義憤をWilletは覚えている。


今の日本の大学生で図書館に教養のための本を借りにいくやつがどれだけいるか。
たいていはレポートやらテスト対策、よくて専攻研究のための本を借りるくらいのもんだろう。
理系に至っちゃそもそも本なんか使わねえし読まねえよ、って奴らもうようよしてる。
かく言う俺だって研究に使う以外の本なんか借りないしね。
ってなると、思想的に偏った本でどうこう・・・って問題は、こと日本の大学図書館では起こりえない。
筑波大学図書館にどんだけ「美しい国」入れたって誰も借りてかないだろうし、借りる奴はたぶん最近売れる新書の傾向とか、安倍首相の政治的傾向とかを研究する奴、百歩譲っても就職活動のために最近話題の本を読むやつとかだろうから、思想的に影響を受けたりすることはまずないだろう。


・・・いろいろ考えても、やっぱ9番は笑止だな・・・まあ論文本体もそんなノリではあったから仕方ないやもしれないが。


9番以外についてはどうだろう。


1については、確かに公共図書館とかで委託を導入したとこだとそういう話も聞くが・・・国内の大学図書館だと聞かないなあ。
むしろ、「アウトソーシングは委託先と専任職員の関係が大事」とか、「テクニカルサービスをアウトソーシングしたことで利用者と触れ合う機会が増えた」とか、反例ばかりが文献では目立ってる。国内の大学図書館を対象にしたアンケート調査でも、アウトソーシングで職場の関係がぎすぎすしたって話は聞かない・・・まあ、国内の大学図書館でまだそこまでアウトソーシングが進んでないだけかもしれないが。


2〜4についてはまあ、まさに「そのとおり」って感じではある。だいたいの場合、アウトソーサー企業の職員さんは専任に比べて低賃金で働いてるし、昇進できないし、専任職員-委託職員の二階層化ってのも起きるとこでは起きている(最後のについては反例もいっぱいあるけど)。委託企業の就業環境改善はもちろん必要なことではある。
しかし、それはそれとして、職場の二分化自体は悪いことなのかね?
もともと図書館員のやってる仕事自体、「専門性が高くて資格保有者じゃないとできないこと」と「まあやれば誰でもできること」があって、それをどっちも図書館員がやろうとしてたもんだから「図書館の仕事なんて誰でもできる」とかいう誤った認識が世の中に広まってったわけで。
それを「いや、図書館の仕事は専門家にしかできないんですよ」って主張したいんだったら、「本当に専門家にしかできないことをやれよ」って言われるのはある種当然。
バイトでもできるようなことに高い金払ってた今までがおかしいんだろう、と。
(イギリスみたいに図書館員の中で身分制を導入するのもありかとは思うが・・・管理コストとか色々めんどいよなあ。まあ、それはまた別の話)。


5もまあそのとおりなんだが、正直今までの図書館は「利用者」に対する態度が全然なってない場合が多かったので、仕方ないんじゃないのかと。
っていうか大学図書館の場合、利用者はたいがい「顧客」層と一致してるんであんま関係ない気もする。


6に関しては前述のとおり。実際に偏りができるとしたら問題だけど・・・ってとこかな。
っていうか大学図書館の場合は使命って「あらゆる観点から、すべての利用者に」っていうよりは「大学の研究・教育活動を支援」なわけだから、ベストセラーとか入り込む予知ない気もする。


7は・・・なにが問題なんだ? 図書館の契約先って行政や大学だろ? じゃあ契約相手が情報公開すればOKじゃん。


8は契約をきちんとしてたら問題ありません。むしろアメリカの会社はどんだけ喧嘩っぱやいのかとこちらが聞きたい。



全般に言えることは、大学図書館の図書館員(Willetはハーバード大の図書館員)が書いた論文の割に、内容が公共図書館よりだった。
論文中で「図書館は民主主義の最後の砦」みたいなことを言っていて、そりゃ公共図書館についてはおっしゃる通りでござるよと俺も思うのだが、専門機関の図書館の場合はちょっと違うんじゃないのかと。こっちの場合は明確に「研究・教育に寄与する」って使命があるわけで、ぶっちゃけそれは民主主義を守ることより優先されるべきなわけですよ。
図書館の大原則としては「二つの対立する主義や思想がある場合は、両方の本を受け入れるべき」ってルールがあるけど、実際問題、その大学に片方の思想の研究者しかいない場合には、どうしたって片方の思想に関係する資料を多く受け入れることになるわけで。それを無理くりバランスとろうとして使いもしない資料買ったり、使われる資料買わなかったりしてたら大学図書館なんてやってらんない。
そこら辺はすぱっと割り切って、実用重視でやってかなきゃいけないし、さらに言えば俺はそういうドライさというか、「どうしたら本当に顧客のためになるのか」を思想性を排除して実用面から考えられるところが大学図書館のいいところではないかと思う。
そこを「図書館の権利の章典」とか持ち出して攻められても、そりゃあ違うだろうと。そういう話はよそでやってくれよ、とか思う次第。


そんなこんなで、結局論文自体を読むのに2時間、「10の結果」訳すのに1時間、Blogアップに2時間かけた末に出した結論が「この論文はあんまり参考にならないというかしたくない」だった俺はいったいどうすれば報われるのかと・・・
あああ、10時間後にはまたミーティングか・・・