「学ぶ意義」の話
以前書いた歴史を学ぶ意義の話でよく考えたら触れられていなかった、一般論としての「歴史を学ぶ意義」の話・・・を、特にid:i-Agに触発されて「高校生に説明する」ことを前提に色々考えてたら、なんか歴史に限らない感じになってしまった。
まあ、高校の各教科が「なぜ高校で教える科目に入っているのか」っていうのは、なかなか難しいところだよね。
実際には高校で教わらない人もいるわけだし。
日本史・地理みたいな選択系とか。
「なんで必修科目と選択科目があるのか・・・」とか、そういうところは教育制度の問題だと思うので、今回は触れないでおこう。
さて本題。
大学説明会で某後輩がしていたプレゼンテーションを見ていても感じたのだが、なんか中学生〜高校生の頃って「この勉強が将来なんの役に立つのか?」って疑問をよく持つようである。
確かに、高校レベルまで来るとだいぶ専門的な話とかも出てきて、知ってたからってなんかの役には立ちそうもない、と思うようなことも少なからずある。
min2-flyも数学にはずいぶん苦しめられたもんだった・・・いや本当、「こんなん何の役に立つんだー!」と。
ただ、図書館情報学っていう手法的になんでもありな*1学際的というかごった煮な学問をかじって4年くらいたって、思うこととしては。
「それが何の役に立つのか?」とか受け身なこと言ってもあんまり意味がないんじゃないだろうか。
むしろ問いとしては「それを何の役に立てるか?」という能動的なものの方が意義があるように思う。
「知らないことが弱点となるかどうか」みたいな考え方だと、そりゃあ知らなくても平気なことはたくさんありそうな気がしてくるが*2、「知っていることを武器に出来るかどうか」という点から考えると、武器に出来ない知識というのは少なくとも高校レベルでは見当たらないんじゃないだろうか。
まあもちろん、そうは言っても個々人の有する時間は限られているし。
リソースの配分の問題として将来自分がやりたいことにより深く関係しそうな部分を重点的にやりたい、って思うのは当然だし、実際そうした方がいいとも思うのだが、多くの場合「これがなんの役に立つの?」っていう人はその分の時間を別のことを学んだりする*3のに使いたい、というわけではないんじゃないかね。
まあそこら辺は人にもよるので一概には言えないが。
「なんの役に立つの?」って言ってるようじゃ何の役にも立たねーよ。
いいからなんかうまいこと考えて役に立てろよ*4、と。
・・・こんなんで納得する高校生がいるとも思えないが・・・我ながら言葉足らずだな・・・