なんか、はてブで最近ポスドクとか博士号取得者のその後の悲惨な末路の話が色々なところで聞かれるが・・・
- 大学は、なぜ大学院生を増やしたいのか : 5号館を出て
- http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=6690
- 高学歴ワーキングプア - 猫を償うに猫をもってせよ
- http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20071027/p1
これはあれか、俺は読んでないけど「高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)」って本の影響とかあるのか、やっぱ。
min2-flyは今は学部生で、来年から博士前期に進学が決まっていて(卒業できれば)、かつ将来的には博士後期まで進みたい研究者志望なわけですが。
なんつーか、上のエントリのどれを読んでもいまいちピンと来なかった。
あれですか。
昔は「博士後期に進む=死亡フラグ」じゃない時期があったんですか?
てっきり昔から「俺、博士後期まで進むんだ・・・」とか、「俺、ポスドクの口が見つかったんだ・・・」っていうのは「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ・・・」に匹敵する死亡フラグだったんだろうとばかり思ってたんだけど・・・そうじゃない時代もあったのかね?
少なくともmin2-flyが大学進学を考え出した頃には研究者を目指すのがいばらの道であることは世間的に認知されていたと思うんだが・・・
そんなわけで、博士卒の失業率が50%だとか、死亡・行方不明率が9.2%だとか聞いても「まあ、そんなもんだろう」と思ってしまう。
それを政治・経済面から考えて「大問題だー!」って言うのは言われてみればまったくもってその通り(ポスドク一人育てるのにかかる税金が1億円だとか)なんだが・・・博士卒が進路に困る、って話を聞いても「そりゃあ、わかってた話でしょ?」とか思ったり。
元より研究職の口なんかそうありゃしないんだし(特に文系)。
ただまあ、上記各エントリやそのコメント欄を見る限り、どうも昔は確かに博士後期まで進むってことがそこまでヤバいルートだとは認識されてない時代もあったようで・・・そうなると、その世代の人は確かに被害者なのやも知れぬ、とか思わないでもない・・・。
しかしそれも過去の話。
今から博士後期まで進もう、って輩については、もうそういう現状があるってわかっちゃってるわけだから、「こんなことになるなんて思わなかった」とは言えないわけですよ。
っつーか、元より「博士後期に進む」ってことが「進路」の一つとして認識された時代があったこと自体おかしい。
博士前期への進学などと博士後期への進学は次元が違う。
「博士後期へ進む」って言うのは、「就職する」とか「進学する」なんて意味での「進路」ではなくて、「小説家になる」だの「スポーツ選手になる」だの「ミュージシャンになる」ってのと同じく「研究者になる」って選択肢へ進むためのルートであって。
そのリスクの高さも、ここにあげたような選択肢と大して変わらない*1。
「就職しようかな、それとも進学しようかな・・・」ってレベルで視野に入れていいような選択肢じゃない。
っつーか、結婚して、子ども作って、家を建てて幸福な家庭を築いて・・・っていうような、人並の人生とか人並の幸福を得たい人は博士後期には進むべきではない。
もちろん中には人並の幸せを得られている人もいるんだろうけど、それは限られた幸運なケースだと最初から割り切っておけるくらいの覚悟がないと・・・そこが割り切れないなら、普通に学部卒や修士卒の段階で就職活動して、仕事に就いた方がいいだろうと思うし、その方がたぶんまともな人生を歩めるんじゃないかと思う。
じゃあなんで自分は博士後期に進みたいか、と言えば・・・*2
そりゃ、ハイリスクは承知の上でそれでも進みたいと思うくらいにこっちの世界が楽しそうだったから、ってことであり。
そしてこっちの世界でなしとげたい夢があるからでもあり。
「夢」なんて言葉の出てくる将来の選択肢がまともなものになりえるわけがない(苦笑)ので、してみると、やっぱまともな人生歩みたいなら博士後期は行かない方がいいかもなー。
ま、元より博士後期進みたい、って親に言った時点で人並の人生歩んだり幸福が得られるなんて期待してないけどね。
それよりもっと欲しいものを得られるんじゃないか、とは思っているけど。