たまたま最近よく聞く機会があって、かつ印象的だった話。
ひとつは卒業論文の中間発表会終了時の分野主任の先生の話で、「図書館情報学栄えて現場は衰退する、となってはいけない。現場に活きる研究をする必要がある」と言うような内容。
もうひとつの機会は今日受けた最後の授業で先生からされた話で、やはり同じく図書館情報学栄えて図書館衰退、と言うフレーズに関するものだったのだが・・・こちらは前者よりもシビアな内容。
例によって図書館の専門職制度などについて考える授業だったのだが・・・
現在の司書職制度は1950年、図書館法制定時に生まれたもので、当時はまだ短期大学進学者も少ないような時代であった。
また、当時から存在した司書講習による資格認定は、本来戦前に司書として働いていた人間に対して、戦後の新資格制度施行時の救済措置として置かれたものである。
その後1960年代までは必ずしも進学率は高くなく、当時としては司書資格は今のような「取りやすい」ものではなかった。
しかしその後大学進学率が跳ね上がり、また移行措置であったはずの司書講習も継続して行われてきたために司書資格と言うのは資格としては取りやすい部類に入るものとなり、専門的な資格としての体をなさないものとなった・・・、と言うのがまず前提にある話。
で、以上の状況を踏まえると「じゃあ司書講習やめればいいじゃん」とか、「じゃあ世間の高学歴化に合わせて司書資格も短大や学部レベルではとれないようにすればいいじゃん」と言うことを考える人は出てくるだろうし、特に筑波大系の人間であればそう言う発想にいきがちであると思うのだが・・・ことはそう簡単ではない、と言うのが今日聞いた話の趣旨。
一つには大学・短大経営にとって「司書資格が取れます!」と言うのは売りの一つなのでやめさせようとすれば反発が出る。これは当然。
しかしそれよりもっと大きなパラドックスは、専門職制度の必要性を訴える図書館情報学研究者当人らにとって、比較的容易にとれて、どこの大学でも開設できるような司書課程・司書講習の存在が非常に重要である、と言うこと。
現状では司書のニーズに対して需要が過多なのも重々承知ではあるんだけれど、司書量産体制をスパッとやめられては今度は図書館情報学教員へのニーズが減ってしまう。
しかし一方では図書館情報学の博士課程修了者数とかは増えていく傾向にあるわけで、その受け皿としての司書課程教員の口に減られては困る。
よって図書館情報学教員の間からも、現在の司書職制度に問題があることは認識しつつも、なかなかスパッと今の制度をやめよう、と言う話は出てこない、と。
ここからは先生の話にはなかった私見を交えるが、ぶっちゃけ図書館情報学にとって高学歴ワーキングプア=ポスドク問題を回避できる光明なのだ、司書課程は。
司書課程の存在⇒司書課程を教えるための教員の生産体制が必要⇒博士課程が必要⇒博士課程を教える教員が必要、って言うラインを如何に増強していくか、ってところが図書館情報学にとってのポイント。
いわゆる高学歴ワーキングプア問題では大学教員の口を減らさないために大学院が増強され、そこで生産された研究者たちが路頭に迷うことになった・・・と言うような話も聞かれるが、図書館情報学においてはそれがさらなる二層構造をなしていて、大学院で生産された研究者たちが今度は司書課程での司書生産に携わることで活路を見出し、結果たくさん生産された司書資格保有者が路頭に迷う・・・と。
まあ最後のラインで路頭に迷うか否かはともかくとして、需給のバランスが崩れていることは承知の上でも司書量産体制を崩せない理由が教員としての図書館情報学者サイドにはある。
むしろ量産体制が整うほどに研究者のすそ野も広がるので、図書館情報学研究の質は高まって行くことになる。
ある意味、図書館で働きたくて司書資格を取ったはいいが、正規職員としての口はなく、非常勤や派遣として勤めるか図書館を諦めるしかない、と言うような人たちがいるからこそ今日の図書館情報学研究の隆盛があると言える。
もちろん教員/研究者サイドだって学生には正規職員として就職したり好きな職場で働いて貰ったりして欲しくないわけがない、っていうかしてほしいに決まっているはずなんだが、実際には司書職にそこまでの受け皿がないことを知りつつ司書課程をやめるわけにはいかない、と・・・。
構図的にはまんまポスドク問題と一緒である。なんたる連鎖。
違いと言えば司書の方がポスドクより遙かに一般ルートに戻って来れる可能性があることと、ドクターほど多くの時間をとられたわけではないことで、それがまあ救いと言えば救い。
そうは言っても図書館という職場はなぜだか非常に魅力的らしく、低賃金でもいいから働きたい、と言う人がいっぱい居て、しかもその人らが量産体制で司書の資格を取っているものだから司書資格の価値はますます下落し・・・となり、図書館の現場は疲弊していくことになる。
安くてもいいから好きな仕事をしたい、って言うのは、短期のモチベーション維持にはなっても長期的に見ればやはり疲弊するよ。
それが「学問としての図書館情報学が栄え、図書館の現場は疲弊する」と言う現象のだいたいのからくり。
で、現場の衰退が一定水準を超えて図書館自体が崩壊すると(例えば司書課程の人気がぐーんと下がって誰も来なくなるとか、そもそも図書館が滅亡して司書資格がなくなるとか)、図書館情報学研究者の重要な雇用基盤であった司書課程も崩壊し、学問としての図書館情報学も一気に疲弊期に突入することになる、と。
・・・うん、実に構造的欠陥。
まあ実際にはそんなからくり細工みたいな綺麗なしかけが成立しているわけではないし、現場も研究もどっちもうまくいく方向を模索している人が大半だろうと思うけど(自分だってそうだ)、問題意識を持つことは重要だよな、と。
量産体制がいかん、と言うからにはその量産体制に支えられているのは誰なのかを考えないといけない。
公共図書館の話は自分には直接関係ないや、と思っていたが、よくよく考えると研究内容に直接関係がなくても研究基盤そのものに関係しているのかも知れない・・・と、学群最後の授業にしてやっと気付いた。