かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

電子ジャーナルとプリントジャーナル

下のような経緯でとりあえず外国文献のリスト作成と所蔵調査ができたので、実際に文献を入手する作業に入る。
日本語文献なら館内で読めば済んだんだけど・・・さすがに英語文献をすらすら読んで内容頭に入れるのは無理っぽいつうか怖いので、基本的にはコピーをとって利用することに。


しかし・・・外国雑誌を利用してみて、痛感した。
やっぱ便利だわ、電子ジャーナル。
だって現物探す手間も、コピーとるコスト(手間、金、時間)もかからないんだもん。
っていうか学内からなら図書館に行く必要さえなし。
PCからアクセスして、目当ての論文表示して、あとは「ぽちっとな」でプリントアウト。
それに比べてプリントジャーナル(紙の、いわゆる普通の雑誌)しかない場合の面倒なこと・・・
今まで本当に重要な論文以外は館内でしか利用してなかったから気づかなかったけど、
こりゃ電子ジャーナルに勝てないよ、プリントジャーナル。


電子ジャーナルだと保存の問題(紙の雑誌なら買ったら図書館のものだから途中で購読をやめてもバックナンバーが読めるけど、電子ジャーナルはサーバへのアクセス権買ってるだけだから契約切ったらバックナンバーも読めなくなる)とかがあるけど、そこら辺は契約の仕方の問題というか、まあデータ自体も購入できるような仕組みをちゃんと作ればいいわけで。
館内閲覧用に紙の雑誌もあったらいいけど、もし紙か電子ジャーナルかどっちかしか選べない、っていうならこれからはやっぱ電子ジャーナルだよなあ。


ちなみにこれは図書の電子化の話とは別問題。
そもそも図書と学術雑誌って使い方が全く違うものだし。
図書は(もちろん例外はあれ)基本的には「最初から最後まで読むもの」で、「内容的に一続きになっている」場合が多くて、ページ数も多い。
対して学術雑誌は(その人にとって真にコアな雑誌を除いて)「必要な部分だけ抜き出して使うもの」で、(特集とかの例外を除き)「分野は同じでも内容に連続性はない」もので、各記事のページ数もさほど多くない。
だから図書の場合は借り出してじっくり読んだりする場合が多いのに対して、雑誌は必要な部分だけ館内で読むか、使うところだけコピーする場合が多い。
っていうかふつう、大学図書館は学術雑誌の貸し出しはしないからそうせざるを得ない。
要は使用単位と物理的単位の問題で、図書はそれらが一致しているのに対して雑誌は使用の単位が記事なのに物理単位が「雑誌」という成型された紙束になってる、っていう違いがある。
もちろん雑誌が雑誌であることにも価値はあるんだろうが、大半の利用者にとって学術雑誌は雑誌単位ではなく記事単位で見るもの。
だからっていちいち物理的な雑誌を記事単位で切り分けて貸し出すわけにはいかないし、
物理的単位である雑誌を貸し出してしまうとある利用者にとって不必要な部分(そして別の利用者にはそここそが必要な部分)まで持ち出されるがゆえの問題が生じる。
結果、いちいちコピーとったり館内で読まなきゃいけない手間が生じる。
そういった問題は電子ジャーナル化が進めばあらかた解決しちゃうわけで、
いやもう本当はやく雑誌の電子化を進めてくれよ、となる。
一方、図書の場合は貸出が効くから別にコピーとかとる必要はない(本当に重要で使いまわししたい部分とかはとることもあるけど)。
ページ数も多いから全部プリントアウトしてたら紙代やら印刷費用が高くつくし、時間もそれなりにかかる。
(ちなみに「プリントアウトしなければいいじゃん」とかいう人もいるかもしれないが、あまり長い文章を画面のみで見るのは厳しいものがあるうえ、手書きで書き込みがしにくいのも嫌なところだし、いちいち画面に向かわないでも利用できる紙の良さにはまだしばらく電子メディアは勝てないと思う。電子ジャーナルの場合も俺は印刷して使うことを想定して話している)。
遡及入力を除けば電子化にかかるコストは大したことないとはいえ、やっぱジャーナルに比べると図書の電子化のメリットは薄い。


そんなわけだから、学術雑誌の電子化と図書の電子化は直接イコールになる話じゃない上に、
以上すべては学術資料に関する話であって一般的な書籍・雑誌はまた別の話。
個人で娯楽で利用する分にはやっぱ紙の本・紙の雑誌が一番だよね。
本棚と本と雑誌がない生活なんて考えたくもない。


でも、電子ジャーナル便利なんだよなあ・・・
学術分野だけ俺が現役のうちに全部電子化し終わっちゃって、
一般社会には普及しない、ってのがマイベストなんだが・・・