かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

図書館なら信用していいってもんでもない


先日のエントリー(「だからそこで図書館だろ」 - かたつむりは電子図書館の夢をみるか)とも関連する話。


たまたま大学図書館情報リテラシー教育に関する文献をぽこぽこ読んでいたんだが。
どうも「ウェブ情報資源とサーチエンジンを過信しないで、図書館の資料などもあたって確認する癖をつけるようにしましょう」みたいな話が散見される*1


いや、言ってることは全くもってその通りだと思う。
確かにウェブ情報資源やサーチエンジンを過信するのは大問題。
Wikipediaなんか過去に冨樫義博が死んでたりしたわけだし*2
Googleだって、うちのリンク元を見てる限りあんまりあてにしたもんでもない*3


しかしだからって、単純に信頼度が「図書館の資料 > Web」か、って言われるとそれも違う気がする。
例えばWebの情報だって、ブリタニカ国際百科事典のオンライン版とか、Japan Knowledgeみたいな出版社が直接関係している辞書・事典データベースなら、冊子版と信頼度の面でそう大きな差があるわけでもなく。
あるいは法令情報に関して言えば、「電子政府の総合窓口」と「小六法」なら、前者の方が最新版である可能性が高い分だけ信頼度は高いかもしれない*4
オンラインニュースだって新聞社提供のものならそこの紙版の新聞と大きな差はないわけだしね*5


っつーかそもそも、「図書館の資料」が必ずしも信用のおけるものではない。
図書や雑誌として発行されたものが間違っていることなんてざらである。
むしろ基本的には必ずどっかは間違っていると思った方がいいんじゃないかというくらい。
一般書や学術書・研究書はおろか、辞書・事典の類だってそうだ。
例えば「ベニバナの原産地」なんて、調べる事典によっててんでバラバラのことが書いてある。
だからレファレンスについて勉強するときは、必ず質問者に対して「○○です」とは答えず、「○○という本ではこう書かれています」と、典拠を明らかにして、かつ事実ではなく「そう書いてある」という風に伝えるよう習う(はず)。


結局のところ、Webだろうが図書館に置いてある紙媒体の資料だろうが、「ある程度までは信用できる」ってことはあっても、「これが正しい」なんてことはありえないんだよね。
だから「複数の資料をあたる」ってことが必要になるわけだが、じゃあ複数の資料に同じことが書いてあったからって信用していいかっていうとそんなわけでもなく。
地動説が認められる前はいくら資料見たって天動説が正しいと書いてあったわけで。


すべての資料は間違っていたり嘘が書いてある可能性があり、100%信用のおけるものや100%正しいものなんて存在しないことを理解した上で、自分なりにどれを典拠に、どこを採用してどこは採用しないか考えさせるのが情報リテラシーっていうなら必要だと思うし、以前俺が「図書館はメディア・リテラシー教育にうってつけ」って言ったのもそういう前提があってのこと。


そういう風に教えるならともかく、単に「Web情報資源だけでなく図書館の資料やデータベースも探しましょう」とだけ言うと、それはそれで変な誤解を与えそうでやだなー、とか思うんだがどうか。




・・・まあ、そんなことはわかった上で、あんまりにもwebに傾注してる人が増えてきたから上記みたいな主張をしている可能性も非常に高いとは思うが・・・

*1:http://www2.he.tohoku.ac.jp/center/syokou/pdf/syoko22.pdfの米澤さんの記事とか

*2:参照:冨樫義博が死んでるぅっ?! - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

*3:割と色々な検索語でうちに来てる人がいてちょっと面白い。が、「嫌がらせ+復讐+手口+」がいたのはちょっとまずいかな、と思った。またそういうときに限って有効な情報(「復讐之手引」の紹介)とか掲載しちゃってるんだよなあ・・・

*4:まあ最高なのは「官報」だが、いちいちチェックしてられるか!

*5:実際にはそうでもなかったりするわけだが、そこまで細かいことを言い出すとそもそも紙版だって配送元に近いところと遠いところだとニュースの内容が変わっていたりするので、田舎の図書館の紙版の新聞は信用度が落ちてくる。縮刷版が出ればまた話が別だが