かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

かつてはてなダイアリーで更新していた「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」ブログの、はてなブログ以降版だよ

「館」の必要性と「研究>教育 or 研究<教育」問題


先日のオフ会の時に図書館への来館利用と物理的な空間の意味、みたいなことに話が及んだので、その後になってちょっと考えた話。


図書館がらみの話題とかを色々見てると「公共図書館より大学図書館の方が話が話が単純化できる場面が多い」と感じることがしばしばなのだが、その理由の一つに大学図書館の方が果たすべき役割がはっきりしている(とmin2-flyは思う)ことがある。
公共図書館自治体の成員、というかなり広い範囲を利用対象とするのに対し、大学の場合は基本的には貢献すべき対象*1が大学構成員に限られる上、公共が利用者のあらゆる要求を考慮しなければいけないのに対し大学はおおむね大学の役割=「教育・研究」に関する要求にだけ対処してればいい*2から、なにをすればいいか、どういう状態になれば図書館経営が成功していると言えるか、が公共図書館よりもだいぶ見えやすい。
単純に言えば、先生たちの研究業績を増やして、学生の頭を良くすればいい*3のだ。
実際には業績評価や学生の達成度の評価をどうするとか、さらにそこへの図書館の貢献度をどう測るかとか、問題は山積みなわけだが、それでもまだ公共図書館に比べればいくらかわかりやすい。


そんなわけで、電子図書館やらネットの発展で一時よく話題になった「館/場」としての図書館の意味について考える際にも、公共図書館に比べれば大学(学術)図書館の方がシンプルに出来る。
ただ、その場合上でさらっと言った「教育・研究」のうちどっちへの貢献がその図書館、ひいてはその大学では重視されるのか、という点によって答えが全く変わってくる。



「研究」支援機能にだけ着目するのなら、「館」としての図書館の必要性はかなり限定的になる。
もちろん現状では資料の電子化も遅れているし、紙媒体の資料の電子媒体に対する優位性*4ある以上、紙の資料とそれを保管する書架/閲覧室/書庫を全く排除することは不可能だろうが、一方で自動書庫も存在するし、優位性の問題だって技術的なことを克服できればいずれは「紙の利点」が消滅する日だってくるやも知れない。
そうなれば、「資料がある場所」としての館の必然性はかなり薄れる。
ブラウジング機能についてもシステムの面から実現しようとする人は結構いるし、オフ会時にid:kunimiyaさん言ってたが今まで実現できてないのはハード/ソフトの機能的/コスト的な制約の問題であって、解決不可能な問題ではない。
っつーか研究面で言えば、必要な「ブラウジング性能」なんてOPACで検索した本の周辺に配置される請求記号が近いいくつかの本とか、せいぜい目的の分野の棚一面分くらいの本であって、「特に目的もなく書架の間をぶらつく」ような意味でのブラウジングは不要なわけだし。
「そういうことをしている間にアイディアが浮かぶんだ!」っていう先生もいないわけではないのだろうが、現実問題、昨今の大学の先生はそこまで暇じゃないだろう。
必要な資料が研究室にいながら手に入った方が楽に決まってるし、いちいち図書館で探す時間が省けるとしたら(単純に言って)研究効率もよりあがる「はず」だ。


以上のように、技術的な問題が克服され電子図書館化が極度に進んだ状態においては、研究図書館に「館」としての存在は不要になるし、不要になるべきだ、とmin2-flyは考える*5


しかし一方、「教育」支援機能に着目するのであれば、昨今のラーニング・コモンズの話題を見るまでもなく、「館」としての図書館機能の重要性は電子化が相当進んだとしてもなくなるものではないと思われる。
図書館は学生にとって重要な「居場所」の一つで、特に研究室配属されていなかったりホームになるような教室*6を確保していない学生にとっては端末や学習スペースが確保されている図書館の必要性はかなり高いものになる。
試験期間や卒論提出期間に図書館がごった返す現象は、それだけ図書館が学習スペースとして認知されていることの裏返しであって、必ずしも図書館資料を利用するわけじゃないからこそ逆に「館」として図書館が生き残ろうと思うならこっちを重視していかないといけないのだろう。
もっとも、この場合は今度は教育とか学習のための環境、ってことなら今の図書館よりももっといろいろな形が提案されるべきなんじゃないのか、っていう話も出てくるわけだが・・・そのひとつがラーニング・コモンズだったりなんだったり?



と、まあ研究メインと教育メインの違いを色々考えたわけだが、実際の大学だとどっちに注力するかがはっきり分かれていなかったり、はっきりしている場合でも必ずしももう一方を切り捨てるわけにはいかなかったり・・・ってことがあるから色々面倒そうだ。
研究に特化、って意味では各種の大学院大学とか研究機関とかの図書館/情報センターに注目したいところだし、教育メイン、って意味では一部の私大とかに着目していけばいいのだろうが・・・研究はともかく、教育については実際に金使って注力できるようなところは研究も充実しているようなところだろうしなあ・・・あ、でも「館が不要になる」方向で大きな変化を起こすのは研究メインのところだから、そっちを主に見てればいいのか?
でもそういう大学/研究機関の経営陣とか親機関は「館」と図書館機能を切り離す(必ずしも「館」の利用ではない図書館利用を正当に評価する)ことがちゃんとできるのかな??
「館」の利用が減ったら図書館利用が減ったと勘違いして予算削っちゃったりしかねなさそうな。
それで研究業績が実際に落ちてくれると逆説的に図書館機能の必要性が判明するのでそれはそれで良さそうな気もするが・・・研究員自身にとってはたまったもんじゃないだろうな・・・*7

*1:図書館なら「奉仕」という言葉を使うべきかも知れんが、個人的にその言い方は好きじゃない

*2:実際はどうか知らないが

*3:もちろん成績に限った話ではなく、より社会貢献できる人材とかそこら辺の意味で

*4:ディスプレイで見るのは紙より疲れるとか、電源がないと読めないとか

*5:実際にはコスト面とかいろいろ制約もあるし当面、難しそうだと思うが・・・「攻殻機動隊」では2030年代には印刷物を収おさめた図書館が忘れ去られた場所状態になっていたが、実際にはあと20年でそこまでいくのは難しいだろうなあ・・・

*6:部室、学生控え室の類

*7:さらに実際には図書館の予算を削ってなにか別のことに回した方が研究業績が上がる可能性も考えないといけないのかな。しかしそこら辺も含めた研究はとんでもなく面倒そうな上に実際の研究機関の生死に関わるからおいそれとはできそうにないなあ・・・