かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版)

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【2009年図書館総合展フォーラムレポートその1】「10年後の図書館と大学」・・・2020年の大学図書館について激論!


図書館総合展初日は千葉大学・土屋俊先生が代表を務められている科研費プロジェクト、「電子情報環境下において大学の教育研究を革新する大学図書館機能の研究」(REFORM2)の成果報告・提言とディスカッションのイベントに参加してきました!


フォーラムの情報とREFORM・REFORM2については以下等を参照。


REFOMR/REFORM2の研究成果に基づく土屋先生の提言と、大学図書館員・大学院生・出版関係者による意見(反論?)、そしてディスカッションという形で、実に4時間にわたって非常に濃密なお話が続きました。
以下、例によって例のごとくメモです。
なおこれも例の如くあくまでmin2-flyが聞き取れた/理解できた/書き取れた範囲*1のメモであり、特に今回はお話のペースが早い方も多く取り漏らしはかなりあることと思います。
ご利用の際にはその点、ご理解のうえお使いいただければ幸いです。


ではまずは土屋先生の基調講演から。*2




基調講演「2020年の大学図書館」(千葉大学・土屋俊先生)

  • 図書館と大学ということで、科研費を貰っている研究プロジェクトの成果についての報告を兼ねて。成果報告だけだとつまらないので約10年後にどうなるかをお話してみたい。ここにいらっしゃる方も10年後には忘れていると思うので、正しかったかも検証されないだろう。活発に議論したい。
  • 図書館の方は発言者が少ないとも言われるので、その中では発言の多い方を4名、それに図書館学を研究している大学院生を1名、出版から我々の予想についてコメントしてもらう方を1名、質問者として招いた。それをネタにして残りの1時間は完全に自由討論にしたい。進むべき方向を考える糧になれば。
  • REFORMは1,2はあったが3回目はない。大学図書館の研究はもはや終わった。今後、大学図書館について研究するネタはない。6年もやったら課題は終わり。そう考えない人がいるのはわかっているが、我々としてはこれ以上のことはできない。
  • メッセージは単純(プロジェクト内では異論も多い)。
    • 2020年において大学図書館の研究支援機能は失われている。その理由はインターネットがあるから。
    • 本については一定の効率化が行われている。気にしなくていい
    • 機関リポジトリの運営は残るかも知れないが、それは図書館か? 機関リポジトリが残っていても図書館はなくなったと言ってもいいだろう。
    • 教育支援機能もなくなっているに違いない。教員は図書館の教育支援機能を使うのが下手だから。図書館を活用しようという教員は僕も含めてほとんどいない。教員自身、「教育支援」しかしていない。
    • 図書館に残るのは教育機能のみ。資料は電子化され、教育支援機能も支援なんかしてないで教育そのものをしないとだめ。大学の教員は図書館員になればいい。もともと大学なんてそんなもの、図書館の本を読みあげてあげるのが教員。昔通り。
    • 10年後には教育そのものに携わらなければ何もない。異論は多いが、異論を持ちつつも賛成者は若干いるので安心している。
    • 「そのための準備をしよう」
  • 大学図書館を制約する条件
    • 大学の機能、教育と研究を支援する機能を大学図書館は持つだろう。それを制約する条件とは?
    • 研究支援機能
      • 学術情報流通の成り立ち、その中で大学における研究成果の利用がどう位置づけられるか。現代的な話題としては電子ジャーナル、機関リポジトリ
      • 一番大事な研究活動そのものとその評価。今は論文業績中心主義。一生懸命勉強しているだけでは評価されない。論文を書かないといけない、発表しなければいけない。その流通と蓄積・保存により大学図書館の研究支援機能は実質的な意味を持ってきた。
    • 教育支援機能
      • これも学術情報流通が関わる。教育=世代間を超えた知識の伝達、つまり一種の学術情報流通。教科書やテストによって物質化される。
      • 現代の教育はほとんど日本語で行われている。日本語で本が動いている状況を無視することはできないが、これは10年後どうなっているか?
      • 教育の実施方法について、たぶんこれから重要になるのはe-learningと呼ばれているもの。人によって定義は違うが、教室で何十人もの人が集まって先生が話をする、という教育が未来永劫続くことへの不安が高まっている。話すのが下手な先生も多いし、知識の寿命が短いので常にアップデートが必要となると、遠隔教育は今まで以上に中心になる。わざわざ学校に行かなくてもいい方がいい。今までの教室・キャンパスへの疑問が出てくるのは当然。「携帯で歩きながら勉強したい」学生が出現しない保証はない(いるとは思わないが)。勉強はしないかも知れないが、新聞記事を携帯で読むということはよくある。モバイル環境とフィットした教育がこれから求められる方向、その中で図書館の教育支援機能とは?
    • さらに大学そのものの、社会的な制約条件
      • 高等教育そのものがどうなるかだってわからない。そろそろアメリカの大学でも高等教育への投資への疑問が出始めている(何年かおきに必ず出る)。大学だって危うい。
      • インターネット化された情報流通とその中で創造・利用される知識をベースとした社会の中で大学が今までみたいに生きていけるのか?
      • キャンパスや教室はものの世界。あらゆるものがバーチャル化するのは必然。教室に抱え込むような学校制度がなくなるのはもしかしたら必然的かも。
      • 大学教育の最近の方向は「自分で考えなさい」。日本の今までの教育は「自分で考える暇があったら勉強しなさい」だった。良い点数を取るには試験に関係ない本を読んでいてはいけない。それまでそうやってきたえらい人が、どういうわけか「そうじゃない、自分で問題を発見し解決できるように」と言いだした。なんとなくはわかる、社会が流動的なので「この知識を覚えれば・・・」という保証がない。教師としては自分の身を守るためにも「自分で考えろ」と言わざるを得ない。詰め込むような教育はもはやなくなり、10年後にはあるはずもない。こういう環境の中に大学図書館はいる。
  • 今日の構成の紹介(開始から20分時点で!)
    • 個人的懐古:背景、着想、狙い
    • おもな研究成果の紹介
    • より広いコンテクストの重要性
    • 2020年にどうなっているか?
  • 個人的懐古(「個人的懐古なので気にしないで」)
    • REFORMというのは・・・尾城孝一さん*3が「これはREFOMRという名前にしないといけないんだ!」と、千葉大の情報サービス課長であった時に考えられた。
    • 提案した2003年から比べると・・・(図書館は)人は減った、本も減った気がする。少なくとも雑誌は日本の週刊誌や論文誌じゃない学会誌くらいしかない。
    • 1998年、千葉大学の附属図書館長を引き受けた。秋から国公私立大学図書館協力委員会委員長館になり複写と著作権の問題に、冬からは電子ジャーナルに関わることになった。
      • 図書館情報学が使えない。論文を読んでも役に立たない、結局松村多美子先生のところに聞きに行くことに。その後もいろいろ活動し、図書館学者は本当に使えないと思った。そこで自分でやるしかないと考えた。
      • 2003年に竹内比呂也先生が着任(土屋先生は短大で出来ること=司書資格を取れるようにすることには反対していた)。論文を読んでみたら「この人は論文をでっちあげるのがうまい人だ」という印象を持ったので科研費プロジェクトに。感謝している。
    • 哲学をやっていたのだが飽きた・・・というと怒られるが、学問は現実に応用しないといけない。解決されていない問題があるということで幸いと思った。
    • 大学図書館の構築、人材の養成、現実への応用・・・ただし応用については失敗。完全に現実に先行されてしまった。たとえば機関リポジトリは5年間で70〜80大学が構築。「科学をやって応用して」なんていうのでは間に合わないのだと思った。
  • NACSIS-CAT/ILL研究
    • 「数字があった方が研究っぽい」
    • 現実的に、著作権について扱うときにILLが問題になる。ILLがどういうものか説明する必要があるが、仕組みの説明は簡単でも現実にどう行われているかの説明ができない。オペレーションの説明は出来るが日本全体でどのくらい複製が行われているかとかは数字を見ないといけない。データはあっても数字を使った研究者初期にしかない。そこで日本には100万件のデータもあったので、貰いに行った。
    • 結論:日本の大学で行われている大学図書館間のILLはすばらしい。
      • 数値の80%以上を詳細に把握できる(残る部分は医療関係の不可解さ? )。
      • 効率的・経済的・迅速。著者にお願いするのと変わらないスピード。
      • しかし利用は2000年以降伸びていない。当初は「停滞?」と思っていた。
        • 洋雑誌と和雑誌を区別して見る・・・その結果素晴らしい発見をした。
        • 千葉大学亥鼻分館での発見・・・看護系のILLが増えている?
    • ILLの動き・・・洋雑誌は1999-2000年をピークに減り始める。その時期和雑誌が増える。足すと停滞して見える。
      • 洋雑誌が減るのは当たり前、電子ジャーナル。和雑誌が増えるのは何故?
        • Webcat等により存在がよく知られるようになったから?
  • 大学図書館間協力と資源共有について
    • 戦後の大学図書館政策
      • 1950年代後半に、戦後復興における科学技術知識の摂取についての議論。集中的に買って配布をやるJICSTやNDLのような集中でやるのか、分担・分散でやるのか?
      • 大学は最終的に分担・分散方式に。当時の文部省の方針。外国雑誌センター⇒NACSIS/NII、CAT/ILL。
      • 1990年代末に理想的な環境が実現した。あとは惰性。
    • 電子化の時代
      • 1995年の電子図書館構想:1993年にクリントン・ゴア政権がインターネットに力点を置いた政策構想を出したことで、コンテンツ部分として出てきた。にもかかわらずインターネット抜きの図書館構想が日本で始まる。迷走。
      • 電子ジャーナルの到来。同じことをやっているはずなのに平仄が合わなくなってくる。
    • そもそも情報資源の共有ってなんだったのか?
      • パラダイム変換⇒電子化によって全く崩壊。
      • 電子化・・・情報は原理的には共有されている。
  • そもそも図書館間協力?
    • 総合目録の共同構築は幻想。一部の図書館が専らやっていた。昔からずっとそう。
    • 流用しないで自分で作ると書誌調整が必要になってしまう。
    • NACSISの規則は国際的にユニーク。誇りに思っているようだが取り返しがつかなくなるかも。
    • ILLも、所詮は知り合いコミュニティの集合体。撹乱要因は値段のみ。
    • ILLが減っているなら、CATを作る意味はあるのか?
  • 電子的学術情報利用形態が見えてきた
    • 2000年には見当もつかなかったが、2000年代後半にはだいたい見えてきた。
    • ダウンロード=論文利用というイデオロギー。「クリックなんて赤ちゃんでも出来る」と思うが普通に受け入れられてしまった。2004〜2005年からのCOUNTERによって。さらにERMSやコンソーシアムもだいたいどんなものかわかっている。2000年前後には「何それ?」という人も多かったが、今は「ああ、あれ」と言える図書館の人がほとんど。だいたいどうなるかわかってきた。
    • コストが発生しない営為がないこともわかってきた。ElsevierやNatureだけが悪いわけじゃない。図書館が買うから売る。みんなで不買すればいいのだが、買わないと研究者が怒る。誰が悪いのかわからないがお金はかかる。
      • 資源そのものはお金さえあればインターネットから見える。直接入手可能なら、出版社のサーバと利用者だけいればいい。データベースだって買えるし、買うのがいやならGoogleもある。図書館なんていらない?
  • 成果をまとめると・・・
    • 外国出版社刊行雑誌掲載論文へのアクセス環境は電子ジャーナルにより格段に改善。
    • 国内学会刊行雑誌もアクセス環境は改善の途上にある。
    • NACSIS-CAT/ILLによる資源共有は、対等共同の図書館間協力「ではない」。そうあろうとしたがなってない。
    • 外国図書の図書館による購入は減っている。大学の数が少なくて傾向がつかめない。
    • 国内には有力な国際雑誌刊行主体は存在しない。我々(日本)は流通と関係がない。
    • 外国出版者における図書の電子ブック化は進展しつつある。
    • 国内出版者による電子的情報提供は絶望的。CiNii、メディカルオンライン、J-STAGE国立国会図書館(NDL)だが、CiNiiとメディカルオンラインは画像、NDLも画像予定。デジタルと呼べるようなものではない。
    • 「いいことなんて何もない」??
  • REFORMの予想(全員一致はしていない)
    • 電子化はこのまま続く。NDLでもやるんだろうし電子的になる。大学図書館の一次資料提供機能は必要なくなる、仲介機能もデータベース等の(外部)サービスでいい。NACSIS構想は終焉する。10年後、1980年構想の延長線上にはいられないのは確か。
    • 機関リポジトリによる研究支援しか残らないが、それは「図書館」か? 図書館学の知識より主題知識がいる。誰が図書館員をやる?
    • インターネット環境の普遍化も間違いない。教育も電子化されるのが当たり前。すべてがインターネット上で行われる。しょうがない。どこでも消費・学習・生産しなくてはならない。M-Library (Mobile-library)。
      • グローバルな知識基盤社会が21世紀の市民が生きる世界。デマゴギーか真理かはわからないが。
      • 同世代人口の多くは4年生大学に来る。減るはずがない、知識基盤社会なのだからある程度育てなければいけない。しかし2020年に来るのは「Gen Z」世代、2000年生まれ。それについてもう少し考えないといけない(プロジェクトではできていない)。
      • 対面教育の限界
  • REFORMの予想というか、期待
    • 今の日本の大学の教育実践はこの期待に応え得るか?
      • しかるべきFDと施設設備があれば大丈夫?
      • 所詮、日本の大学ではできない?
      • (土屋先生の個人的意見としては)その間かなあ・・・?
    • 応えられるのは大学図書館だけだ!
      • 日本の教員では大学に求められる需要にこたえられない可能性が非常に高い。出来るのは図書館だけ?
      • インターネット社会では対面性を本質的なものとする時代は終わる。理念的には場所に依拠した大学は消える。知識基盤社会では知識が「買える」社会でもある。知識をアップデートしバージョンアップするスキルが、大学の教育機能が提供しないといけないスキル。「身につける」しかないもの。それを身につけさせるのが高等教育になる。今の日本の大学のシステムでは無理であるが、希望の星は大学図書館だけ。
      • ・・・あまりにも迎合的? だがもう少し迎合する。Meister付きの、親方のいるワークショップが一番効果的。大学機能を包含する図書館を作ることが重要。なので、皆さんよろしく。

パネル講演(司会:竹内比呂也先生(千葉大学))

「図書館にあるニッチ」(市古みどりさん 慶應義塾大学理工学メディアセンター)

  • 最後に土屋先生があそこまで奇麗にまとめられるとは想像していなかった。ちゃんと図書館員に受けるようなまとめ方でびっくりした。
  • この夏、理工学メディアセンターでは製本雑誌を6,500冊ほど処分
    • 信濃町でもChemical Abstract等を捨てる仕事をした。自分の人生と重なるようで心が痛んだ。
    • 何故やったか?・・・雑誌を減らすことで学習スペースを作るため。朝、学生が真っ先に来て1日中埋まっている空間になった。
    • 2000年の流行語大賞はIT革命。この10年であっという間に図書館の姿が変化した。
  • 2020年の図書館を教科書的に考えると?
    • 政治、経済、社会、技術の変化が図書館の状況変化に。リーマンショックの影響でハーバードやスタンフォードですらも予算、人員、図書館自体がカットされる。
    • いろいろなものが社会的要因によって変化する。
  • もっとミクロにみると?・・・SWOT分析、特にSとOにだけ注目すると?
    • S=強み:蓄積し、組織化し、提供してきた資料と図書館員と場所があること。
    • O=機会:人が育つ場所の提供。ともに学び教える、自主学習、コミュニケーションとしての場の提供。
      • 2008年中教審審議のまとめ・・・強く感じるのは、「質が問われている」時代であること
        • 質は何で保証される?
          • FD? しかし世知辛いし夢がないし詰まらない。誰のためのもの? 教員の評価のためだけなら意味がない。
          • 到達度評価? 高等教育に今更? 学問はもっとのびのびしてていいし、そもそも学びを測れるのか? 情報リテラシー教育の評価も興味はあるが、本当は測るものではないだろう
          • 図書館員はこれだけ集まる割にパワーがない。図書館の領域を勝手に規定してしまっている。「教育に入り込みたい」というと「それは図書館員の仕事じゃない」という図書館員がいる。そんな勝手に自分の領域を決めなくていい。
  • 出口で保障されるべき能力
    • 知識・理解
    • 汎用的技能・・・情報リテラシーも関係。ICTで人の認知や思考がどう変化するかというのもあるが、この点では図書館が貢献できるのではないか?
      • 知識や技能と切り離されていても実際の問題解決には役立たない。
      • 専門科目の中にうまく埋め込まれ、トレーニングを重ねる必要がある。
      • 一方的な知識の伝達から問題解決型の授業への変化に期待、その時自主学習やグループ学習といったところで図書館がうまく組み込まれるのでは?
  • 10年後、何が起こるかは本当はわからないが・・・
    • 資料選択が1冊ずつではなくまとめるようになるかもしれないし、プライマリーソースの見極めが必要になるかもしれない。
    • 教育に入り込むとしたら検索技術よりも心理学・教育学・コミュニケーションの力が必要になるかも。
    • 場所としては・・・理工学メディアセンターでレファレンスブックを整理。バークレーでもかなりなくしているらしい。今まで図書館にとって大事だったものはほとんどいらなくなって、場所としての活用が大いに問題になってきている。書庫の問題も「どこかにあればいい」となって解決するかも。
    • 予算については図書館一つで言っていても解決しそうにない。国会議員になろうという人の力を借りるなど、もうちょっとダイナミックなことができるといい。

「REFORMへの疑問と意見」(河村俊太郎さん 東京大学大学院)

  • 若手なりに好き勝手なことを言わせていただきたいと考えている。
  • 図書館学、特に歴史関係研究者かつ20代の人間の立場でコメントしたい。
  • 業績中心主義について
    • 業績がいっぱいないと困るというのが一般的だが、その弊害として図書館学関係の一流雑誌でも、お作法を守れば通るような状況。
    • 学位もお作法を守って書けば通る。
    • こうした循環ができると研究者の能力も、大学の権威も落ちる。
    • 10年後くらいには業績中心主義もなんとかなっているのではないか?
  • 土屋先生へのお話の3つの疑問
    • 機関リポジトリについて:本当に大丈夫なのか?
    • 教育機能強化:それでいいのか?
    • 紙媒体は本当になくなるか?
  • 機関リポジトリについて
    • 結局、全部GoogleかCiNiiでいいのではないか? それだけあった方が便利では?
    • 機関リポジトリで引っかかるのは紀要。査読がないのであまり重要な情報がない。
    • 研究者が自分の研究情報を公開するのも個人のページでやった方がいいのではないか?
  • 教育機能強化
    • どれくらい有効なの?
    • 大学がやばいというのはその通り。大学の重要性は大学関係者でもなかなか答えられない。大学のアイデンティティは揺らいでいる。
    • 図書館が大学の知の有効性を先手を打って示していけるといいとは思う。
    • 実際問題、大学進学率が50%を超えたような中で、高等教育が知識よりも情報解決能力を重視するというのは本当にできるのか? 分数も出来ない大学生がいる中で、大学は先進的なことをするよりも高校の補修、中等教育との接続を考えるべきでは? 学校教育との連携が重要で、その中で中等-高等教育連携の最右翼として図書館を取り上げると、図書館よりも広い枠の中で図書館が重要視される流れになるのでは?
    • 高校教員と大学教員の連続性という流れもありうるので、図書館が特権的に優位なわけではない。
    • しかし教育機能だけでいいか?
      • 教育支援機能と研究支援機能の両輪/大学にも同様の両輪。
      • 図書館が教育だけに行っていいのか? 図書館が持っていた場としての神話が辛くなるのでは? 長いスパンで見ると辛い。
      • 教員が役に立たないということを言ってしまうのは難しいのでは? 大学は教員が運営する組織であって、図書館や事務関係者は従。
      • 研究支援についての意見・・・部局図書館の重要性
        • 大学は知識中心で出来ている。すなわち部局中心なのがあり方として説得力を持つ。
        • 予算的に集中運営に進んでいるが、存在意義がなくなれば予算どころではなくなるだろう。
        • 分散化の中で中央図書館よりも部局図書館が機能している・・・部局図書館の重要性を再発見すべきでは?
        • (土屋先生から:「あそこ(東大)は日本の大学じゃないもん」)
        • 資料はなくなる、場所も資料がなくなればもたないだろう、そうなると人に注目すべきでは?
        • 人が意識的に部局図書館を作る・・・部局図書館の役割から大学職員、助手、秘書の役割を引き受けては?
  • REFORMの場としての図書館を部局図書館単位で作ると楽しいのでは?
    • 研究支援・教育支援機能と場としての神話も保てるのでは??

「10年後の図書館と大学 とは??」(前田信治さん 大阪大学附属図書館)

  • テーマが壮大すぎて考えたこともないし嫌だと言ったが、「どうしても嫌ならいい」と言われて断れずに来た。
  • 私個人の意見は・・・
    • 「そんなことは知らん 考えたこともなかったし、考える気もせんわ 目の前にすることが山ほどあるからな」
    • 集まった方のうち何割かは「考える気もしない」と思っているはず。考えなければいけないとわかっていても、目の前に山ほどすることがある。5月にやりたいと思ったことにまだ手がついていない。朝来た時よりも夜帰る時の方が仕事が増えている。消化するのは休みの日。現場の係長レベル以下のものは詰まらない仕事にかも知れないが、忙殺されている。
  • 「熱意と危機感のある大学・図書館」と「日々の仕事を何とかこなせばいい と思っている大学・図書館」で全然違ってくる
    • 今どういう姿勢で運営しているのかの動機の違いがより顕著に表れるのではないか?
    • 熱意と危機感がある図書館
      • 新しいサービスを展開・対応する。
      • 図書館員がサブジェクトライブラリアン的な要素を強くする(自分自身の専門分野を持つ)。
      • 単独で進めることに限界を感じ、必ず図書館間で連携を取って動いて行く。
      • 大学にとって図書館がないと困るという地位を高めていく。
      • 大阪大学でも研究者から信頼を得て、教員から「先生」と呼ばれて、ゼミで「〜先生のところで論文の書き方を教えてもらいなさい」と言われている図書館員がいる。そういう人の需要は10年後でもある。
    • 危機意識がない図書館
      • 一般の行政事務部門員統合される。
      • 契約は契約担当に、一般的なサービスは委託へ。
      • 新しい機能の提案はあまり期待できない。新規サービスは予算の範囲で可能なら、となる。
  • REFORMの予想
    • 対面教育の限界?・・・知識やツールは遠隔教育で教えられても、発想や着想は直接伝達しないと伝わらない=場としての図書館として残る?
      • それを果たせない図書館は存在価値を認められなくなる。
  • どうやって「熱意と危機感のある図書館」にするのか?
    • どんなに研究者のことを考えてやっても反対に意見に会うことはある。どうやったらいい?
    • 私は苦手だが、対話しかない。敵を排除するようなやり方では何の役にも立たない。接点を見出して対話することが唯一の回答。

「今日のフォーラムへの私の本音!」(茂出木理子さん お茶の水女子大学附属図書館)

  • 3か月前に予約が入ったので準備が良くなったなと思ったが、やっぱり嘘だった。ぴらっとした資料が来たのが2日前。1か月前の約束が守れない男の10年先の読みに身も心もささげるような女はいない!
  • 10年前に私が考えていこと
    • 携帯OPAC、電子ジャーナル、Web of Scienceが夢。当時、京都大学電子図書館構想で「机の上に京都大学」のキャッチフレーズを出してなんて洒落たことかと思っていた。
    • 情報リテラシー教って何?」と内心思っていた。「独りよがりでは?」と思ったり、「学生があんまり賢いと図書館員がやることなくなる」とか、「電子ジャーナルが高機能化すると教えることがなくならない?」とか。
    • 10年前ですら悲壮感を漂わせる男性職員もいたが、(茂出木さんは)余裕を持っていた。
    • 図書館にカフェが欲しいとか事務室をガラス張りにしたいとか思っていた。最後のは今、実現出来た。
    • 今、図書館に入ってきたばかりの若手にこうした面白さを伝えられるだろうか? 「そんな仕事したくて入ったわけではない」という人に「早くやめな」って言うしかないのか?
  • 「学習支援」を重視した「場としての図書館?」
    • 素敵な学習空間にエプロン掛けてブックトラックつけた図書館員はいる? 邪魔じゃない? 
    • 立地もいいし環境もいいし図書館は場所を持っているが、それを差し出してネットワークとアドバイザーを配置した瞬間、「図書館員は邪魔?」という気がしてくる。
    • 日本学生支援機構の「大学と学生」特集・・・図書館の「と」の字もない。もっと切羽詰った問題。基礎学力・鬱気味な学生への対応・経済的支援・職業指導・履修指導・薬物対応・・・「生活指導?」。あらゆる相談に応じるワンストップ・サービス。実家の母の代わりになれとでもいう感じ。図書館は「それどころではない」。
    • 大学に入ってくる人が必ずしも上の方ばかりではない、場合によっては小学生の延長のような対応がいる。図書館がひとりで高度なことを頑張っても置いていかれるというか先走りになるというか。
  • 10年後に「図書館らしき」ところで誰が働くのか?
    • 今まで土屋先生は「お前らはいらん」というような話をされていた。「いらん」と言われる前に愛想を尽かすか。「こんな男についていけん」と手放すか。
    • 図書館という組織に守られて仕事をしている。「忙しい」というが、忙しいと言っている限りはクビにならない。暇なら「あんたいらん」と言われるかも知れない。
    • 10年後に図書館的機能を持ったところで誰が働いているのか/働いてあげるのか。
    • 「図書館」という言葉から離れられない人は頑張ってしがみついてもいいと思うが、何を持って仕事の幸せとするかは自分で考えるしかない。教育にかかわることを幸せと思う人もいれば、学生のお母さん的な役割を図書館が果たすことを幸せに思う人もいるかも知れない。ただ、自分で思うことと職業になるか=お金を貰えるかを考える必要がある。
  • 『ごきげんなすてご』にからめて
    • 「あたしはりっぱな図書館員です。あたしをひろうとおとくです。職員のいないお金持ち(の大学)、あたしをもらってくださいな!」
    • これから図書館に入ろうかという若い世代が10年後、どこで幸せを感じるのか

「電子化の趨勢は行くところまで行く」(杉田茂樹さん 北海道大学附属図書館)

  • タイトルは事前に送られた資料から取ったのだが、今回のスライドにはなかった(土屋先生:「なかった?」)
  • 目先のところを取り上げて感想など。
  • ILLの話・・・洋雑誌は2000年、和雑誌は最近減少に転じた
    • Elsevier Science Directの年間ダウンロード・・・億の単位で年々伸びる。
    • 動きはちょうど対照的になっているが、電子ジャーナルは利用の伸びの桁が違う。ILLが電子ジャーナルに置き換わった、というだけではない。
    • インターネットがない頃・・・新聞、時々読む本、手紙くらいが字に触れる機会。
    • ⇔今はいやっていうほど字に触れる。携帯、web、Twitter・・・
  • オンラインで手に入ったからILLをしないのではなく、手に入る情報が多すぎてILLまでしている暇がなくなっているのでは?
  • 電子化、電子化というが・・・
    • 「仮に研究する人生」*4掲示板・・・研究者のふりをしてPhys Rev.が買えなくなったという人と、文系の教授と名乗る「電子ジャーナルが出てきておかしくなったんだ」という人、文系助手と名乗る「電子ジャーナルなんてブログみたいなもんだから理系は論文何かブログで書け」とやりとりをしていた。その会話を笑ってばかりもいられない?
    • 夏に『サマーウォーズ』という映画を見た。人々はOZという仮想世界にアクセスをして、買い物もできるし本棚もあるし好きな姿で生活できる。映画の中では行政もOZを使っている。そこに悪意をもった人が現われて・・・という話。この映画は最近のソーシャルネットワーキングを考えるとそう遠い話でもない。学会活動はOZがあったら、OZの中に移るか現実に残るか? もう数年でこんなことになってもおかしくない。
    • もっと言うと『マトリックス』みたいに、世界は中央の巨大なコンピュータに支配されていて人は脳で直接その世界にアクセスして現実と同じように生活する・・・という。10年後にこれが来るとは思わないが、仮想現実の中で研究仲間と対面しているかのようにコミュニケーションが取れるかのように今の社会が発展した時、リアルな学会や出版、もちろん図書館は残るのか? それともバーチャルの中で学会の大会が行われるということも起こるのか。
  • 先々週、機関リポジトリ関係の会議で・・・
    • 論文の話なんかしない。e-Research, e-Scienceのインフラを作る話に行っている。資料、本、雑誌、対面サービスの話よりも研究者や学生のサービスにどうかかわっていくかが課題ではないか。10年後にそうした世界が来るならそこまで見ていきたい。

「デジタル書籍は普及するのか?」(植村八潮さん 東京電機大学出版局長)

  • 途中参加なのだが、自分が普段思っていることをしゃべればいいのかと思った。
  • 長尾真先生の『電子図書館時代へ向けての大規模図書館の未来像』より・・・70%以上のものは電子形態のみになり、冊子体で出されるものも電子的に入手できる?
    • 何を出版と捉えるか、によって解釈が変わる。今のケータイ小説等のものを出版に含めれば9割でもなるが、今のようなものなら10年後でもならないと思う。
  • そもそも本ってなにか?
    • 紙を使わずリブリエ*5のみで授業、発表、テストまでやった。同じことを翌年、紙の本でもやってみた。
    • 検索性/一覧性でリブリエは全然だめだった。
    • 老眼なので文字を大きくしていたが、そのため文字を小さくしている学生とページ等の齟齬ができた。本はコンテンツパッケージではなくシステムを内包している。本の持っているシステム性に気づいていないので、リブリエみたいのが出てくると・・・シーケンシャルにはいいが教科書には向かないし、今の引用文献のルールは本によって特定出来る。そのルールもデジタル情報では通用しない。いかにパッケージとしての本が生活に入り込んでいるか。
  • 情報収集=知識なのか?
    • 本や知識があることで教育が成立し得るわけがない。京都大学の医局の人たちがオウム真理教に入ったりする。先生に質問したら、彼らは「cleverだがwiseではない」と言われた。あるいは「知識ある奴はいらねえ、知恵がある奴がいい」という言葉。知識をどうやって作り上げるかは考えが及ばないくらい深いシステムがある。
    • 「知識はあったが知恵はない」と別の先生に行ったら「彼らにあるのは知識ではなく学力」とのこと。
    • うちの大学で言ったら「学力ある大学はいいなあ」と言われた(笑)
  • 出版補助金は凄い減らされている
    • 科学技術・学術審議会学術分科会報告書の中で研究成果としての「書籍」の刊行を積極的に位置付けていくことが必要、との記述。経済学ですら書籍があって評価される。
    • (土屋先生:オンラインでダウンロードが多い順に補助金を出せばいいじゃない!)
    • それはネットの中のアクセスが絶対的評価になり得るかという問題もある。ネットを通して得る情報は本と等価か?
    • (土屋先生:等価以上だもん)
  • 紙媒体VS電子媒体
    • 日本の出版社は・・・サーバの維持管理等に投資できる人文社会系がいない。
    • 紙の本は一人でだって出来る。社会インフラがあるから。
    • 間違いに責任を取ること・・・出版社は今、すごいクレームが来る。間違いに責任を取ることで信頼性が取り得る。信頼性は間違っていないことではなく、間違いにどう対応するかによってできる。それは匿名では作りえない。だからこそ紙の本にはギャランティーがある。
    • 電子媒体はいつでも変更可能、カスタマイズ可能、匿名性。2ちゃんねるだってなんだって匿名性のもとに、そこそこの品質でやってきた。ただ、品質が全ての山だと思っていたらその隣に別の山があることに気づいた。
    • 信頼性に一切注力しないからころインターネットは巨大なメディアになった。紙の本は信頼性でのみ対抗できる。Googleが本をスキャンしだしたのも、誰かわからないようなブログと、誰かわからないような紙の本なら紙の本の方がまだ信頼性を持っていることを知っているから。ネットだけでは信頼性を担保しえないことを知っていた。Googleがずるいのはそこで二重の担保をしている、「〜図書館の」「本の○ページ」ということで信頼性を保とうとしている。
  • 出版コンテンツと「信頼性」
    • クリエイティブコモンズは一億総クリエイタのためのもの、信頼性ではない。
    • 図書館はベストエフォートの世界まで扱うのか?
  • 機関リポジトリを「学術情報発信」というのは言い過ぎでは?
    • 図書館ではなく大学のシステムとしての機関リポジトリとしてとらえることが正しいのでは。
  • ビジネスとしてパッケージメディアが小さくなるのは確かだが、そこで問題になる信頼性をネットメディアではどう担保していくのか? 多くの学会が査読システムを維持しているのは出版メディアの信頼性システムを利用しているのでは?

パネルディスカッション(司会:土屋先生)

  • 土屋先生:感想を述べると、ほとんど反論すべき余地はないとおっしゃっていただいた感じで、同じ意味で僕も反論の余地がない。方角はあんまりずれてないんじゃないかなあというのが印象。最後の植村先生のように旧弊な出版人でも、基本的に電子化には付き合うしかないところまではお譲りいただけた。これから1時間弱、できるだけ他の方の印象も聞きたい。同じ意見だと思われそうなので、違うというところをうかがう機会としていくつか限定して議論を。最初に、河村さんの部局図書館論はあの大学と西の方のあの大学でだけ成り立つことで普通は無理。実現するには合併して、大学を大きくすれば再現できる。それは今までの大学図書館が部局図書館になるだけなのであまり意味はなあい。あれだけはちょっとやめて。
  • 土屋先生:(論点の1つ目)僕も教員なので、人の問題について教員から図書館員の資質は言いにくいし、図書館員からも言いづらいは思うのだが、この際だから言ってしまおう。10年後、図書館の人の資質はどうあるべきか。図書館みたいなところで働く人という言い方でもいいが、大方の方は今以上に教育もしくは教育・学習支援としての今までの図書館機能の延長上に想定される機能は収斂していくんじゃないかとのことだと思うが、そうなるためにどういう人が必要で、そうなるために今何をすべきか。すでに議論の中で話された方もいると思うが、もう一度整理したい。
  • 土屋先生:(論点の2つ目)もう一つの問題は機関リポジトリについて、様々なコメントがあったが。先ほどの僕の最初の話では研究に関わる部分の機関リポジトリ的なものは大きな役割を占めると思うが、機関リポジトリについてどうお考えか? 必要か、あるいは10年後にどうなっているのか。それを運営している人は今の図書館の延長上、人員の将来の姿として自然なのか、自然でないとしたらどうしてなのか。自然なら放っておけばいい。その2点は議論しておきたい。
  • 土屋先生:最初に人について。たぶんいわゆる図書館学として教えられている20何単位の知識は全く不要である、と断言して見る。竹内さんの仕事はなくなる。必要なのは、知識があれば何でもいい。非常に言いにくいが、教員になれなかった学位取得者がちょうどいい。暴論でもあるが実態である、そのくらい専門性が欲しいと、とりえず言ってみて水を向けたい。
  • 市古さん:教育が変わることが大前提として。変わったその時には、論文はまだ書けていないが、その時にはその程度の力は付けて準備したい。
  • 河村さん:土屋先生と基本的に同じ意見。戦前の東京大学では全くそう言った傾向だった。
  • 土屋先生:戦前の東京大学とか参照する価値がない。
  • 河村さん:いやいや。助手+教員としての資質。
  • 前田さん:研究者との距離を縮める、その一言に尽きる。助手みたいな性格、いないと困る役割を果たす。
  • 茂出木さん:具体的には腰が軽い方がいい、人当たりがいい、めげない、咄嗟に動ける、はったりが効く、それから実は癒し系が求められる気がする。大学がぎすぎすしているが、大学は本当は実生活で労働したくない人がいるところと思うと癒し系図書館員はいた方がいい。もう一つ言うと、先生とは違う意味で頭のいい図書館員、専門バカにならない図書館員で腰が軽くて人当たりが良くて癒し系の人で部隊を組んで大学図書館を牽引したい。
    • 土屋先生:それは10年後の教員にも求められる。今、教員にあるのははったりだけ。あとのものは教員にも必要で、学生が弱くなっているなら図書館は行かなくてもいいけど教室は来ないとまずいので。教員としては大変的確な指摘だが図書館員までそうなっちゃうと・・・
  • 杉田さん:北大図書館は部長・課長3人、係長10数人、その下が数十人いるが、その中で一番図書館員らしいのは先生。専門を持った人が図書館を切り盛りしてくれるといいなあと思う。すぐにそうなるのは難しいかもしれないが、図書館員会の場に図書館の中をわかっている先生を持っていって切り盛りをしてもらう、採用も院生でバイトしてくれる人の中から働いてくれる人を釣り上げていく。前田さんのプレゼンに反論だが、もともと専門を持っている人で情報流通の知識のある人に図書館の運営を握ってほしい。
  • 植村さん:私は身分は大学の事務職員。出版社を志している人間が事務職にいるが、大学事務職員の最低ランクが出版局なので飛ばされない。その上のランクが図書館。同じ大学の事務職員としての図書館員に欠けているのは経営のセンス。マーケットの変化に対する経営センスがけの字ほどもない。これは教員・事務職員全体に求められるが、これが欠けているので流されている。教員や学生のニーズを主張できれば流されなかっただろうに。
  • 土屋先生:まとめるのが難しい気はする。僕は専門家が図書館に流れればいいと言ったが、もうちょっといろんなバリエーションがあればいいのかも知れない。最初の問題提起で言い忘れたが、今日のキャスティングにひとつ反省点があって、図書館の人が国立3人で大規模私立1人、一般の私立大学の状況をどれくらい反映しているか不安。特に国立大学の場合はいまだに図書館職員の採用が残っているが、私立は大学職員として採用され図書館にいることもあれば別にも異動し得る。そういうところで、最初の問題の立て方を間違えたかも知れないが、国立大学が私立大学みたいになっちゃったら今の図書館の中堅職員としてはどうする? 前田さん?
  • 前田さん:即答しかねる。
  • 土屋先生:茂出木さんは?
  • 茂出木さん:どこか別の部署に栄転する? 私個人は図書館を去ることはなんとも思わないかも知れないが、図書館を泣かんばかりに思っている人をひっぺがして他のところに移すことは大学のためになるかは疑問。
  • 土屋先生:杉田さんは?
  • 杉田さん:適材適所であれば別に。リポジトリは行った先でやります。
  • 土屋先生:訳が分からない質問だったかもしれないが、そう言うことも含めて10年後の人材、今10代半ばくらいの人たち、これから数年の間に進路選択を考える人を念頭に置きながら考えていただきたい。
  • 愛知学院・作野先生:教員になれない人ではなく、教員に十分になれる人に図書館員になっていただきたい。
  • 植村さん:この枠組みの中で、公共なら指定管理者の話が出るし、そういった流れに行かせないために書いた論文ではないかと思うが、私学では委託したらサービスが良くなった。図書館で働きたいから派遣になった人がいっぱいくる。知識もサービス精神もあって本もよく知っている。
  • 土屋先生:書いた趣旨、フロアの皆さんには書いたものはお見せしていないが、趣旨は紙は消え、労働がなくなるので派遣も何もなくなるという発想で書いている
  • 植村さん:じゃあこれだけ優秀なプロはどこで仕事をする?
  • 土屋先生:図書館で。ついでに全然関係ない話だが、最近アメリカの大学で図書館が出版部を吸収している。日本はどうなの?
  • 植村さん:アメリカ型の図書館は大学経費でモノグラフを刷っている。オックスフォード・ケンブリッジの出版部が大学を支えているのに対してアメリカ型は大学経費でやっている。日本はその中間で、そこそこの売り上げでそこそこやっている。むしろ図書館はメディアセンターとしての発展の方がわかる、情報とかITサポート。出版人とは離れている気がする。
  • 土屋先生:人の話題は止めよう。植村さんの話をきっかけにして、機関リポジトリがどうなるかを。杉田さんは出版機能をいろいろおっしゃっていると思うが、図書館が機関リポジトリをやるのと出版部はどういう関係?
  • 杉田さん:あまり深い考えがあって申し上げているわけではないが・・・機関リポジトリ、各大学紀要であるとか学位論文であるとか、大学オリジナルのコンテンツが一方である。もう一方で大学の構成員がどこかで発表した、すでに出版されたものを複製して置いておく。この2つは作業していて実際かなり違うが、後者の外で出版されたものの話はおいておいて、前者の方は大学がオリジナルで刊行するもの、それはインターネットができる前は学部で印刷して交換で頒布していた。これは紛れもなく出版。電子時代にそれを機関リポジトリでやることは、機関リポジトリの半分は出版であり、プロに学ばなければいけないところもたくさんあると思っています。
  • 土屋先生:茂出木さんは?
  • 茂出木さん:リポジトリに熱心だったことはない・・・個人としての好き嫌いではない。面白いかどうかとしては、裏Elsevierでも作るのかと思ってなんで図書館員がやるのかとは思う。遡及入力と大差ない思いがあるのだが、もうちょっと前のめりな仕事はできないのか? でもひいこらする仕事は残るので、安心感はある。「あと3年は食べていける」みたいな。10年後は・・・そのひいこらした仕事がなくなったとき、今まで20年くらい遡及入力やっていたり、今もILLはひいこらしているが、10年後このひいこら仕事がなくなったら図書館員らしい顔ができなくなる恐れはある。機関リポジトリはもしかすると10年後の希望の星かも。
  • 前田さん:ひいこら仕事は探せばいくらでもあるので使われているのかも。10年後のリポジトリだが、大阪大学はつい先ほどようやく大学外で出されたものの収集が認められたところ。小規模の大学はまだまだリポジトリを立てていないので、並行して出来ていくのが10年続くと思う。ただ、一番大きな違いは教員と自分の関係の見直しに触れ、教員に接近することを覚えた図書館員が増えるのではないか。
  • 土屋先生:河村さんは?
  • 河村さん:大学レベルのはなくて全部NIIやGoogleや筆者のwebでやればいいのでは?
  • 杉田さん:前半分と後ろ半分に分けると、どこかにあればいいのは読者の方を見るとその通り。ただやっている側は読者の方は見ていない。先生のものを公開して喜んで貰うのが我々の喜び。読者に喜んでもらうのはサービス機関の役割。先生の自分のwebについてはその通りで、北大の先生が自分のwebでやっているならそれで充分と北大では言っている。北大がやっているのは面倒くさい人の代わりにやっている。実際、OAのためには機関リポジトリにのせるだけでなく先生のwebやOA雑誌もある。いろんなものがあって、そのうちの「ここは機関リポジトリじゃないとOAにならない」ものの受け皿になればいい。
  • 河村さん:全部どこか大きなところに入れることにすればいいのでは? NIIやReaDの発展形におけばいいのでは? ニッチを埋める話かと思うが、あんまりニッチがこれから存在するのか。業績に無関心じゃない先生はいなくなると思うのだが・・・
  • 土屋先生:業績主義になると、論文業績を評価する側がデータが欲しい。個人のページになんかのっけられても困る。大学にとっては「ここを見れば大学の先生の仕事がわかる」ものが、単なるリストじゃなくて実態を伴ってほしい。外部評価者にも見えるようになっているというのは被雇用者の管理としてはやりやすい。リポジトリみたいなものに作ったものを全部並べておくのは管理上、とても幸せ。業績主義であれば必然的に存在するし、イギリスのリポジトリ信仰はそこに由来する。書きたくない論文もたくさん書いているわけよ? 知的な営為の発露ではなく学位のためとか年1本は書かないと、とか。もちろんそうじゃないのもあるけど
  • 茂出木さん:じゃあそういう世話を我々はしている?
  • 土屋先生:母親のようにね。あるいは「書かせてあげている」と見るか。
  • 土屋先生:分業。
  • 杉田さん:業績主義なら本文要らないのでは?
  • 土屋先生:リストなんか信用できない。
  • 植村さん:レフェリー制度によって評価は担保?
  • 土屋先生:それができないところや、自分で読みたいという評価者もいる。被引用数だけでいいという人もいるが。
  • 植村さん:機関リポジトリは1次情報にアクセスできるために紀要や研究ノートや演習まで全部挙げてますよね?
  • 土屋先生:レフェリーがないものがあることがプラットフォームの質が低いことになるわけではない。
  • 植村さん:評価としては「すべて」の実現が重要だが、研究者はやらないのでは?
  • 土屋先生:評価に反映させればそれだけでできる。
  • 植村さん:先生をまわってコンテンツを集めるのは難しいのでは?
  • 杉田さん:できます。難しいけど。
  • 土屋先生:それがひいこら仕事なのか、前田さんがいうようないい仕事なのか?
  • 植村さん:私たちはそれが仕事。図書館の人はそれが仕事だと思わないからひいこらなのでは?
  • 杉田さん:ひいこらでかなわないが、前田さんが言った楽しみもある。カウンターで本を貸す接触とは異なる、研究生活そのものについて先生方と対話する機会はこれまであんまりなかったかも知れない。それが増すことで自分たちの仕事に、具体的なことは言えないが役立っている気はする
  • 植村さん:それは出版の編集者。そこは出版者がやった方がいいものができる気がする。大学出版部にやらせた方がいいものができる。
  • 土屋先生:大学に出版会作るとプロの編集者を作って、これが大変なことになる。
  • 植村さん:しかし何でも集める資質は編集者がもっている。
  • 土屋先生:機関リポジトリに必要なのがそういうものとして、それがある図書館員って何%くらい? 10年後には何%になっている? 前田さん?
  • 前田さん:どうしてそう答えにくいことばかり・・・本人に聞いたら20%もいないと思うが、それはできないわけじゃない。一度経験したら対応できる人も含めれば、そう少ないわけでもない。経験すれば面白いと思ってやり始めると思う。大阪大学で始めたように。
  • 茂出木さん:東大時代は先生と接触するのは楽しくなかった。お茶の水だと楽しい。図書館員ではなく、客による気はする。大阪大学だからとか北大だからというのがあてはまらないと思っている私立は、私立の方が割と先生と仲良しなのでいいのでは?
  • 杉田さん:東大がどうかはわからないが、個人差は大きい、先生側に。先生がこっちを見る見方、先生個人のいろいろ。図書館員の資質としては前田さんがおっしゃったように、最初尻ごみしても1〜2回先生とお話しすると面白がる図書館員は増えている。
  • 土屋先生:せっかくなので市古さんは?
  • 市古さん:教員と職員の間には誇っていい関係が慶應大学にはある。いい関係が代々築けていると思う。教員のご意見をいっぱい聞くが、教員が「なんでも聞け!」というような文化は私の環境にはない。機関リポジトリの話は私はわからないが、リポジトリが今何なのかがわからない議論になっている。紀要で先生がご飯を食べられていた時代と、評価の時代とでリポジトリが結びついていないとこのままあり続けるようには思えない。
  • 河村さん:業績評価主義って話とセットで、任期付き教員が増えている。リポジトリに入れてと言っても言うこと聞かないのでは。だったら個人で持っているかNIIでやってくれた方が。
  • フロア・筑波大学・逸村裕先生:Research IDを大学院生から与えて、どこに移っても本人が持って歩ける、科研のIDにでもなんにでもなるような仕掛けにして機関リポジトリにコンテンツを載せる、それをCiNiiにのせる仕組みを考えている。実現するかは先の話。外国との対応ではThomsonやElsevierとも対応したいと思う。ただ本人がちゃんとやらないとうまくいかない。
  • 土屋先生:そうなるとサブミッションから全部ID抑える話になって、ちょっと見れば「この人のacceptant rate」とか二重投稿もすぐわかる。それは素晴らしいことだけど、何か嫌な感じもする。図書館はそういう体制側の犬になるかもしれない。
  • 逸村先生:そこは研究者のアイデンティティの成り立ちの問題、そこに図書館員がなにか役に立てるのでは。
  • 土屋先生:フロアから何か。
  • 九州大学附属図書館研究開発室・南さん:アメリカの図書館員で講演に来るような人はだいたい2つの専門を持っている。日本ではあまりそういうことを聞かないが、日本も流れとしてはそっちの方向に行ってほしい。しかしそれを図書館員に求めたとして、図書館職員にとってその方向はどうなの?
  • 市古さん:論文を書く経験を一回された人ならいい。どっちが先か、サブジェクトと図書館員の資格のどっちが先かは考えなくていい。一つのサブジェクトを追求した経験があればいける。
  • 前田さん:途中で分からなくなった。
  • 南さん:講演に来るようなアメリカの図書館員はほとんど専門を2つ持っている。日本の図書館もそういう方向性になると思うが、そう言われたら皆さんはどう感じる? 望ましい? 望ましいとすればどうすればいい?
  • 前田さん:望ましいと言えば望ましいが、そう言う風にしていくには自分自身の研究の時間がいる。最初、自分の話をした時にも言ったが仕事に追われていて新しいことをするのが難しい。別の大学から来た人が、前の大学ではそういう学ぶ時間があったが大阪大学ではないとも言っていた。ただ、図書館学はあんまりよくわからない。それよりも研究者に近づくのが目的なら学問分野としての何かに近づく方が先ではないか。視覚を取るとか博士号を取るとか。そちらを目指す方が直接の近道な気はする。
  • 茂出木さん:落ちこぼれ研究者=図書館員とみなされることには嫌な気持ちがある。それから、今の日本の職制、待遇、仕事の中身でダブルで修士を取るほどの仕事か。10年後はわからないが、決して上り坂の待遇にも見えないので、修士号を取るといい未来があるようには見えない。別な道で生きていきたい。勉強したい方を止めたいわけではないが。
  • 杉田さん:今図書館で働いている職員に対してこれから勉強しろというのは無茶な話。もしおっしゃるような方向にするなら採用の段階から図書館の資格で取るのではなくて研究者崩れあるいは卵を引き抜くなりなんなりして、べーすはそれとしながら図書館の仕事を後で覚えて貰う。それはそれとして、今の図書館にはそういう人が活躍できる咳が少ない。頼れる人がずっと一箇所に居続ける状況ではない。そう言う人の活躍も考えないと。
  • 植村さん:図書館学はいらないというが、逆にIT能力は絶対必要。公共図書館には毛嫌いしている人しかいない。コードが書けるとか。カウンター業務なんていい。裏側のスタッフが電子ジャーナルの仕組みまでわかってる人がいることでどれだけ助かっているかを考えると、mustはIT能力。
  • 杉田さん:コードを書ける必要はないが仕組みが頭に入っている人がいないといけない。
  • 前田さん:それは当たり前。現にある程度はみんな持っている。プログラミングそのものは業者にも頼めるが、仕組みを教員に説明できる能力、理屈を説明できる能力は必要だが、それを今の図書館員にネットワークを教えてあげるとか言うと、その人の最初の階段をあがることになるので、そのステップのサポートをするのはかなり大変かもとも思う。
  • 市古さん:幸いにそれは必要なものなので、和が大学にはシステムライブラリアンがいる。ただ対話は難しいかもしれないが、支えられている。
  • 植村さん:私も実感としてそれは思っているのだが、公共では嫌いな人が多い。大学図書館公共図書館は別人種。
  • 前田さん:大学の方がシビアな環境に置かれている。
  • 土屋先生:公共の方がまだ紙でいけるので幸せな話。
  • 土屋先生:そろそろ時間。大学図書館学は最初に申し上げたように5〜6年やれば目途がつく。客観的研究をやるのはもうお終い。最後に生々しい話に来るのは客観的な話はもうやってしまったので、本当にやらなければいけないのは人の話であり、どう次の時代の大学図書館・大学をつくっていくかを具体的に検討する段階になったということではないかと思う。たかが科研のプロジェクトとおっしゃるかもしれないが、それなりの時間とお金をいただいたプロジェクトがこういった形で還元でき、現場に近い形で議論できたことを個人的にはうれしく思っている。同時に、時間を超えてまでご発言頂いた6人の皆様には感謝したい。また、直前にわずかな情報でこれだけお話しいただけたことにお詫びすると共に感謝したい。フロアの皆さんにも感謝を。
  • (拍手で閉会)。



・・・例によって長いですが、今回はこれでもかなりメモの取りこぼしがあると思います・・・(大汗)
土屋先生のREFORM2についてのお話はもちろん、各パネル講演者の方のお話についてもひとつひとつ取り上げていくとそれだけで1エントリ書けてしまいそうな・・・
書けてしまいそうなので深く突っ込んでいくことは避けましょう(苦笑)


実にこのブログ開設の最初期からエントリを書かせていただいてもいた*6REFORM⇒REFORM2ですが、3はなしでここで終了とのこと。
あとは成果発表が続くと思いますので、興味がおありの方は「ここで終わりかあ」ってことではなく各実成果物までご覧になってみると、さらに面白い発見もあるのではないかとかー。

*1:毎回しつこいと思われるかも知れませんが、このエントリから読まれる方もいるかもしれないと思うので今後もイベントレポートのたびにこのフレーズは入れます(笑)

*2:初めて土屋先生の図書館・大学関係のお話を聞かれる方は刺激的と思われるかも知れない内容なのに、その後の大学図書館の皆さんのリアクションが割と肩透かしをくらった風であるのが印象的でした

*3:当時千葉大学附属図書館。その後国立情報学研究所、現在は東京大学附属図書館

*4:閉鎖済み - したらば掲示板

*5:LIBRIe(リブリエ) | e-Bookを快適に持ち運べるe-Bookリーダー

*6:REFORM-電子情報環境下における大学図書館機能の再検討 成果報告会 - かたつむりは電子図書館の夢をみるか. 当時どんな恐れ多いことを書いていたかと思うと怖くて中身が読めませんが・・・(大汗)